「普通の人の感覚や生活を、音楽に」

槇原敬之

2007.11.01 THU

ロングインタビュー


平山雄一=文 text YUICHI HIRAYAMA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA スチーム…
間違うのは当たり前。

「僕の25歳って、空白と言えば空白。お金は稼いだけど、忙しくて気絶してるみたいだった」

それでも槇原は傑作「花水木」を含むアルバム『PHARMACY』を発表するなど、精力的に活動。やがて英語詞にチャレンジするようになる。

27歳の時、洋楽好きだった槇原は自作曲をアメリカの出版社に委ねて、向こうのライターに作詞を依頼。全英語詞のアルバムを発表した。

「25、26、27歳をどう生きるか。多少なら笑顔でリカバーできるし、間違ったとしても振り切って行くことも大事。他人の顔色を見なくてもいいと思う。失敗しないように生きる方が、身体を悪くしますよ(笑)」

冒険心の衰えない槇原と、コンスタントなヒットを望むレコード会社との距離は次第に離れていく。マネージメントも音楽バブルの崩壊を予感して、槇原に音楽以外の仕事を勧めるようになる。実際、CD売り上げは下降していった。しかし、音楽だけが槇原のやりたいことだった。

「人間、今まであったものが下がると、気持ちが落ちちゃう。けど、こういう時期が来るってことは、これをやり過ごせれば長くやれるってこと。またズレた考え方ですが(笑)。売り上げ枚数が下がっても、音楽の質が下がったわけじゃない。逆に、ひたすら音楽を作ってたアマチュア時代を思い出すことができた。おいしいものを食べるために稼ぐより、ものをおいしく食べるために仕事する方がいい」

そう思う一方で、マネージメント側の思いも受け止めたかったが、「板挟みというか、パニーニの中身がプチュっと出ちゃうみたいに離れた。当時、天王洲に住んでた。あの辺の海って意外と暗い。毎日、窓から海をずっと見てた。周りに『ダメ』って言ってくれる人がいなくなって、それで僕自身がダメになっていった」。

人間不信、薬物禍での逮捕。

「最低の人間でした。トドメで捕まって。でも、その時、“誰のせいでもない自分”に気が付いた。そっからラクチンになった」

デビュー以来、あまり話をしなかった父親と、話すようになったと言う。

「今になって自分には父みたいなところがあるって気が付いた。遅くまでかかってちゃんと直した品物を、お客さんに届けに行く。僕がここで一所懸命アルバムを作って、みんなに届けるのと同じだなって」と言いながら、槇原はスタジオを見回すのだった。

普通の人のための、

「生き死にを考えるようになった。僕の好きなお坊さんの言葉に『他事を学ぶ前に、まず臨終を学べ』っていうのがあって。必ず訪れる“死”と、きちんと向き合えってことです。そんなふうにお経を宗教としてでなく読んでみると、暮らしに役立つ情報がいっぱいある(笑)。最近、それを時代に合わせてリファインして表現していくのが楽しくって。言葉遊びみたいな歌詞より、何が伝わったかで褒められる方がうれしい。仏典って、僕にとっての新しいモノサシになってる。それでいて僕の歌がジジくさくならないのは、仏典がいつまでも古くならない“魂の設計図”だからだと思う。人間や死に対して、ちょっと畏れを抱きながら生きていく方がいい」

デビューのころからソングライターとして、ボーカリストとして天才と呼ばれてきた槇原だが、いい意味で力が抜けてきた。



ニューアルバム『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。』に収録されている歌にはこんな描写がある。洗濯糊がアイロンに焦げ、その甘い香りに乗って祈りの歌が聞こえてくる―。

「最近、音楽の作り方が変わってきた。前は『NO MUSIC NO LIFE』って言葉を“音楽以外、考えられない”ってニュアンスで言ってたんだけど、僕がやってるポップスって普通の人が聴くものじゃないですか。もっと普遍的な意味で、音楽は人間にとって必要。人の心に染み込んでいくものだから、ちゃんと普通の人の暮らしや感覚を観察してないと、ダメだと思う。リアリティがないと、伝わらない。普通の人と誤差がないところで歌っていきたいと思ってます」

生活感覚を失わないハイクオリティ・ポップスが、今の槇原の身上だ。うれしい歌、応援する歌、有頂天の歌、ツラい歌など、彼が描く人間像は彫りが深い。

「ポップスが大好きなので、僕の音楽は鍋料理みたいだと思う。ベースのスープは豆乳系だろうが韓国系だろうが、何でも大丈夫。甘いラブソングも、ツラい失恋ソングも両方書ける。で、どれも『オイシイ』でくくれる。ね、鍋料理でしょ」

1969年5月18日大阪府高槻市生まれ。90年「AXIA MUSIC AUDITION '89」で、グランプリを受賞。この年シングル「NG」とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でデビュー。翌年6月発売のサードシングル「どんなときも。」がミリオンセラーとなる。96年にはオリジナル楽曲を英語圏のライターに委ねた全曲英語詞アルバム『Ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』をリリース。03年、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」がダブルミリオンを記録。11月7日、15枚目のオリジナルアルバム『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。』がリリースされる。

■編集後記

25歳の時にリリースしたアルバム『PHARMACY』の最後に「東京DAYS」という曲が入っている。実家を出て東京に来たかった槇原が感じた光と影。そこから生まれたこの曲に、ひとり暮らしの覚悟が見える。それは赤裸々な自画像であると同時に、さらにリアルなポップスを書くきっかけになった。ちなみに『PHARMACY』は雑貨も置いてある薬局のこと。自分の歌がいざという時に役に立つ常備薬であってほしいという槇原の願いが込められている。

平山雄一=文
text YUICHI HIRAYAMA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
スチーム=編集
editorial steam

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