「見つけ出したら、脇目もふらず」

浅田次郎

2007.11.15 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA
考えて考えて考えた末に運に任せるときがくる

「今の若い子は僕らのころより金銭感覚はしっかりしているね。僕らは“金ではない何物か”という、具体的にはよくわからぬものにね、よきにつけ悪しきにつけこだわっていた。それは理念といってもいいかな。今の子は金銭至上主義なんだよ。競馬場に行くとよくわかる。今の若い子は100円の馬券を買って、馬に祝福を贈っているわけだよ(笑)。ぼくの若いころにはそんな余裕はなかった」

派手に賭けて儲けを求めるのが金銭至上主義ではない。ともかく損しないようにそろそろと賭ける。100円で競馬という娯楽を楽しむ。勝負をするわけではないのが今のヤングだ。

「腹をくくって打たないなら、博打することなんてないんだよ。それなら働いてるほうがずっといいじゃないか! って(笑)。競馬場は祝福を贈りにくる場所ではないんです。祝福を贈りたいならサッカーや野球の応援に行っても同じだと思うよ」

今の時代、ギャンブルの上手な20代にはめったに出会えないという。

「上手な人は真面目な人、ものを考えることができる人だね。僕自身、博打に関してはすごく真面目なんです。すべての博打の必勝法はね、不確定要素が少ないゲームを選ぶこと。努力して努力して思考を積み重ねて、最後の決断を神に委ねる。それが博打の博打たる所以だと思う。その努力の後に、初めて神が微笑む感じがする。最初から運を天に任せていてはダメ…」

それは人生についてもしかり。

「最初から運任せでは当然ダメだし、だからといって、まったく決断せず安全な道しかないのもダメだよ。最後は“一か八か”に預けるような決心がなければ、人生はうまくいかないなあ」

“本当は小説家なのよね”

“いや、ときどき小説を書くギャンブラーさ”(『カッシーノ!』より)

20代からずっとそうである。

「やってきてよかったと思う。結構血肉になってるから。まずね、さほど負けていない。つまりギャンブルから得る哲学が非常に多かった。不思議なものでさ、博打をやらない人間は一生やらないんだよ。彼らの唯一の欠点は、決断力に乏しいこと。だから間違いを起こさないともいえるんだけど、男としてスパイスが効いてない感じがする…コレ、20代のインタビューだよね? よし。改行。小見出し」

誰もが誇れる何かを持つ愚民思想からの劇的転換

そもそも読書が大好きで、小学生のころに『伊豆の踊子』のエンディングを自分なりに書き換えた。中学で小説家になることを決めた。文章が初めて活字になったのは35歳、初めての単行本『とられてたまるか!』が世に出たのは39歳の時だった。

高校を卒業後、自衛隊に入り、2年後に除隊。22歳で結婚。アパレル業に就く。24歳の時には自営していた。

「今でも、小説を書くより商売の方がうまいと思う(笑)。同じ収入を求めるなら、小説より商売の方が遙かに早いし楽だよ。だって小説は他人に頼れない。生産性はすべて僕ひとりにかかっているわけです。ところが商売は、人を雇えばいいんだから」

商売は順調だったが、ずっと並行して小説を書き続けていた。昼はアパレルの仕事をし、夜、家族が寝静まってから、小さなスタンドをつけて執筆。29歳で1億数千万の借金を作って倒産。復活まで約6年かかったが「この間の方が一所懸命読み書きできたね。小説というのは、何とお金のかからない娯楽なんだ! と思いました」。

自らの商才を認めつつ、実際に商売でも復活しつつ、それでも小説家になることをやめようとはしなかった。

「25歳の人に言っておきたいのはね、 “とにかくひとつのことをずっとやれ”ということ。人生はそれに尽きる。今は職業の選択肢が広くなって、フリーターで渡り歩いても結構優雅な生活はしていけると思う。でもね、自分が何者かになろうと思ったら、探している時間はない」

やることは早く決めるに限る。

「でも、結果を早く求めてはダメだ。早く得られるのは、所詮その程度のものだから。まずはひとつのことを見つけ出して、脇目もふらずにやる。オジサンのような歳になるとわかるんだけど、どんなに才能のある人間でも、ひとつのことをやってきた人間には敵わない。多芸多才だと思っている者ほど、目移りがしていろんなことをやりたがる。でも、それがものになった試しはないんだよ。才能って不思議なものでね、ひとつのことをできるヤツは、実はいくつものことができるように作られてるの。たとえば運動神経はそうだね。野球部でエースで4番の人間は、サッカーやっても体操やってもうまいでしょ。勉強もそう。ミュージシャンで芝居ができるやつもそう。“俺は音楽も演技もできる”とか思うわけです。ところが“俺には芝居しかない”と思って愚直に進んできたヤツには、最終的には間違いなく敵わない。才能の有無の問題じゃないよ」

それはまさしく、浅田次郎が過ごしてきた人生のやり方。ずっとずっと書き続けてきた。努力して、考えに考えたきたから、神も微笑んだのである。

「でも、苦労人みたいに言われるのもイヤだなあ。苦労したとは思ってないから。いちばん好きなことを好きなようにやってきただけ。小説を書くのはすごく面白い。自分が面白がっていないと、面白い小説にはならないんだ。考えている最中に、その世界に引きずられていくくらいおもしろいものじゃないと、僕は書かない」

実は、浅田次郎最大の転換点はここまでにすでに記されている



「自衛隊だろうね」

昭和45年11月25日、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて決起を呼びかけた後、割腹した。

「三島さんの死を解明できると思った。でも、まったく関係ない収穫がいっぱいあった。一番は体が強くなったこと。弱くはなかったけど、“兵隊”は違う。その貯金で今も生きている。もうひとつは、“俺は特別な人間ではない”と思い知らされたこと。僕は自分に文学的な才能があると思っていた。そうすると、なんとなく世の中に対して、愚民思想があるわけです(笑)。自分以外はみんなバカだと。ところが、“どんなやつにでも誰かより優れているものがある”と思い知らされた。字が満足に書けなくても土嚢を背負わせたら誰よりも速く走るとか、いつもボーッとしてるのに鉄砲は百発百中とか。自分が特別ではないと思い知ったんだよ。それから周りの人を公平に観察するようになったわけ」

三島の謎は、『寂寞の庭にて―三島由紀夫の戦場』という文章にまとめられた。除隊後、浅田次郎は以前とは異なる視点を手にしていた。

「今度はね、まったく逆の思想に自分が支配されちゃって(笑)。人と会うと、“この人は何をやったら俺より強いのか?”という目で見る。たとえばホームレスも何かの哲学をしているんじゃないかって。文学において、一般の人々が持つ苦悩を描くのはとても大切なことだと思う。でも世の中が豊かになればなるほど、それは困難になるでしょう。僕は、自衛隊のときの低い視線をずっと今でも引き継いでいるような気がするし、人間関係もその延長線上でやっていると思います」

もともと商売も上手だし、講演にかり出されるケースも少なくない。実は爆笑トークの嵐でもあった。だけど…。

「小説家はしゃべってナンボではなくて、小説を読んでもらうのがいちばん。そこには僕の人生が詰まっていますから。25歳の人は浅田の小説を片っ端から読んでください。小説を読みたくなくても、活字だけは読み続けるように。そうしないとさ、バカになるよ…そうみんなに言っておいて。自分で考えるという癖をつけないとね。大人にもなれないよ、ってね」

1951年12月13日、東京都生まれ。高校卒業後、2年の自衛隊生活を経てアパレル会社に勤務。20代半ばより自営する。数年前までブティックを経営していた。95年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。翌年、清朝の宦官を主人公にした『蒼穹の昴』が直木賞候補となる。97年『鉄道員』で第117回直木賞を受賞。00年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、06年には『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞と第10回司馬遼太郎賞を受賞する。『カッシーノ!』『カッシーノ2!』は共に幻冬舎アウトロー文庫から発売中。

■編集後記

自衛隊の居心地はとてもよかったという。いろんな価値観や能力を持つ人間が一緒に暮らし、同じ訓練を受ける。「向いていた。最初は優劣がはっきりとわかるんだけど、3カ月から6カ月で不思議なくらい、みんな同じになるんです。突出しちゃいけないし、落伍するヤツがいてもいけない。そこが運動部とは根本的に違うところ。重大な発見でした。すばらしい世界でしたね」。21歳で除隊するときには、みんなが驚いたという。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト