まだまだ、これから

吉田栄作

2007.12.06 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
型ではなく本質。真面目な役作りの話

唐突に自衛官の話になったのは、映画『ミッドナイトイーグル』で役を演じたからだ。北アルプス山中に墜落したアメリカのステルス戦闘機“ミッドナイトイーグル”を捜索する陸上自衛官である。搭載された特殊兵器を回収するという使命を帯び、山中で報道写真家の西崎(大沢たかお)と新聞記者の落合(玉木宏)と遭遇。マイナス30℃、猛吹雪のなか、兵器の起動を企む某国の工作員と死闘を繰り広げる。

今年1月からの撮影のため、昨年の後半以降ほぼ、この佐伯昭彦三等陸佐というキャラクターと付き合ってきた。

「自衛隊の駐屯地に見学に行ったり、松本市の山岳隊に体験入隊をしました。今回の作品にかかわらず、演じる役に職業があるならば、必ず本職の方に何人かお会いすることにしています。そのとき、全然関係のないことも伺うんですよ。“朝は何を食べますか?”“何時ごろに寝ますか?”とか。家族構成や観ているテレビ番組まで。今回は3日間体験入隊したんで、実際に経験できたことが大きかったですね」

しかし何より大きかったのは、入隊最終日に上官からされた質問。

“吉田さん、自衛官にとって一番大切なスキルは何だと思う?”。

「体力か、頭脳か、仲間を思う気持ちか…そのどれでもなかったんですが」

もっとも心を打たれたのと同じ問いを、彼はわれわれに向けたわけだ。

「答えは“使命感”なんです。対テロ工作で仲間と組んで敵陣に突入するという設定のトレーニングがあったんです。そのとき後ろから突然、“○○一曹が撃たれました”って声がして、フッと僕は振り向いた…そこは振り向いちゃいけなかったんです。“彼が死のうがどうしようが、前に進まなくてはいけない”と言われました。“振り向いたら、次は君が死ぬんだ”と。まず指令があって、ターゲットに向かっていく以上、それだけに貪欲であらねばならない」

まず使命感。体力も頭脳も思いやりも、それを全うするために必要なだけ。「劇中で、3年間行動をともにした部下の死体を見つけるシーンがあるんですが、西崎と落合が感傷的になるなか、僕は敬礼をしたら、彼の装備を探る。使える武器は全部自分のものにして先を急ごうとする。あれがまさにそう」

どう演じるかではない。見据えるのは“本当のところ”である。自衛官ならそのときどうするのか。型ではなく精神を会得することで、ごく自然に本物のように動けるというわけだ。こんなふうに役を作りたいから、1作にじっくりと時間をかけて取り組むという。「だから終わったときには泣きたくなりますよ(笑)。役と別れるわけだから。大河ドラマとかは大変ですね。キャラクターと長く付き合えば付き合うほど、まるでもう会えない友だちと別れるような感情になるんですよね」

役に対しての取り組み方が変わったのは、98年ごろのこと。それは吉田栄作が3年間のアメリカ武者修業を終えて帰国した年と一致する。

自分の本質を見つめ続けて。なにひとつ変わらない姿勢

「22歳のとき、夢が全部叶ってしまった、と思ったんです」

デビューは19歳。ほどなく『君の瞳に恋してる!』『クリスマス・イブ』などのドラマに出演。そのさわやかな存在感で人気を得る。そして91年、22歳の時にジェットコースター的展開のクライムサスペンス『もう誰も愛さない』に主演。それまでとはまったく違う、金のためなら手段を選ばぬどす黒い野心にまみれた男を演じ、爆発的に注目を浴びることとなった。この年の暮れには、シンガーとして2年連続の紅白歌合戦出場も決め、吉田栄作の名は揺るぎないものになっていた。

「正直、怖かったんでしょうね。このままいけるわけがない、世の中そんなに甘くはないと思う自分もいました」

ぶっきらぼうでサービストークができなかったことを自認する。それが“演じたキャラクター”も相まって、誤解を生み出すケースもしばしばあった。仕事に対するスタンスを揶揄されもした。

「若さゆえの勢いですね。僕の張った虚勢をみんなが面白がってくれて、また僕がそこに乗っかるという形で。気づいてみたら、本当の自分ではない自分が一人歩きしていました」

95年、26歳の時、吉田栄作は突如、渡米する。果たしていかなる心境だったのか。

「22歳のときに気づいていたんです。自分には何の裏付けもないと。演技力や歌唱力を認められたわけではなく、単に目に見えない“人気”というものに支えられていただけだった。年齢を重ねることで、そんなものは簡単になくなることは150%くらいわかっていたんで(笑)、自分で決着をつけたかったんです。僕はきちんと僕の力を認めてもらって、この仕事を一生していきたかった。その力をつけたかった」

ずいぶんと思い切ったやり方を選んだものである。

「自分が甘えられるようなことは全部なくしました。僕は決して負けず嫌いなわけではないんです。ものすごく弱虫で、本当は努力も性には合ってない。怠けられるものなら怠けたい。そういう弱いヤツだということを自分が一番わかっていたから、絶対そのままでは終わりたくないと思っていて。もしこのまま忘れ去られたら、その程度のヤツなんだろうなと思っていました」

生真面目さゆえの大胆な決断。

傍目には何不自由のないキャリアに見えたのだが、さらなるステップアップが必要だったのだ。唐突に見えた行動も、彼にとっては必然だったのかもしれない。

「アパートを見つけてクルマを探して、家具や食料を調達して。生活のベースを作り上げるのに3カ月はかかりました。そのうち、徐々に人間関係ができていって、ボイストレーナーや英語の先生を紹介してもらったり、マネージャーをやってくれる人もできた。オーディションも受け始めました」

まさにゼロからのスタートである。

“唐突”と書いたけれど、実は決心は22歳の時になされていたのだ。4年は、語学や護身のための空手など、渡米のための準備期間。思い立ってから周到にプランを熟成させていたのだ。

「アメリカは僕に合いました。全然帰りたくならなくて。3年目に入っても“二度と帰るか”ぐらいに思ってた…のが、ある日突然、“日本って素晴らしい”って思い始めたんです。きっかけは別になくて、強いて言うなら、3年間、海の向こうから日本を見つめ直したことかもしれません。そう思い始めた途端、日本で自分がやり残したことの多さに気づきました」

取材の行われた劇場では、このとき『音楽劇 三文オペラ』が上演されていた。1年近くを役作りにかけた主人公の “悪党”メッキ・メッサーを演じたのだ。初舞台は昨年のこと。来年には『オットーと呼ばれる日本人』の主演も決定している。また本格的に時代劇に出演したのも帰国後。『元禄繚乱』『武蔵 MUSASHI』などの大河ドラマでの好演がそうだ。あるいは難役…ドラマ『冬のひまわり』では脳に障害を持つ会社員をリアルに演じていた。

来年でデビュー20年。役者としてもアブラののった年齢にさしかかりつつある。着実にキャリアを重ね、そのつど評価を得ている。実は『ミッドナイトイーグル』でも「とくに吉田栄作がよかった」の声が非常に高いのだ。

「投球法として、ストレート主体じゃなくなったんじゃないですかね(笑)。役者は40歳からだと思います。あの、アメリカでの3年間が本当にワークし始めるのは、これからでしょうね」

そんな今だからこそ、あえて野望を尋ねてみると、吉田栄作、長考。

「何だろうな…地球単位で病んでいる気がしてならないんです。人が悲しんだり、痛い顔をしていたり、血が流れるのは本当に嫌なんです。そういう世の中じゃなくなってほしい、そのために僕がこの職業でできることをどんどんやっていきたいと思います」

そして「ちょっと“ビッグ”すぎますかね」と付け加えると、笑った。

1969年神奈川県生まれ。88年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でグランプリを獲得、映画『ガラスの中の少女』でデビュー。『君の瞳に恋してる!』『キモチいい恋したい!』などフジテレビのドラマを中心に活躍。デビューの翌年からスタートした歌手活動も軌道に乗り、90、91年と2年連続紅白歌合戦に出場。91年のドラマ『もう誰も愛さない』を経て、若手トップスターの名をほしいままにする。しかし95年に芸能界を一時休業、修業のため渡米する。3年後に帰国。大河ドラマ『元禄繚乱』(99年)などに出演。04年の『冬のひまわり』では事故で脳に障害を持ってしまうサラリーマンを好演。仕事の幅を広げ、リアルな演技のできるいい俳優としての評価を年々高めている。08年には新国立劇場で舞台『オットーと呼ばれる日本人』の主演も決定。映画『ミッドナイトイーグル』は丸の内ピカデリー1ほかで、全国拡大公開中。

■編集後記

インタビュー中、幾度も吉田栄作は「僕は自分がカッコよくないことを知っている」と言った。実は20代から自身の本質を見つめるクールな視点を持っていたのだ。そのうえで「カッコよくない」部分を克服し、本当にやりたいことを実践する。「あるコンテストでグランプリを取って、その場にいた方のススメで映画のオーディションを受けてデビューしたんです」。もし失敗しても、やり直せばいい。恐れるものは何もない。 彼はこの姿勢を貫きながら、今も映画や舞台に取り組んでいる。

武田篤典(steam)=文
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