「モンスターは死んだ」

トム・ヨーク

2008.01.10 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 石川昌子=写真 photography SHOKO ISHIKAWA
世界一のバンドが投下した大きな爆弾

世界のミュージックシーンの頂点に立つバンドといってよいイギリスのバンド、レディオヘッドのフロントマンである…こんなふうに資料テイストな書き方がなされているのは、トム・ヨーク、知る人と知らざる人とでは受け止められ方がまったく違うから。

92年にデビュー。翌年再発された「クリープ」のアメリカでのヒットをきっかけにブレイク。デビューアルバムの『パブロ・ハニー』から03年の『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』まで世界で2000万枚以上のセールスを誇る。98年にはアルバム『OKコンピューター』でグラミー賞のベスト・オルタナティヴ・ミュージックパフォーマンス受賞。01年にはアルバム『KID A』が同じくベスト・オルタナティヴ・ミュージック・アルバムおよびベスト・エンジニアード・アルバム受賞。02年と03年にも『アムニージアック』と『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』でそれぞれグラミーをとっている。1作ごとに新たなクリエイションに挑戦しつつ、そのつどシーンに影響を与え続けてきた。

要は、これほどに売れていて才能があるバンドのフロントマンである、ということだ。

そんな彼らが07年、事件を起こした。新作『イン・レインボウズ』を、バンドのオフィシャルウェブサイトから直接ダウンロード販売したのだ。レコード会社も何にも通さず、CDとしてのパッケージ販売もなく、しかも価格はユーザーの“言い値”。買う側が勝手に新曲10曲の値段を決めていいのだ。

「今回は俺たちにとっても実験的な試みだったから、何が起こるのか、何を期待していいのかわからなかった。正直なところ、“音楽の価値を下げている”と酷評されるとも思っていたしね。けど結果的に、今後の音楽のやり方について、みんなで前向きに意見を交わし合うことができたのがよかった」

トム自身の社会的な意識の高さは、今回の取材のあり方を見ても明確だ。これまで、チベットの解放と非暴力を求める運動や、途上国の債務帳消しを訴えるキャンペーン、地球温暖化にストップをかけるNGOの活動を支援してきている。バンドは巨大になり、彼の行動の影響力も高まっている。だが、今回の件は、音楽業界への挑戦とかではなく、動機はいたってシンプルなのだ。

「作品を届けるときに、間に余計な人たちが絡んでいないのが魅力的だった。たとえば先入観を与える情報雑誌のレビューとか、音楽業界の変な政治とかプロモーションとか、そういうくだらないことを抜きにして、とにかく早く音楽が出せるわけ。“ハイ、音楽ができました”“リターンを押す”“ハイ、受け取りました”ってね」

それが事件として取りざたされた。「“普通じゃないこと”をやればメディアはすぐに革命的だと言うからね(笑)。最初のうちはそうした反応を楽しんでいたよ。でもね、結局そんなのは俺たちにとっては関係がないことなんだ。いまも普通に多くの人たちがネットを通じて音楽を発表している。俺たちはたまたまそれをちょっと大掛かりにやっただけだ。決断をした理由は単純で、当時の俺たちが置かれた状況から、当たり前の選択をしただけだよ」

前作を03年にリリースし、レコード会社との契約が満了していた。この作品に取りかかっているとき、レディオヘッドはインディーズだったのだ。それも世界一有名で、世界一有力な。

周りとばっかり戦ってきた25歳のころ

レディオヘッドがブレイクするきっかけとなったシングル「クリープ」にアメリカで火がついたのは、93年。トム・ヨークがまさしく25歳のころだ。

14歳からバンドを始め、19歳のときにはレディオヘッドの前身となる“オン・ア・フライデー”の名で活動。もちろんバンドを職業にしたいとは思っていたけれど、今日のようなビッグビジネスになるとは微塵も想像しなかった。

「25歳のころのことはあんまり覚えてないな(笑)。いつも酔っぱらってたかな。…当時は髪型がダサくて、ツアー三昧で、アメリカのテレビに出てクリープばかり歌ってたよ。変わってるヤツだと思われていたから、逆に好きなことができて楽しかったしね」

「クリープ」は、憧れの彼女を天使にたとえ、愛の言葉をささやきながらも、自分は“キモチ悪いヤツ(=クリープ)”で“ヘンなヤツ”で“ここにいるべきではない”と歌った、神経症的でとても哀しく美しいラブソングだった。

「今にして思えば、もっと楽しんでおいてもよかったかもしれない(笑)。周りからは“売れてよかったじゃん”って言われたよ。“これでずっと音楽をやっていけるし、レコード会社も好きなことをやらしてくれるよ”って。俺はシニカルな人間だから、そんなのはバカらしいと思ってた。当時はめちゃくちゃだったもの。MTVのビーチパーティーとかに出て、いっぱいいるビキニの女の子の前で『クリープ』をやんなくちゃいけなかったし。どこへ行っても“あ、クリープのヤツだ”って言われてたからね」

その後、約8年にわたって、レディオヘッドは、この曲を封印することになる。トム・ヨーク自身もヒットの混乱に飲み込まれた。

「なんだこれ! って感じがずっとつきまとってたよ。とにかく新しい作品を作りたかったのに…」

思えば、トム・ヨークは新作のたび新たな戦いに身を投じていたのである。「クリープ」のヒットによるプレッシャーに苦しみ、難航に難航を重ねたあげくにアルバム『ザ・ベンズ』を完成。どっしりと腰を据えて作った『OKコンピューター』で名実ともにワールドクラスのバンドに成長。だがそうして到達せざるを得なかったセレブリティ的な環境がトムに違和感を生じさせた。つねに新しいものを模索する姿勢は、アーティストとしては普通である。だがトム・ヨークは自らに高いハードルを課し続け、クリアし続けてきた。

結果「レディオヘッドは自分たちでエサをやるだけのモンスターになってしまった」。03年に前作をリリースしたあと、トム・ヨークは1年間のオフを取った。それは「モンスターを一回寝かせなければならなかったから」。

その間に、初めてのソロアルバム『ジ・イレイザー』をリリース。

「あちこち旅をしながら書きためた曲がたくさんあって、そのなかでもどうしてもバンドでやりたいと思うものを完成させたくなってきたんだ。もう、いい加減、ひとりぼっちでやることにも飽きていたし、メンバー5人で作る楽しさを再確認できた気がする」

アルバムは「15ステップス」で始まる。トムは「なぜまた始めたところに戻ってきてしまうのか」と歌う。そして「ビデオテープ」という曲で「どんなことが起きても恐れない。今日がこれまででもっとも完璧だったと知っているから」と終わる。

オックスフォードとつながった画面のなかで、トム・ヨークは依然としてまったりしながら、答えた。

「俺は希望に満ちた終わり方だったと思うんだけど、なかにはビデオテープのことを自殺志願だとかいう人もいたんだよ(笑)」

いまでもレディオヘッドはトム・ヨークにとってモンスターなのだろうか。

「“The monster was dead.”(笑)。今までのような大きなレコード会社との契約から解放されたから。レディオヘッドはこれまで作り上げられた巨大なところから歩き去ったわけ。一時はバンド名も変えようかって話してたんだけど、それもバカらしいよね。やってきたことに誇りは持っているから、レディオヘッドのままで活動を続けていく決断をしたんだ。だって俺たちは、過去にはこだわらないから。それで“ふっきれた感”がある作品になったのかな」

褐色の小瓶を軽く振りながら、笑顔で。あ、そのビールの銘柄って…。

「ビールじゃなくて、ジンジャービア。さすがに、今は飲まないって(笑)」

始終酔っぱらっている必要はないのかもしれない、25歳のときみたいに。

1968年、イギリスのウェリングボロー生まれ。14歳のとき、コリン・グリーンウッドと出会い、バンド活動をスタート。すぐ、いまのメンバーであるエド・オブライエン、フィル・セルウェイがバンドに参加。19歳のころバンド名はオン・ア・フライデーとなり、コリンの弟であるジョニーが加入。メンバーはそこから変わらない。91年、パーロフォンと契約。翌年、レディオヘッドと改名し「Drill EP」でデビュー。さらに翌年、ファーストフルアルバム『パブロ・ハニー』をリリース。アメリカでのヒットを契機にスターダムに。以降『ザ・ベンズ』(95年)、『OKコンピューター』(97年)、『KID A』(00年)、『アムニージアック』(01年)、『ヘイル・トゥー・ザ・シーフ』(03年)を発表。トム自身は06年にソロアルバム『ジ・イレイザー』を発表している。07年10月にダウンロード販売のみでリリースされた新作『イン・レインボウズ』がこのたびCDパッケージで発売。

■編集後記

デビューアルバム『パブロ・ハニー』をリリースしたのが、トムが25歳になる年の2月。「クリープ」は先行シングルとして前年に英国内ではリリースされたが、6000枚の売り上げだった。それがやがてアメリカMTVのヘビーローテーションとなり、レディオヘッドのUSツアーを後押しすることになる。大学でアートを専攻した、物静かでシニカルな男としてはアメリカで繰り広げられる狂乱のツアーは「“なんだこれ!”だったね。でも、もっと楽しんでおいてもよかったかもな(笑)」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
石川昌子=写真
photography SHOKO ISHIKAWA

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