「つねにその先を」

HIRO

2008.01.24 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
メンバーがファン目線でワクワクを追求する

「ボーカルがTAKAHIROに変わったので第一章の曲も歌い直して、未発表曲も加えてベストアルバムを3枚。1枚目は“キャッチー・ベスト”ってEXILEのPOPな感じのものを集めて。2枚目は“エンターテインメント・ベスト”。僕らのなかでよりルーツに合っているダンスミュージックなどを意識した曲。それと冬に“バラード・ベスト”、こんなの誰もやったことがないでしょ」

“EXILE PERFECT YEAR 2008”は昨年秋ごろから予告され、渋谷のビルボードなどで期待感を煽っていた。

「オレたちはつねに2年ぐらい先のイメージは持ってるんです。歌い直しのことだって、ツアーで“第1章”の曲をやるとお客さんにすごく喜んでもらえたところからの発想で。メンバー同士で話すんですよ。“歌い直しでベスト出すのって面白くない?”“いつ出す?”“1年に3枚とかいっちゃう?”“それ誰もやってないよね”“いいじゃん!”みたいな感じで」

メンバー全員がEXILEのファンで、グループがどんなことをやると面白くてカッコいいかをファン目線で見ることができるのだという。

「EXILEって、テーマをパーンと立てるんです。キャッチコピーを考えるのは僕が得意なんですけど(笑)」

07年には『EXILE EVOLUTION』『EXILE LOVE』の2枚のアルバムをリリース。後者は07年暮れの発売ながら早々に150万枚を突破。EXILEを取り巻く状況は、きわめていい感じになってきている。

「メンバーが抜けたりしたこともあったんですけど、いまは多くの人に助けられ支えられて、グループ結成7年目にして、いよいよやりたいことがやりやすい感じになってきてますね。1年、2年先のことを真剣に考えておくのが重要だってことを実感してます。自分たちがブレないでいられれば、しっかりと経験も積み重ねていけるし、それが自信になって誰もやっていないことにチャレンジできる…去年はそんなことを身をもって知った1年でした。でもEXILEは走り続けるグループなんで、1月1日から宣言して、今年1年通して盛り上げよう、みたいな(笑)」

ブラックカルチャーやストリートなダンスシーンみたいなバックボーンはあるのだが、このグループはどこか異質だ。サークル的なノリが強くありながらプロフェッショナルで…この人に至っては“社長”でもある。

グループも会社も。夢を実現する“場所”

会社の名前は『LDH』。EXILEが誕生したとき、メンバー6人(当時)の出資で作った『有限会社エグザイル・エンタテインメント』がベースだ。目指すのはアーティストの夢とビジネスの論理がせめぎ合わない社風。

EXILEと会社、リーダーの違いを尋ねてみると「同じ」だと言う。

「EXILE自体、みんなの夢を叶える“場所”っていう位置づけなんです。メンバーそれぞれにやりたいことがあって、EXILEという場所を輝かせることで、自分の夢をそこにのっけやすくなる。もちろんグループでの活動には人生を賭けてますけど。一方で、会社にはいろんな部門があります。舞台制作とかタレント事務所の機能とかアパレルとか。それはまたEXILEメンバーにとっての、EXILEにとどまらないいろんなことを実践できる“場所”なんです。自分たちが頑張れば会社が大きくなって、できることの可能性も広がっていく。単なる所属事務所ではなく“自分たちの会社”という一体感がある」

逆に社員のみなさんからのメンバーに対する意識も同様なのだ。

「いかにオレやメンバーを使ってやりたいことをやっていくか。アイデアの出所が誰であれ、面白そうじゃんってことになれば、オレたちもどんどん協力しますし、うまく使ってくれればいい。現に『エグザムライ』なんかは、所属タレントの男の子が“アニメがいまヤバイんッスよ~”って言い出したところから始まってますからね。あと、社内のいろんな部門でやってることをどう組み合わせるか。独立した“点”みたいに見える事業をつなげていくことで、新しいことができる。オレもいつもそこをすごく考えてますよ」

たとえば、アパレルブランド『24カラッツ』とEXILEとのコラボレーション。メンバーが着てステージに立ったり、逆にブランド名の曲を出したり。はたまたダンススクールとライブと若手育成のミクスチャー。

「EXPGというスクールを運営してます。生徒さんにライブに参加してもらったり、そこから新しい才能を見つけたり。これはビジネスというより社会貢献の意味が大きいかもしれません」

社長自身もメンバーも社内のスタッフも、つねにみんなを喜ばせる新しい何かを考え続けているのだ。

「アーティストとスタッフの距離がすごく近いんです。だから強い信頼関係をもって、すごいスピードで進んでいける。オレが20代とかだったら、絶対この会社に入ってますね(笑)」

LDHとは“LOVE+DREAM+HAPPINESS”という意味だ。

“20代だったら”…HIROはそのころの自分のことを「クソガキだった」と言う。ディスコのスタッフからひょんな縁でダンス&ボーカルグループのZOOに加入。20代前半にしていきなりのスターダム。バブル絶頂期の東京で毎晩クラブをハシゴし、あえて顔がバレる繁華街を闊歩した。96年にZOOが解散してから、少しずつ、それが特別だったことに気づいた。

「戸惑ってましたね。負けず嫌いだから、そこで腐ることはないんですけど、目指す方向が分からなかった。25歳のとき、オレはめちゃくちゃで。つぶれてもおかしくなかったのに、たぶん…自分で言うのもなんだけど、かわいげだけはあったのかなあ。人としてはちゃんとしてたつもり。この間、『EXILE Vocal Battle Audition』をやったときに、1万人近い若者と会いました。そのときオレ自身が、やっぱり“歌えるなら何でもやるッス”みたいなかわいげのある子にひかれました。で、そういうのが必要だったんだなあって勝手に思っちゃっただけなんですけど、それが重要だったのかもなあ…」

ターニングポイントは「毎日だった」と言う。20代前半での失敗を糧に、“かわいげ”を持って日々変わり続けた。かつて所属したユニットは、秘めていたはずの無限の可能性を実現できずに終わった。自分たちで会社を作ったのは、それを踏まえてのことでもある。そして「いまも毎日がターニングポイント」であると言う。

もちろん“PERFECT YEAR”ったって、それで完成ではない。

「その先もすげえこと考えちゃってます(笑)。“これでもかこれでもか”って、つねにその先を目指すような何かを絶対編み出す感じのテーマがあるんです。まだ誰もやっていないことがいっぱいあって、必ず実現できる気がする。そこに生きてる意味を感じるんです。そういう感じで止まらずに突き進んでいきたいですね」

EXILEは07年の仕事納めを08年元旦未明に行い、数時間後には“PERFECT YEAR”のスタートを切った。HIRO自身は1月1日から9日連続でジムに通ったという。

1969年生まれ。EXILEのリーダーにして、所属事務所LDHの代表取締役社長。89年、テレビ番組『DADA』のダンスコンテストでLMDに参加 、翌年ZOOに改名し「ケアレス・ダンス」でデビュー 。91年ベル・ビブ・デヴォーのツアーにダンサーとして参加。ダンスユニット「Japanese Soul Brothers」を結成。92、93年にはボビー・ブラウンのツアーに参加。95年と96年にはDreams Come Trueツアー『wonderland』に参加する。ZOO解散後、97年に「J Soul Brothers」を結成。01年「EXILE」と改名し、「Your eyes only~曖昧な僕の輪郭~」でデビュー。07年末にリリースしたアルバム『EXILE LOVE』はセールス150万枚を突破。LDHではストリートファッションブランド『GOLD 24karats Diggers』、オトナのアウトローにハマる『Coal Black』、アクセサリーブランドの『ENA』も展開中。

■編集後記

20代前半にはバリバリ遊んでいたという。「20代はバブル絶頂期で、ギラギラの世界をさんざん見ました。いまは真逆。カッコで物事を判断するのはイヤで、こういう世界に生きてるけど、バリバリ立ち食いそばで食っちゃいますし。無理して背伸びするのが窮屈で、その方がEXILEにも合ってると思う。勘違いしてるのはサムイですよね。それがホンモノの輝きを放っていればそれでいいじゃんって。こういう考え方ができるのはバブルの恩恵かも」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト