「無理くり大人にさせられた感じ」

菊地成孔

2008.02.14 THU

ロングインタビュー


平山雄一=文 text YUICHI HIRAYAMA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA スチーム…
ずっとずっと楽しかったかわいがられ人生

少しエッチで魅惑的な世界に放り込まれた菊地は、幼少のままアダルト・カルチャーに飛び級進学。小学校では友達とことごとくズレていたという。

「学友はドリフターズ、僕はクレイジーキャッツ。学友が仮面ライダーを見てるとき、僕はジェームス・ボンド。学友のアイドルが天地真理なら、僕は園まり。言ってみれば70年代子供文化と60年代大人文化がすれ違ってた」

しかし高校に入るころ、菊地を虜にしてきた銚子・歓楽街発のアイテムのすべてが突然嫌になる。

「地元も何も、とにかくナスティ(不潔でいやらしい)なものすべてが嫌になった。で、高尚を目指すんだと、エレガントでゴージャスなクラシックに転向。完全にリバウンドです(笑)」

中学から吹いていたファゴットにのめり込み、音楽大学を目指す。が、プロになる気はまったくなかった。憧れの職業は“コピーライター”。音大受験に失敗し、予備校に通いながらノートにコピーを書きためる毎日。時代は狂騒の80年代に入っていた。

「コピーライター全盛、YMO、バブル寸前とはいえ、カルチャーはすでになんでもありの時代に入ってた。僕は子どものころからずっと時代とズレて生きてきて、80年代で初めて流行りにアジャストする。『ツバキハウス』で踊って、DCブランドの服着て。もう、狂喜ですよ。こんなに楽しくていいのかっていうくらいの毎日」

一方、“成孔を板前の跡継ぎに”と考えていた父親は激怒。切羽詰まった菊地は、手近にあった音楽雑誌の広告に目を留めた。アメリカの最新の音楽教育メソッドを取り入れたジャズスクールがあるという。「オヤジは職人だったから、とにかく手に職をつけろと言っていた。だったらスタジオ・ミュージシャンも職人。そのスクールに入りたい」と親に告げると、許可が下りた。

「クラシックをやってたから筆記試験は楽勝。でもジャズの楽器はやったことがなかった」

ずっと没交渉だった兄に会いに行き、楽器を買いたいと無心する。すでにベストセラー作家だった兄・秀行氏は、ぶ厚い封筒を成孔に渡した。

「まったく音楽をわからない一家だったので、楽器は全部ストラディバリウスぐらい高いと思ったんですかね」

50万円ほど貰って残りは返し、サックスを購入。その足でスクールに戻り、そこで初めてケースを開けた。

「楽器を始めて1年後に、学校から紹介してもらって横須賀基地で初仕事。4年後にやはり先生の推薦で山下洋輔さんとデュオで演奏した。僕の人生、かわいがられてばっかりです(笑)」

その後、山下洋輔グループに参加してツアーでヨーロッパを回る。スタジオ・ミュージシャンやアレンジャーとしても仕事が増え、「ようやく自分で食えるようになった。それまではヒモですよ、大ヒモ。自分の中で職業音楽と芸術音楽をはっきり分けていて、自分の音楽は金取ってやるもんじゃない、そんなことができるとは夢にも思ってなかった」。

80年代半ばになるとポップスやバンド・ブームが全盛になり、ジャズはとっくに音楽シーンの中心ではなくなっていた。菊地は既成のジャズに飽き足らない連中から声を掛けられ、アンダーグラウンド・シーンでは貴重なミュージシャンとして、ここでもかわいがられたのだった。

立て続けの通過儀礼。遅れてきた大人時代

ターニング・ポイントの端緒は35歳で訪れた。やっていたいくつかのバンドがすべて解散。直後に奇病にかかり2カ月間、生死の境をさまよう。

「身体の細胞が全部入れ替わった」

回復した後、ふと気が付けば世紀末。だったらと、自分のリーダー・バンドを初めて立ち上げる。ブログのハシリもスタートさせ、エッセイストとして文筆家としてもデビュー。だが順風満帆に見えた39歳で、重い神経症にかかる。続いて父親の死。母親の交通事故。決定的な転換の時だった。

「無理くり大人にさせられた感じです。人生の大掃除っていうか(笑)。まあ、それまでは遊び倒した自信はありますが。楽しくない日はなかった。奇病の時でさえ、解熱剤を飲めば幻覚が見えるし、看護婦さんはきれいだし。大人にさせられてから本やCDをどんどん出して世間的にはブレイクスルーしたんですけど、もうビカビカではなかったですね。でも今でもマネージャーとかレコード会社があるから仕事してるけど、できれば遊んで暮らしたいと半分は思ってる――こんな苦労知らずの話でいいんですか(笑)」

いえいえ、苦労知らずなんてとんでもない。ここまでの人生、出会ったものすべてを自分の美意識に照らし合わせてチョイスする生きっぷり。不良の芳香はそこから立ち上る。

ぜひ読者にメッセージを。

「25歳にメッセージ? 今はめちゃくちゃな時代ですよね。殺人事件の半数が家族間になっちゃった。“殺しませんよ、家族でもあるまいし”なんて言葉が冗談ではなくなってる。日本の中で、金のあるなしでアイデンティティ争いをしてたら、中国人の富裕層が銀座のブルガリタワーやアルマーニタワーで買い物しまくってる。もうそこにアイデンティティはない。“KY”とか言って空気が読めないのをバカにしてるような脆弱な民は、中国の前で泣き寝入りするしかなくなってる。言ってみれば乱世。僕は乱世が好きなので、とってもいい時代だと思う。その意味では9・11で止まった時間が動き始めて、今やっと21世紀が始まった気がする。ロスト・ジェネレーションなんて言ってないで、逞しく楽しめって言いたい」

1963年、千葉県銚子市出身。音楽学校メーザーハウス在学中の85年、演奏家としてデビュー。89年、山下洋輔グループに参加。今堀恒夫のティポグラフィカ、大友良英のグランドゼロでも活動。98年、35歳のとき、壊死性リンパ結節炎で生死の境をさまよう。完治後、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、スパンクハッピー(第2期)などを結成。02年、不安神経症を発症。完治後、初のソロ・アルバム「デギュスタシオン・ア・ジャズ」とセカンド・ソロアルバム「南米のエリザベス・テーラー」を発表。音楽講師や文筆家としても活動。近年では04~05年の東京大学教養学部非常勤講師をはじめ多くの大学で教鞭を執る。08年は慶應義塾大学に登場の予定。『THE REVOLUTION WILL NOT BE COMPUTERIZED』で登場した菊地成孔 ダブ・セクステットのライブが4月17日(木)「モーションブルーヨコハマ」で。

■編集後記

「音楽の仕事をしてるって言っても時給にしたらハンバーガー屋のバイトの方がマシ。全然食えてなかったですね。積極的に仕事として考えてなかったから、当たり前か。それでもバンドを組んで、オリジナルを作るようになってた。ようやく形になりそうな気配があって、オーディションにテープを送ったり。その昔、恵比寿にあった“ファクトリー”っていうライブハウスで行われたコンテストに出て、自分としてはかなり色気があったんだけど、何かの部門賞で終わりました」

平山雄一=文
text YUICHI HIRAYAMA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
スチーム=編集
editorial STEAM

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