「プロレスLOVE」

武藤敬司

2008.02.21 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
ファンのパワーに感謝。そしてさらに広げたい

いまやプロレスを観るのは、“プロレスを観ようとしている人”だけである。普通の人がたまたま観る機会はあまりない。その層に支えられている。

「プロレス界のスポンサーはお客さんだけだからね。野球には大企業がついている。相撲なんて国がついてるし(笑)。Jリーグもいっぱいスポンサーついてたよね。開幕当初はすごかった。なのに、いまはどう? 支持してくれる力の根強さに関して言えば、プロレスは他の分野には負けないんじゃないかな。しかもそれが世界中にある。オレ自身、去年はイギリス、メキシコ、プエルトリコに行ってるし、今年の6月にはスペインからオファーが来ている。プロレスが持っている潜在能力の素晴らしさをすげえ信じてます」

そのうえで、さらに間口を広げたいと言う。たとえば、ものまね芸人が扮するレスラーとタッグを組む『Fー1(=FAKEー1)タッグチャンピオンベルト』なんかはそう。神無月演じる“武藤敬司”と組んで、小島聡・“三沢光晴”(byイジリー岡田)組と激突したりなどしている。はたまた、2007年の全日本プロレスをまるまる振り返ったDVDボックスも、その一環である。

「まあ、ものまねはファンサービスのひとつだけれども(笑)。でもこうして完成したDVDを観てみると、よくわかることがあるね。ひとつのことをやっている瞬間は“点”、その場しか見えていない状況。でも年間通してみると、それぞれの“点”が線となって、ドラマになっている。この素晴らしさは、プロレスの自慢できるところですね」

武藤を筆頭とする全日正規軍があって、それをつけ狙うブードゥー・マーダーズ。佐々木健介・北斗晶の健介ファミリーにおける究極のベビーフェイス・中嶋勝彦の成長物語に、アメリカのWWEでも活躍した世界のTAJIRIと鈴木みのるの因縁などなど、戦いの背景にあるストーリーが浮かび上がる。

個人的にも07年はいい年だった。

「春にチャンピオンカーニバルで優勝して、三冠戦では負けちゃったんだけど、試合自体は業界内ですごく高い評価をもらって。その合間にザック・ゴーウェンという義足のレスラーを招いたり。ちょうどアメリカのTNAという団体の配下の道場と付き合い始めていて、お互いの門下生を交換留学させたんです。そこでジョー・ドーリングっていう有望なパートナーも見つけたし。守りの姿勢でいたら、絶対に未来に向かって先細りしちゃいますからね」

プロレスラーである一方、全日本プロ・レスリング株式会社の代表取締役社長でもある。

自分の愛するプロレスは、いったいどこにあるのか

社長に就任したのは02年。それまで18年間過ごした新日本プロレスから、全日本プロレスに電撃的に移籍したのだ。

武藤敬司は「プロレスLOVE」を標榜する。明るく楽しく激しく新しいプロレスで、人々に勇気と希望と笑顔を与えるのだ。が、当時、所属していた団体から武藤の気持ちは離れていた。

「新日は従来のプロレスのあり方から離れて、どんどん格闘技路線に向かっていきましたからね。“それをそのままやったら、オレの培ってきた20年のキャリアが崩れるな”と思っていた。そしたら、そばに空き家があったんですよ。そりゃ中に入ってみますよね(笑)」

入ってみたら、実際にはそれほど快適ではなかった。方向性というより、根本の問題。すでに故人だったが、全日本プロレスといえばジャイアント馬場の団体である。そこにアントニオ猪木のところから来た男が「社長である」というのだから。

「大変でしたね。ぶっちゃけた話、全日本には“馬場さん100%”の人ばかりだった。そこでオレは新しいことに挑戦しようとしたんだから。“昔はそうじゃなかった”しか言われませんでした。会社の内部だけじゃなくて、お客さんからもブーイングでしたからね。“武藤が壊しにきた”という感覚で見られてたんでしょうね」

そんな超・外様状態でも全日本プロレスを選んだ理由は「そこにやりたいものがあったから」「新しいことを続けていかないと生きていけないから」。

「もしかしたら、昔の全日本のファンがいなくなって、入れ替わっちゃったのかもしれないね。就任早々にボブ・サップを招いた『WRESTLEー1』とか〈A BATHING APE〉とのジョイント企画とか、いろんなことをやりましたからね。失敗も…『WRESTLEー1』なんかは失敗かもしれないけどねえ(笑)。でも、あらゆる人々にプロレスの魅力を伝えたかったんですよ」

『WRESTLEー1』はかなりエンターテインメント性を前面に押し出したショー的なイベントだった。最近もプレイボーイチャンネルとのコラボで大人向けのイベントを打った。武藤のプロデューサー体質は一貫している。

「でもそれは、普段、オレの信じる教科書通りのプロレスをやっているから。汗をかいて体を痛めつけることもやってるからこそ、際立つと思うんです」

いま“LOVE”と言ってはばからない“オレの信じるプロレス”…それはいつ、いかなる形で獲得されたのか。

武藤が新日本プロレスに入門したのは21歳のときだった。およそ半年後にデビュー戦を迎え、ほどなくアメリカ武者修行に。若手レスラーが出世する黄金パターンである。おまけに24歳のときには映画にも主演している。

「オレはアメリカではい上がってやろうと思ってたの。周りにいた多くの日本人レスラーは、日本に戻ることを前提に毎日戦ってた。オレは違った。現地で結婚してもいいと思うような恋愛もしたし(笑)、完全にアメリカ人になるつもりでがんばってましたからね。でもね、苦労したとは思ってない。毎日が楽しくて新鮮だったから」

“スーパー・ブラック・ニンジャ”というキャラクターで戦っているところをメジャー団体であるWCWにスカウトされる。そこで、顔にペイントを施し、忍者装束に身を包んで口から吐く毒霧殺法と凶器攻撃で相手レスラーを地獄に送る“グレート・ムタ”が誕生。

「ノリですよ。期待されていることを実感してたから、それに挑戦することが楽しかった。自分で言うのも何だけど、プロレス界においては野茂クラスまではいった自負はあるな(笑)。スティング、テリー・ファンク、 リック・フレアーと並んで、オレ、アメリカの4強に入ってたんだからさ」

当時のムタをTVで観て憧れ、現在、マットで活躍するレスラーもアメリカには数多く存在するという。

しかし27歳で帰国。「どうあがいても、アメリカの美しくてゴージャスなプロレスには勝てない」と実感した。一方で「日本には力道山特有の泥臭いプロレスと浪花節の感覚がある」とも。

30代半ばでひざを故障したとき、引退後の生活を想像してみた。レストランを開くか、資格を持っていた柔道整復師をやるか…そこではたと気づいた。何をするにしても、35歳からのスタートでは他人に対して勝ち目はない。

「で、あらゆるものが淘汰されて残った答えがプロレスだった。この“村”で生きているときのオレには自信がある。ここでないと生きていけない。それがだんだん“プロレスLOVE”になった。もう一生この“プロレス村”に携わってやろうという強い気持ちになっていきましたね」

武藤は自分の試合のことを“作品”と称する。芸能界でも活躍するが、リングと立場はまったく違うという。

「俳優は、監督の指示で演出されるものでしょ。映画のなかのひとつのピースに過ぎない。でもプロレスの試合はドーム5万人の観客がオレひとりを観る。どう動くか、どんな技を繰り出すか…“カメラワーク”も“演技”もすべてオレの支配下にある。しかもライブだ。映画の感動は、演じてからずいぶん後に訪れるけど、プロレスはその場だからね。そこには最終的に自分の性格や背負っているものが出る。その説得力が大切なんだ。だからぜひライブで観てほしいですね。オレたちは絶対にリピーターにさせる自信がある。足を運んでくれたら絶対にプロレスを好きにさせる自信がありますよ」

1962年、山梨県生まれ。21歳で新日本プロレスに入門。同期には蝶野正洋、故橋本真也らがおり、闘魂三銃士として活躍する。22歳で初渡米、その後、アメリカFOXグループのメジャー団体WCWでグレート・ムタとして活躍。いまだに人気・知名度ともにアメリカではトップクラスである。現在でも、時折リングにムタは登場する。27歳で帰国後、新日マットで活躍。32歳のときには第17代IWGPヘビー級王者と、G1 CLIMAX王者に輝く。98年、ひざの故障と手術を経て復帰。ひざはその後、悪化の一途をたどり、いまもって90度以上は曲がらない状態にある。02年、全日本プロレスに移籍、社長に就任する。3月1日には両国国技館で『2008 プロレスLOVE in 両国 Vol.4』を開催。(問)全日本プロレス(Tel)03-3288-0610。『ものまねプロレス軍団VS全日本プロレス F-1タッグチャンピオンベルト争奪史』(3990円)と『全日本プロレスコンプリートファイル2007DVD BOX』(3枚組1万290円)は2月29日、ポニーキャニオンより発売。

■編集後記

20代の武藤敬司を象徴するものはアメリカ武者修行であった。マネージャーもつかず言葉もよくわからない状態でポーンと放り出される。そんななかでつかんだ確信…「やっぱりね、一歩出るか出ないかで悩んだときは、出ること。失敗こいてもね、失敗こいたという経験が得られる。出なかったら停滞してるだけ。何も起こらない。アクシデントのたびに知識や感性が磨かれていくと思う。一歩出るのは勇気がいるし、めんどくせえことなんだけどさ」。

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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