『国家の品格』でも絶賛してるけど…

武士道ってそんなにかっこいいモノじゃなかった!?

2006.06.22 THU

映画『ラストサムライ』の大ヒットに乗じて、武士道本が書店でバカ売れしたことは記憶に新しい。ようやくブームも収束したかと思えば、今度は200万部突破のベストセラー『国家の品格』(藤原正彦著・新潮新書)が武士道復権を熱く唱えている。曰く「民主主義より武士道精神を」。

でも、正義、勇気、忍耐、フェアプレイ精神など、いいこと尽くめなイメージで語られる「武士道」という考え方自体、じつは曲者だってことをご存じ?

たとえば、中世文学を専門にしている青山大学の佐伯真一教授によれば、現在のような清廉潔癖なモラルを表す言葉として「武士道」という用語が使われたのは、武士がいなくなった明治時代以降のことだとか。これは歴史学では、あったりまえの「通説」というから驚きだ。

同教授の著書『戦場の精神史』(NHKブックス)には、さらにビックリ&ドッキリなこんな一節が。
「軍記物語では、たとえば合戦の日時や場を定めるルールを破る奇襲や夜討ちは非難されないし、虚言を弄するだまし討ちでさえも必ずしも否定されない」

ま、たしかに戦に明け暮れていた時代では、キレイゴトだけじゃ生き残れなそう。では、だまし討ちOKな武士の価値観が、どうして「フェアプレイ精神」をモットーとする「武士道」に変貌したのか。

そのヒミツは、『国家の品格』でも言及されている新渡戸稲造の『武士道』にある。新渡戸『武士道』は、もともと英語で米国民向けに書かれたもので、それが日本に逆輸入されて大ヒット。ところが、その内容たるや、武士道本流からすると異端どころか「それまでの歴史からは断絶した、新しい『武士道』である」(同書)のだと。

つまり僕らがイメージしがちな武士道は、新渡戸稲造の理想の産物だったというわけ。それが今に至るまでこんなに影響力をもつとは。お札になる人はさすがに偉大でした…。

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