“流し”に憧れて弟子入りしてきました!

ギター1本で飲み屋街を歩くオトコ渡世とは?

2006.07.27 THU

新宿ゴールデン街。カウンターに10人も座れば満席になる小さなバーやスナック170店がひしめき合う、戦後のヤミ市に端を発する飲み屋街だ。この街で飲んでいると“流し”の姿をよく見かける。酔客がリクエストした歌を伴奏し、時には持ち歌も披露。朝礼もなければ会議もない。ギター1本のオトコ渡世。いいじゃないですか。

というわけで“流し歴”37年の鈴木勇二さん(57歳)に1日入門しました。おっと、入門したからには「先生」と呼ばせてください。宮城県生まれの先生は、演歌歌手を目指して16歳の時に上京。やがて、新宿を拠点とする流しになる。回るコースは西口の思い出横丁やゴールデン街など。

先生のなじみの店、ゴールデン街の「がま口」で待ち合わせて、まずはご挨拶。

「店に入ると外気との温度差でチューニングがずれるんだ。これが大敵でね」

まもなく、歌が始まった。

「飲ませてぇ~ください~もう少しぃ~」

あっ、それ知ってますよ。『氷雨』でしょう。朗々としたダミ声が店内に響き渡る。ギターは立てぎみに。狭いスペースで弾くことが多い流しならではの奏法だ。

「なかには音程を外す客もいるからさ、そういうときは歌のほうに伴奏を合わせるんだよ。稼ぎ? 昔はいいときで50~60万あったけど今はその半分ぐらいだな」

流しの最盛期は東京オリンピック(64年)のころ。当時、新宿だけで100人以上いたという。北島三郎や渥美二郎らも、じつは流し出身。その後、景気の縮小とカラオケの流行に押されるように流しの数も減り、現在、新宿には5人しかいない。

曲が終わると、先生、それまでとは違う真剣な目で僕を見つめてこう言った。

「このギターはな、俺ンだけど先輩方のものでもあるんだよ。わかるか?」

かくして夜は更けてゆく。戦後の活気と寄り添うように生きてきた流し。皆さんも、カラオケとはひと味違う“歌の心”をぜひ一度は体感してみてほしい。

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