「宇宙と歌舞伎は同じこと」

市川團十郎

2008.03.06 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA
宇宙と人間と歌舞伎。すべて同じである

「子どものころに火星の大接近がありまして、1957年に旧ソ連がスプートニク1号を打ち上げた。なんだかそれで宇宙に興味を持つようになったんです。“宇宙とはどういうところなんだろうな”と思って、屈折式の天体望遠鏡を買ってもらって、熱心に空を見るようになりました。同時に宇宙の構造についても関心を持つようになって…。以来、宇宙に興味を持ち続けているんです」

46年、江戸歌舞伎の元締めたる市川團十郎家に生まれ、現・十二代目市川團十郎。後の記者発表で番組プロデューサーが語ったところによると、“團十郎さんの宇宙好きを耳にして話をしに行ったら、意気投合してしまった”。

当の團十郎さんも「“なびげーたー”というものが何をするのかはわからなかったのですが、“宇宙のことなら!”と一も二もなく受けました」と笑う。

小学生時代に買った屈折式望遠鏡は、高校生になると反対式望遠鏡にグレードアップ。自宅には日本人の常として仏壇と神棚があり、中学からはプロテスタント系の青山学院に進んだ。そして團十郎さんは深化した。宇宙と人間と宗教について考えるようになった。

「人間はどこから来て、どこへ去っていくのか。宇宙も、どこから始まってどこで終わるのかがわからない。いまの科学ではビッグバンがまずあって、大きな火の玉が爆発して拡散することでいま宇宙は広がり続けていると。でもどこかで次の新たなビッグバンに向けて収縮していくかもしれない。膨張し続けるのか、いずれ収縮し再生するのか。宗教的に見るとキリスト教は前者ですよね。天国に向けて一直線に、“外”に行く。でも仏教は輪廻転生。宇宙の動きの解釈の仕方に、当然人間の生き死にや魂の行方も影響されるのだろうなって考えるようになっていました」

宇宙観には、歌舞伎に対する思いも加味される。7歳で市川夏雄として初舞台、11歳で市川新之助を襲名するが「いつのまにか宇宙と芝居を一緒に考えるようになっていましたね」。

歌舞伎俳優の家には、先祖代々受け継いできた特有の芸がある。市川團十郎家の場合、それは〈荒事〉。

「象を投げ飛ばしたり、呪術的な力があったり、いわゆる“超人間”的な演技のことなんです。そのパワーはいったいどうやって出せるのかをきちんと突き詰めることが、市川家の荒事にとっては大きな意味を持っている。普通の人間が単にワーッと力強そうなことをやっただけではおもしろくない。オーラや目に見えないパワーがないと、〈荒事〉という演技は成立しない。そこからもまた宇宙にたどり着いちゃった感じですね。人間の創造にとって、科学と情緒は両方必要だと、いつの間にか考え出したんだと思います」

もともと人生と宗教と歌舞伎と宇宙を一緒に考えてきたけれど、今回の番組取材のなかで、新たに歌舞伎と宇宙の共通点を見つけた。

たとえば宇宙服の密閉のさせ方。

「NASAの宇宙服は手袋と本体などの接続部分に金具を使っているんです。が、いま日本で宇宙服を研究している方は歌舞伎が好きで、鼓にヒントを得たとおっしゃってました。鼓を締める組紐の原理を応用されているんです」

なんば歩きと宇宙での動き方。なんば歩きとは、右手と右足、左手と左足を同時に出す歩き方で、スーッと腰が上下動なく進んでいくもの。

「アポロ乗組員の映像を見ていると、月では完全になんば歩きなんです! これは使えるな、と思いました(笑)」

こうしたことをひとつ語るたび、瞳がキラッ。本当に好きなのである。

さて、アポロ11号が有人探査機として初めて月に到達したのが、69年7月20日、この4カ月後、團十郎さん(当時・新之助)、十代目市川海老蔵を襲名している。当時、23歳。

驚愕の新法案と宇宙に揺れる心

実は悩める20代であった。19歳のときに父上である十一代目團十郎を亡くし、若くして市川家の当主となった。父上の命により、日本大学芸術学部も卒業している。必ずしも名跡は血縁が継ぐ必要はない、とも思っていた。

「日本の文化は、よく考えられているものだなと思います。名前が変わるのは一大事なんですよ。ゲームにおける“リセット”が襲名でできるんですよね。いまはそれが必ずしもいい方向に行かない場合も多いのですが…。名前が変わるということは、人格にも影響が表れる。“心機一転”という想いが出てくる。“ここまで役者をやってきて、やめることはあるのか”とか“純粋に、この後、自分はどうすればいいのだろう”なんて迷いがいっぱいありました。でも、襲名で名前を変えたことによって、まっさらな気持ちになれた。そして精神がグッと引き締まったんです」

そして、驚愕の提案。新法律だ。

「昔は幼名があって元服して、家督をもらうときにも名前が変わった。いまは戸籍の名前を変えたりしないですよね。だから、“迷える男性は20代から30代の間に名前を1回変えてもよい”という法律を制定すればいいんですよ。2回はダメだよ(笑)。私の精神にとっては、襲名というのはいいシステムでしたね。“もう一回やろう”というファイトが湧く。そんな気持ちで20代はやってこられたと思います」

それと先祖を意識すること。

「たまたま私は歌舞伎役者という環境に生まれちゃったわけで、先祖が何をしていたかは記録が多く残っているんですね。そこはやはり調べますよね」

38歳で十二代目團十郎を襲名、もちろんここでも大きなリセットが行われたわけだが、いまのように死生観を強く意識したのは04年、白血病に倒れ、闘病を繰り返して以降。

「私という人間を60兆の細胞が支えて、生かしているわけです。みんなが私を助けてくれているという意識で生きている。だから一所懸命です。ただ、とくに外国で公演などをさせていただいて気づくんですが、いまの日本人は自分たちにプライドがあまりないようなんです。あなた自身は大したことをやっていないかもしれないけれど、あなたにはお父さん・お母さんがいて、さらにおじいちゃん・おばあちゃんがいる。七代も遡れば、先祖は100人を超えます。そういうことを再認識すれば、おのずと足は前に出るでしょう。私はやはり、日本人として生まれて良かったと思いたい。そのために歌舞伎を続けていきたい。世界の方々からも“日本は、古い文化を踏襲しながら、世界最先端の技術を持ち、うまく調和している”という声を直接耳にします。私どもは、古い文化をひとつの旗頭としてがんばりたい。一方で先端技術を担う方々にもがんばってほしいですね」

月に向かう最先端の技術を知るに、團十郎さん、「もう少し若くなりたいなとつくづく思いましたね」とポロリ。「15~17世紀の大航海時代、あの宇宙版が目の前に来ていると思うんですよね。かつての冷戦時代の国家の威信をかけたショーではなくて、具体的に月を港として宇宙に出ることが行われ始める時代。いいですねえ」

またもや、瞳がキラキラッ。

1946年8月6日、東京生まれ。7歳の10月、市川夏雄として『大徳寺』の三法師で初舞台。11歳の5月、『風薫鞍馬彩』の牛若丸で六代目市川新之助を襲名。65年、十一代目の死去にともない、市川家の当主に。69年、日大芸術学部卒業。同じ年の11月、『助六由縁江戸桜』の助六、『勧進帳』の富樫などで十代目市川海老蔵を襲名。85年4~6月、3カ月におよぶ襲名披露公演で『勧進帳』の弁慶、『助六』の助六などを演じ、十二代目市川團十郎を襲名。86年、1月 日本俳優協会の理事に就任。99年4月、伝統歌舞伎保存会理事に就任。04年、白血病に倒れ、復帰するも翌年再発。療養生活に。06年5月、復帰。07年3月、パリ・オペラ座で公演を敢行。ナビゲーターを務める『THE MOON ~人類の夢・月世界の未来~』は3月8日午後9時よりBSジャパンで放送。

■編集後記

リセットしたがゆえに一層歌舞伎にのめり込んでいた。先祖の資料をひもとき、研究を重ねた。「やっぱり当時は相当理屈っぽかったですね。20代の後半にもなると、先輩に対しても“あれじゃあいけない”とか思うわけですよ。自分のことはさておき(笑)」。その後、十二代目市川團十郎を襲名するのは38歳のときだが、実は30代前半にも襲名の打診は来ていた。このときも大いに悩み、“ことによっては別の俳優が継ぐべきなのでは”とさえ思ったという。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
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