「刺激が多過ぎて記憶がグチャグチャ」

石野卓球

2008.03.19 WED

ロングインタビュー


藤井たかの(steam)=文 text TAKANO FUJII 稲田 平=写真 photography PEY INADA
歌いたいメッセージがそもそもないので

石野卓球。この人を食ったようなネーミングの持ち主は、電気グルーヴのボーカリストであり(相棒はピエール瀧)、個人の顔としてはテクノDJとして世界的に活躍している。一般的には97年のヒット曲「Shangri-La」で知られ、木村カエラの新曲「Jasper」の作曲とプロデュースも担当。現在放送中のアニメ、『墓場鬼太郎』のテーマ曲「モノノケダンス」が最新シングルである。

「『墓場鬼太郎』のテーマ曲の依頼があったときは、てっきりエンディングテーマだと思ってたんですよね。ちょうどストックの曲のなかで妖怪っぽい雰囲気のものがあったんで、その曲に歌詞をつくって。で、いざオンエアを見たらオープニングだった(笑)」

電気グルーヴを知らない人に、その音楽性を説明するのは難しい。簡単にいうと、電気を使って作るグルーブにギャグとセンス溢れる歌詞をのせた独特の世界観。ダンスでもテクノでもクラブミュージックでもなく、ピエール瀧によるライブパフォーマンスが秀逸で、まあともかく唯一無比の存在である…やはり説明は難しかった。

そんな電気グルーヴが8年ぶりにニューアルバムをリリースする。タイトルは『J-POP』。その名の通りすんなりと耳に入ってくる、ポップで軽快な電子音楽。しかし、歌詞は“給料全額 非通知攻撃”“寝言で絶叫「女子校最高! 」”…ツボにハマると笑ってしまう。

「歌詞はなるべく、聴いた人の心の中に残らないようなものにしようと心がけてます。もともと歌いたいメッセージがあって歌うならいいんですけど、伝えたいメッセージも特にないので」

多くのミュージシャンが内に秘めた思いを表現する手段として音楽を選ぶのに対し、卓球は違った。歌詞よりも音。それも電気を使った音―。

自転車やのこぎりを使って自宅録音をはじめる

初めて自分で音楽を作ったのは小学生のころ、静岡の自宅でだった。

「今みたいにコンピュータとかなかった時代で、ラジカセ2台を使ってましたね。カセットでなんか録音して、それをもう1台のカセットを流しながら録音する。それを延々と繰り返して音をつないでいったのが最初ですね」

中学校に進んでからは、多重録音はさらに難解に…。

「ちょうど、ニューウェイブ全盛の時代でドイツの“アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン”とか、ニューウェイブのなかでもアヴァンギャルドなグループが楽器を使わないで実験的な音楽をつくる流れがあって。たまたまうちのオヤジが建設業で、家にチェーンソーやのこぎりとかいっぱいあったんです。それを部屋に持ち込んで叩いたりして音を出して録音して。親からしたらワケわかんないっスよね。ふすま隔てて隣の部屋でのこぎり使って“ウィィーン”ってやってるんだから。病院に連れて行かれそうになりますよね(笑)。でも、本人は音楽をやっているつもりなんです」

高校時代になると、友人らと一緒に電気グルーヴの前身となるバンド「人生」を結成する。20年来の相棒となるピエール瀧と出会ったのもこの時期だ。ハードコアパンクが主流だった80年代のインディーズシーンで「人生」は“異端”だった。ポスターカラーを使ってグチャグチャな白塗りメイクをした団体が曲にあわせて踊る。ステージに楽器はなく、自転車やハードルが置かれていた。夜中、頭に地球儀を付けて街を徘徊するパフォーマンスまで!

「素顔が恥ずかしかったからでしょうね。あと、外見的にショッキングだったらなんでもいいっていう(笑)。自分たちはバンド演奏のつもりだったんですけど、世間一般ではバンド演奏と呼ばなかったみたい」

「人生」は、当時インディーズブームの中核をなしていた「ナゴムレコード」からソノシートを発売。と同時に上京する。メンバー交代を繰り返しつつ、最盛期にはワンマンで500人を集めるほどの人気を得たが、メジャーデビューの声はかからなかった。正直、メジャーを意識はしていた。折しもその時期、日本に上陸しつつあったアシッドハウスやヒップホップなどの新たなダンスミュージックに注目。「人生」のサウンドに取り入れようと試みるもうまくいかず、メンバーの帰郷をきっかけに、バンドは解散する。

89年、22歳のときのことであった。

見るもの聴くもの全部新しく刺激に満ち過ぎた20代後半

「メジャー志向ではなく“音”的に自分が納得できるものをやろう」

同じ年の8月、卓球はピエール瀧らと電気グルーヴを結成する。そして、偶然連れて行かれたクラブでハウスを体験してからは、なんだかもう一気。音楽に対する真剣な気持ちが甦り、レコードやCDを買いあさり、「人生」ではうまくいかなかったラップを取り入れることにも成功。ものすごいスピードで新曲が生み出された。とうとう91年に『FLASH PAPA』でメジャーデビュー。このときのレコーディングがマンチェスターで行われたのを機に、石野卓球のヨーロッパ行脚がはじまる。

「遊んでただけなんだけどね。最初はロンドンで。それからベルリンに行くようになって。当時はベルリンの壁がなくなった直後で、街も混沌としていて、東洋人もほとんどいなかった。ベルリンって芸術とかにすごい寛容な街で、最初に行って思ったのが、“変わり者が変わり者として生きられる街”。たとえば東京で変わり者が歩いてたら、“あいつヘンだ、ちょっと避けよう”みたいになるけど、向こうでは、変わり者でも説得力があれば“その人のライフスタイルだし、表現だからOK”みたいになるような感じがあって。異様に水が合ったんです」

ヨーロッパのなかでもベルリンはクラブカルチャーがもっとも盛んな街だった。90年代に同時多発的に広がるテクノミュージックを卓球は貪欲に吸収し、自身のサウンドに取り入れた。海外のアーティストとの交流も増え、95年には電気グルーヴの「虹」がベルリンのレーベルからリリース。DJとしてヨーロッパに行くことも増えた。

そもそもテクノミュージックは歌詞がないインストゥルメンタルが中心だ。音だけ聴けば誰が作っているかは分からない。だからこそ、日本人である卓球がヨーロッパで違和感なく受け入れられたともいえる。これがもしロックなら話は違っていたかもしれない。そして、99年には日本最大規模のレイブパーティ「WIRE」を主宰。まさにこれこそ卓球の作ってきた“道”といえる。

「あのころの記憶ってゴチャゴチャになってるんですよ。25~30代半ばぐらいまではとにかく刺激がすごく多くて、やりたいこともいっぱいあった。外(海外)からの刺激もあるし、見るもの聴くもの全部新しいっていう。そのへんもあって、時系列がグチャグチャで、1年という単位もなくて」 

R25時代は刺激の連続。きっと本人のキャパを超えるほど“楽し過ぎた”のだ。順調に進む一方、イベント規模やムーブメントが大きくなり過ぎることに、ストレスも感じそうだが…。

「ややこしいことも多少あったと思うんです。それをクリアするには責任感を感じないこと。責任感を感じてたらやってられないッスよ。誰かのためとか、なにかのために自分が動いてるって思うと損した気になるじゃないですか(笑)。なるべく自分本位で考えて、自分も楽しければ他人も楽しい」

そして気がつけば40歳になる。

「亀田のオヤジのふたつ下でバカボンパパのいっこ下じゃないですか。そう考えると、まだまだ全然いける(笑)。ひとつ上とふたつ上にそういう人がいるから、まだまだ大丈夫。ほっとしますよね。でも、バカボンパパを追い抜いたときはまた恐い(笑)」

刺激に溢れた時代と今とでは、力のかけ方が変わってきている。

「25~35歳まではなんでも手当たり次第口の中に入れていて。30代後半になって、もうちょっと要領がよくなってきた。若いころにはがむしゃらに進むパワーがあるけど、経験を積むとそれが無駄に思えてくる」

それは、衰えとは微妙に違う。確かに体力は衰えてはいく。しかし。

「雑食だったのが少し食べるものが狭まってきて、その分もっと深いことができるというか。より自分のためにエネルギーを使えるようになったし、モチベーションの高さはずっと変わってないんじゃないですかね」

1967年、静岡県生まれ。小学生で自宅録音をはじめ、80年代はインディーズバンド「人生」で活動。「人生」を解散後、89年にピエール瀧らと「電気グルーヴ」を結成し、91年アルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビュー。95年にベルリンのレーベル〈MFS〉からシングル「虹」をヨーロッパでリリースしたことをきっかけに、DJとしてもヨーロッパを中心に活躍。97年リリースの「Shangri-La」、アルバム『A』は国内で約50万枚の売り上げを記録。99年には国内最大級の屋内レイブパーティ「WIRE」を主宰する。01年に活動を休止してソロ活動に専念し、04年に活動を再開。4月2日に電気グルーヴとしては8年ぶりのニューアルバム『J-POP』をリリース。BEAT CRUSADERS・ヒダカトオルや篠原ともえなど多彩なミュージシャンが参加

■編集後記

マンチェスターでのレコーディングをきっかけに、ロンドンやベルリンのクラブに遊びに行くようになる。「行く前は多少の不安もあって実際に恐い目にもあったんですけど、それよりもこれから起こることへの好奇心や期待感の方が完全に勝っていましたね」。英語もあまり勉強しなかった。「たとえ英語が話せなくても黙っているのはやめようと思って、相手がキョトンとしてもなにかしらの玉を投げてました」。10年経ってみれば英語が話せていた。「必要にかられると覚えるもんですよね」

藤井たかの(steam)=文
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