「一生ヒーローを演じたい」

古谷 徹

2008.04.10 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
声優を仕事にすること。自覚して得たふたつの勲章

児童劇団で子役として『マグマ大使』や『ウルトラQ』のガラモンの回などにも出演していた。声優として本格的にデビューするのは1968年の『巨人の星』。主人公の星飛雄馬役である。

「中学3年生から高校3年生までやりました。“天才とは99%の努力と1%の素質である”。これは父ちゃん(星一徹)が花形満を表現した言葉です。“バカ正直こそ尊い”とか、坂本龍馬を称して “死ぬ時はたとえドブのなかでも前のめりでいたい”とか。いいセリフだらけです。多くのことを教わりました」

番組終了後、児童劇団を辞め、大学に進学。卒業までは芸能活動をほぼストップした。「子役って大人の俳優に脱皮するのがすごく難しくて」というシビアな視点を持ち、「児童劇団という親の望んだ道を歩んできたので、これからの人生や職業を冷静に考えたい」と思ったから。中学時代から好きだった音楽の道を模索し、本格的にレッスンも。折しも第一次オイルショックのさなかで、人気の職業は公務員。だが、古谷徹が選んだのは元いた世界だった。

「『巨人の星』がすごく大きな存在だったんです。お芝居の難しさや達成感を知ってしまったので“捨てられない!”と。不安定な時代だったけど賭けてみたいなと思って、就職する代わりにプロダクションに入ったんですね」

24歳のときには声優仲間でスラップスティックというバンドを結成。ライブを行い、アルバムもリリース。夢が叶ったその一方で、古谷徹、声優としては焦る。飛雄馬の存在にとらわれて役柄が“熱血”に偏ってしまったのだ。

「“やってやるぜ!”なんてセリフを言うと、“これは飛雄馬だ!”って自分でわかるんです。キャラクターが違うんだから、声もお芝居も違わなきゃダメなのに。こんなんでプロといえるのかすごく不安で。でも、世間では“星飛雄馬の古谷徹”なんです。だからなかなか違ったキャラクターが来ない。なんとか打破しなきゃと思っていたときに、僕はアムロと出会ったんです」

内向的な、どちらかというとオタク体質の15歳の少年。ガンダムに乗るのだって、自らの意志ではなかった。

「肩の力を抜いて普通の日常会話のようにしゃべりました。それまでの飛雄馬のイメージから脱皮したいと思っていたんです。これをやり遂げることができたら、何とかなるんじゃないかと」

そして冒頭のセリフである。

「そのときのアムロはすごくいい目をしていた。演じる側としては、やっぱりそれまでの迷っていたのとは違う気分でセリフを言わねばなりません。映像を見て僕は思ったんです。“あ、ここで少年から男に脱皮したんだな”って」

最終回、シャアとのア・バオア・クーでの決戦から帰還するアムロは言う。“まだ僕には帰れる所があるんだ。こんなうれしいことはない”。

「これが僕の仕事なんだ、と。アムロをやり遂げて、プロとして自信がつきました。まったく違うふたつのキャラクターを演じて、幸せなことにヒットもした。ふたつの勲章みたいなものを手に入れることができたんですから」

放送終了後、ガンダムは一大ブームとなり、古谷徹自身も人気を得て、アイドル的に人前に出る機会が増えることになる。ソロアルバムもリリース。

「ちょっと天狗になってしまいました。このままいったら矢沢永吉になれるかも(笑)、って思ってたんですが…」

結論から言うと、古谷徹は自分で自分の音楽活動に引導を渡すのだ。

30歳の自分が一生を決める。が、進化/深化は止まない

“男は30歳のときにやっていることが一生を決める。それまでは自分に投資だ”。人気絶頂でノリノリのとき、ある人にそんなことを言われた。

「音楽は楽しくやっていました。子どものころからの夢でしたし。でも、ついに30歳になっちゃうというときに、改めて自分の置かれている居場所を振り返ってみたんです。当然まだ矢沢永吉にはなれていません。レコードを出せたのはなぜか? 声優をやっていたからです。自分が求められて自分自身を生かすことができるのは何か? 声優という仕事なんです。だから、音楽は趣味のレベルでいいや、って」

ラストアルバムを作ってきっぱりやめた。アムロからもうひと区切り。ここで、声優への向き合い方が変わった。たとえば『聖闘士星矢』(86年)の星矢はオーディションで手にした役だが…。

「原作は全部読む。キャラクター表や、手に入れられる資料は全部もらって情報をインプットする。そのうえで役作りを考える。星矢のときは、僕は星矢と同じ格好でオーディションに行きました。さすがに聖衣は着てないですけど(笑)。赤いTシャツにスリムのブルージーンズで、赤のリストバンドをして。そうすると自分自身の気分を上げ、意気込みも訴えられるわけです」

『ドラゴンボール』(86年)のヤムチャ、『きまぐれオレンジ☆ロード』(87年)の春日恭介、『美少女戦士セーラームーン』(92年)の地場衛…印象的なキャラクターたちと古谷徹を結びつけてきたのは、こんな真摯な姿勢だったのだ。

同様に、『カーグラフィックTV』などにおけるナレーションの仕事の取り組み方にも鬼気迫るものがある。

「音楽と映像とナレーションを絶妙なタイミングで知覚すると気持ちいいんです。“この文章はこのカット内に収める”という制約が結構あるんですね。もちろん意味も把握したうえで伝えなければならない。それらを守ったうえで映像と音のコラボレーションを心がける。カットの切れ目にはなるべく文章をかぶせないようにしています。あえて数秒の間をおいて、音楽が次の小節の頭になるところに合わせて文章を読んだりもします。そうしてできたものを見るとすごく気持ちいいんです。だから必ずナレーションのときは音楽を先に入れてもらうんです。それで小節までカウントして“拍”を意識しながら、“よしここで次の文章だ!”って。それを実現しつつ、“声”としてはインテリジェンスと男の色気を盛り込んでいきたいと考えています。あらゆる制約をクリアしつつ、どこまで実現できるか…プロとしての醍醐味ですね」

そう、プロである。プロであり続けたがゆえに実現したプロジェクトがある。これまでに演じたキャラクター6人へのトリビュートアルバムだ。

「僕の思い入れとズレのない世界観の作品ができました。ディレクターも超ガンダムファンですし、ほかの作詞・作曲家のみなさんも“これこれこういうキャラで~”って説明するまでもなく“観てました!”とか“原作全部持ってます”って言ってくださって」

そもそもこんなアルバムが成立すること自体がマジックだ。まず熱狂的なファン以外はあまり声優のことを知らない。また演じられたキャラクターが何十年も記憶に残ることは少ない。

「本当にキャラクターに感謝ですね。このアルバムを制作し始めてからはよけいに感じました。スタッフのみんながファンの立場でいてくれるわけです。だから“期待を裏切りたくない”という想いを、自分のことのように感じてくれていて。まるで“父ちゃん!”みたいに徹底的にしごかれました。声優の片手間ではいけない。どんな人が聴いても、ミュージシャンとして“いいじゃん”と思ってくれるところまでレベルアップしたかったんです」

古谷徹自身が、キャラクターに扮することなく自身の声でキャラクターへの想いを歌う。実はこのアルバム、声優生活40周年を記念したものだ。それで、封印したはずの音楽に、かつてないほど本気で取り組むことになったわけで…。40年というと、普通のサラリーマンならもう定年していてもおかしくない年齢だ。それでも古谷徹は言う。

「いま目指しているのは、“もっと聞いていたいな”と思ってもらえること。僕はウインドサーフィンやスキーに行って感じるんです。波の音って気持ちいいなあって。風のざわめきとか小川のせせらぎ、ときには雨の音もいいですよね。きっと万人にとって心地よい音が自然界にはあるんです。それをなんとか声に盛り込みたいと。まだ試行錯誤中ですけどね。あとは、やっぱりここまで来たら、一生ヒーローを演じていきたいと思います。夢を持って、どんな困難にも何度でも立ち向かって、前へ前へ突き進むのがヒーロー。自分自身もそうありたいと思っています」

横浜市生まれ。1968年、中学3年生のときアニメ『巨人の星』の星飛雄馬役で本格的に声優デビュー。以来、アムロ・レイ(『機動戦士ガンダム』)、東丈(『幻魔大戦』)、ヤムチャ(『ドラゴンボール』)、ペガサス星矢(『聖闘士星矢』)など数多くのキャラクターを演じる。ナレーターとしては『カーグラフィックTV』『機動戦士ガンダム00』など。声優生活40周年記念アルバム『HEROES~to my treasure~』はエイベックスより発売中。

■編集後記

ヒーローを演じる機会は30代半ばを過ぎると年々減ってきたという。だがつい2年前、新しいヒーロー像に目覚めた。「時田という、体重200kgはあろうかという巨漢を演じたのがきっかけです。僕はヒーローのルックスにもこだわっていたので、お断りしたんです。そしたら“少年を演じてください”と。それでお受けしたんですが、演じていても違和感がありました…」。ところが各方面から大絶賛。「演じ方ひとつでヒーローになれるんだと」

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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