「その時の素敵な気持ちが、今も続いてる」

鮎川 誠

2008.04.24 THU

ロングインタビュー


平山雄一(steam)=文 text YUICHI HIRAYAMA 稲田 平=写真 photography PEY INADA スチ…
ロックは職業でありながら、生きるすべでもある。

初ステージは夏休みの終わり、久留米市民プールのプールサイド。

「みんな勝手に泳いでいる脇でやったんだけど、世界中が自分を見つめてるような快感を味わった」

真面目に通学していたのが、バンドのために学校をサボるようになる。田舎ではロックかぶれには風当たりが強かった。しかし先生に長髪を怒られても、「髪を切るくらい平気。そんなことじゃ俺の火は消えなかった」。

鮎川はロックの道を爆走する。久留米のダンスホールに演奏に来ていた博多のプロのバンドに出会い、さらに知識を吸収する。結果、ギターは上手くなったが受験に失敗して浪人。が、現実的に考えると、大学生の身分を得た方がロックを続けやすいと気付き、それをモチベーションに変えて、翌年、国立の九州大学に合格。入学式の晩に早速、中洲のダンスホールに直行した。

学生運動全盛の68年6月、米軍機・ファントムが大学の電子計算センターに墜落、機体が校舎に突き刺さった。紛争の激化も相まって、授業はほとんどなくなった。それをいいことにバンド三昧。ロック好き団塊世代の典型的な生活パターンである。やがて現在の細君であるシーナと出会い、その晩から一緒に住むようになる。

70年、22歳でサンハウスを結成。日本語のロックがほとんどない時代に、九州の雄として名を馳せた。74年、サンハウスは日本のロックフェスの元祖『郡山ワンステップ・フェスティバル』でジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドと共演。感激はひとしおだったという。75年には博多在住のままメジャー・デビュー。しかし「サンハウスは、メンバーの望みが高かった」。それが解散につながる。

「ニューヨークにベルベット・アンダーグラウンドがいるように、博多にはサンハウスがいる。それでやれたらどんなにかっこいいだろうと話し合ってた。ロック名言集に載るようなセリフを吐くことばかり考えてた。そんなことをしてるうちにメンバーもいい歳になってきて、生計のことも考えないといけなくなっていって…」

鮎川 誠は30歳になろうとしていた。

18歳のまま。歳は関係ない。でも歳を知ることは大切

「初めて自分の年齢を意識した。シーナの父親に呼び出されて『そろそろ娘を幸せにしろ! 未練たらしくロックをやってるのは、それこそかっこが悪い。あんたの腕がどれほどのものか、東京に行ってはっきりさせてこい』って。確かにそうだった。仕事にありつけるのかどうか―サンハウスのときとはそこが違ってた。ダメやったらしょうがない」

今からちょうど30年前、鮎川はついに上京を決意する。追って上京してきたシーナがスタジオで試しに歌ったところがディレクターに認められて、“シーナ&ロケッツ”(=シナロケ)としてデビューが決定。続いてコステロの来日公演のオープニング・アクトの幸運が舞い込む。そのライブを見ていた高橋幸宏が細野晴臣に紹介して、YMOのライブ・セッションに参加。細野プロデュースでアルバムを作ることになる。

そのころの彼らのステージを新宿ロフトで見たことがある。ニューウェーブやパンクが全盛の時代とはいえ、ある種異様なライブだった。ストーンズの「サティスファクション」のカバーで、あの有名なリフを鮎川は身体を痙攣させながら弾いていた。当時、最もヒップだったテクノバンドDEVOがこの曲を同じアレンジでカバーしていたことで、後にシナロケがこれをパクッたと取り沙汰されることになる。が、確かシナロケの方が早かったはずだ。パクったパクられたという話ではない。世界の最先端のバンド同士が同時に同じアイデアを持つという音楽のシンクロニシティの不思議! シナロケは間違いなくあの時代のシーンのトップを走っていたのだった。

CMタイアップが決まったシングル「ユー・メイ・ドリーム」が大ヒット。シーナ&ロケッツはカリスマロックバンドの名乗りを上げた。

それから30年。浮沈はあったものの、鮎川はあの少年の日の思いのまま一直線にギターを鳴らし続けている。

「ロケッツになってからは、一回一回のライブが“これが最後。次にお客さんが来てくれるかどうかわからない。もうステージに立てなくなるかもしれない。できることは今日やっておこう”と思うようになった。その思いが今日までロケッツを引っ張ってくれた」

8年ぶりとなる最新アルバム『JAPANIK』はオリジナルはもちろん、ロックの名曲や細野晴臣の傑作「Pom Pom蒸気」などのカバーを含む会心の作になっている。

久々のアルバム・リリースの歓びを隠すことなく、鮎川はトレードマークの黒いフレームの眼鏡越しににっこり笑ってこう言ったものだ。

「59歳と11カ月になった男が言う。数字としての年齢は関係ない。今、自分が何をやりたいのかが大事。ただ自分の年齢を知っとかなイカン。今の25歳の人に言いたいのは、これからの日本を良くしてほしいよね。目を黒うして、世の中のことを見張ってたらいい」

ロックンロール・ダンディのセリフは、どこからどこまでもかっこいい。

1948年5月2日、福岡県久留米市生まれ。ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー。66年のビートルズ日本公演をきっかけにバンドに目覚め、九州大学進学後に本格化。福岡市内のダンスホールで専属バンドとして活動。70年にはサンハウスを結成。75年に在博多のままメジャーデビューを果たすが、78年に解散。同じ年、上京し、シーナと共にシーナ&ロケッツを結成。10代のころに得た脳内のスパークをそのままに、今年30周年を迎える。鮎川は俳優としても活躍、主演作『ジャージの二人』は7月、恵比寿ガーデンシネマ、新宿ガーデンシネマほか全国ロードショー。そして8年ぶりのアルバム『JAPANIK』をリリース。

■編集後記

「就活する友達を横目にバンドに夢中やった。大学7年目のある日、教授からこのままだと今年で放校処分だからって呼び出しがあった。で、会いに行ったら『学生の間でサンハウスが人気なのは知ってます。もしまだ卒業する気があるならこの本の感想文を書けば卒論と認めてあげます』と言って一冊の詩集をくれた。その配慮が素直に嬉しかった。江戸時代の農民詩の本で、文字を習えなかった農民がどんな風にして詩を書いたのかを調べて書いて出したら卒業させてくれた」

平山雄一(steam)=文
text YUICHI HIRAYAMA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
スチーム=編集
editorial STEAM

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