「“もっと向いている何かがある”って、ずっと思ってきた」

水谷 豊

2008.05.22 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA …
歌でいい世界に行けなかった。だから今度はいい世界に

ここ3年ほど、ずっと口説かれていたのだと言う。音楽活動を共にしていたディレクターとはつきあいが続いていて、ことあるごとに「もう表現できるんじゃない?」って。

「僕のなかにはずっと“歌でいい世界にはいけなかった”という思いがあったんですよね。役者ですから“そんな世界に行く必要はない”って踏ん切りをつけたつもりだったんですけど、内心には“いけなかったんだ、オレは”という気持ちが残っていたんですね」

アルバムは13曲のセルフカバー。

「歌にもストーリーと背景があって男と女が登場するわけですが、昔はそれをなぞっていたように思います。芝居の場合はダメだとわかるんですが、歌は、歌うことで精一杯だったんです。今回は、歌う前にディレクターと一曲一曲の世界観について話し合いました。自分の中で画が見えるようになったんです。たとえば『やさしさ紙芝居』ならば“今も北野先生は北海道の牧場にいて元気に違いない”とか。その作業をきちんとしたから、自分がどういう状態で歌に入ればいいかがわかりました」

いわば“役作り”。しかもここからが面白い。右の「やさしさ紙芝居」はドラマ『熱中時代(教師編II)』の主題歌で、当然ながら曲の主人公もドラマと同じ北野広大先生ということになるが、すべての曲で主人公たちの現在を考えた。

「二十年以上前の歌でも、懐かしさを伝えるだけでなく、今を生きている感じになればと」

ヘッドフォンをしたまま、レコーディングスタジオで動き回ったのは、水谷豊ならではの“表現”だったのだ。

「レコーディングのときは、その世界に入り込もうとしているんです。ちょっと壊れる、自分を解放するような覚悟ですね。でも終わった途端に恥ずかしい(笑)。芝居をしているときもそうなんですけど、普段はそんなことできるなんて思わないんですよ。出来上がった作品を見ると“よくできたなあ”と自分で思うことがあります」

そういう意味で、今回、音楽は芝居とよく似た世界に到達し得たのかもしれない。ただ、水谷 豊、そもそも俳優が自分に適した仕事とはずっと思えなかったと言う。つねに考えていたのは「もっと向いている世界があるはず」。

本当に向いている世界を求め続けて

小学生のころは東京立川市の住人で、米軍人を夫に持つご近所のカヤマさんに大層かわいがられた。当時、アメリカのドラマが全盛だったが「それがフィクションなのか現実なのか僕にはわからなかった」。何しろ画面の外にもアメリカ的な世界があったから。

テレビの中に行きたい豊少年に、カヤマさんが勧めたのが児童劇団。中学2年生のときに『バンパイヤ』という作品で主役に抜擢される。が、高校時代に、一旦役者を廃業するのだ。

「経験としてはもういいかなと。自分にはもっと向いている世界があるはずだと思って、アメリカの大学を受けることに決めました。ところが父親の会社が倒産してしまうんです。結局、東京の学校を受けるんですが…」

失敗。アルバイトをしながら浪人することを決意。そんな折、あるプロデューサーから声がかかる。後に火曜サスペンス劇場を作る、日本テレビの小坂 敬。

「ドラマに出ないか、と。どっちにしてもバイトをしなければいけなかったんです。僕なんて大したギャラではなかったのですが、他のバイトに比べるとやっぱり破格なんですよ(笑)。完全にアルバイト感覚です。でも、ひとつ“バイト”をすると次が決まって」

復帰して10年以上も「もっと向いている世界がある」と思い続けていた。

「どんな役でも、芝居というものは、まるで自分と違うものではないんです。自分のなか、ときにはイヤな部分も含めた一部を取り出して色濃く見せる作業なんです。それがとても恥ずかしいんですが、観た人が喜んでくれることで唯一バランスが取れます。僕自身が欧米の映画を観て心を動かされるわけですけど、同じことが僕の作品を観た人にも起きているのを見ると、もちろんうれしい。でも一回一回わからないまま懸命にやってるんです。自分自身のなかに確実な世界としてはないんですね。やってるときはいいんだけど、ふとそこから出たときに“これ、続けていていいんだろうか”と…この時期が長かった~(笑)」

演じた役に対するレスポンスを得るのはうれしい。やってよかったと思う。だが、次はまた元の通りに戻る。

「そうですね。たとえば『傷だらけの天使』の後は、亨みたいなキャラクターを続けてほしいという声が高まるわけです。でもそれは違うんです。もしかして、僕が“この仕事を続けること”を第一に考えていたなら、期待に応えるために続けたのかもしれませんが」

“アニキ”の修に、いっつも金魚のフンみたいにくっついていた心底バカで寂しがりやのチンピラ・亨を演じた『傷だらけの天使』が74年。大らかで子どもが大好きで一所懸命な小学校の先生・北野広大を演じた『熱中時代』は、そのわずか4年後だったのだ。

「32~33歳ごろには2年近く撮影も何も入らないということがありました。オファーがあってもなんにもしたくない。そもそも、この仕事はひとりではできません。いい作品にしようと思ったら、自分がより良くありたいと思ったら、いい人と出会っていかなければいけない。僕はずっと揺れていながらも、ずっといい人に出会ってきたんですね。でも30歳過ぎ。若さはあってももっともっと若い人はたくさんいる。大人かというと、上を見るとちゃんとした大人がいる。本当に自分はこれでいいのか…別の世界の可能性を探していた僕が“俳優でいくのか否か”にいちばん苛まれた時期でした」

そして、そこから救い出してくれたのは、小坂 敬という“いい人”だった。

「『悪いようにはしないからさ』って。浅見光彦というキャラクターをシリーズにするからやれって。プロデューサーとして唯一の失敗は僕を好きになったことだって言ってくれるような人です。俳優を好きになると冷静にドラマを作れなくなるからっていう意味らしいんですけど、そんな敬さんがそこまで言ってくれるならと、またやり始めました…そしたら、なんかフッといい状態になったんですね」

俳優を自分で続けるか否かは決められないという考えは変わらない。でも。

「できる限り続けたいと思うようになりました。(伊藤)蘭さんと結婚して娘ができたときだから40歳手前。時間がかかったねえ(笑)」

向いていない、きっと何かがあるはずだ、という思いは水谷 豊という存在を、きっとグイグイ広げるのに役立ってきたに違いない。しかも“広げたい”という野心など持っていなかった。心底さまよったことが重要だったのだ。

「自分のなかって、わかっているようで、わからないものなんですよね。それは宇宙みたいなもので、本当に何が出てくるのかわからない。世の中ではいろんなことが起きて、いろんな人がいますけど、そういうのが全部自分のなかにあるんじゃないかと思うくらい。まだ発見していない自分があるというか…まあ、発見のために新しい作品に出演しようとは思いません。もし心がけていることがあるとするなら、かつていろんな作品を観て僕が心を動かされたように、それと同じことを僕の作品を観る人にも起こせたらいいな、とは思いますけど…あとは自分をどれだけ解放するかということでしかないですね。何かを決めていっちゃうと、縛られちゃうから。少なくとも、人に迷惑をかけることはノーサンキューですが、それ以外は、本当に自由に自分を解放していたい」

1952年7月14日生まれ。北海道出身。13歳のとき、児童劇団に入団。翌年ドラマ『バンパイヤ』でデビュー。一時、俳優を辞めるが72年ドラマ『あの子が死んだ朝』で復帰。74年『傷だらけの天使』に出演。76年には長谷川和彦監督作『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞。歌手デビューは77年の「はーばーらいと」。世間的にブレイクしたのは78年のドラマ『熱中時代』。
浅見光彦は87~90年、火曜サスペンス劇場の枠で計8作で演じる。『相棒』で杉下右京を演じ、寺脇康文演じる亀山 薫との名コンビが人気を博している。現在、自身25年ぶりの映画出演となる劇場版も公開中。アルバム『TIME CAPSULE』は、メイキングと「カリフォルニア・コネクション」PVを収録したDVD付き初回限定版と、ボーナストラックを2曲追加した通常版の2種が発売中。

■編集後記

若かりし日に一貫して流れるのは「向いていない」「もっと別の世界へ」という意識だ。が、史実だけを見るとすばらしい時代だった。22歳で『傷だらけの天使』、23歳で映画『青春の殺人者』、26歳で『熱中時代』…。いい作品といい人に出会い続けた時代。演じるときには“声”が聞こえるという。「台本を読んで役柄のイメージを考えていると、ギリギリになって必ず“あ、この感じ!”というのが降ってくるんです。それは『相棒』の杉下右京だって、そうです。役は作るけれども、キャラクターは、そうですね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
斎藤真喜子=スタイリング
stylist MAKIKO SAITO
西島容子=ヘア&メイク
hair & make-up YOKO NISHIJIMA

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