「大切なのは“温かい気持ち”」

香川照之

2008.05.29 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
伝説の詩人に覚えられるよう、俳優の生態を見せる

『ヤーチャイカ』という不思議な映画がある。詩人の谷川俊太郎と覚 和歌子が共同で監督した作品だ。セリフはなく「詩」で言葉を表現し、映像はすべてスチール写真。小むずかしいアートではない。自らの命を絶とうと田舎の町にやってきた男と、図らずも彼の命を救うことになる女とのふわりとしたラブストーリーである。女の声で語られる詩、音楽と静止したスチール写真の積み重ねが生み出す奇妙なリズムにグイグイ引き込まれる。

「“谷川俊太郎という伝説の人物はいったいどんな人なんだろう?”という、参加したのはその思いがすべてです」

谷川俊太郎は香川照之に“僕は言葉をまったく信頼していない”と言ったらしい。“言葉には何も入っていない”と。

「書いても書いても伝わらないやっかいなものだからこそ、70年近くも付き合ってこられたんじゃないだろうか、と僕は思ったんです。その奥には“言葉ではない思いを、いかに言葉という本当に少ない情報量のなかに仕込むか”という作業がいつもあったはずで」

そこの部分は俳優も同じなのだ。信頼していないと聞いて「あ、この人にはコレだというのが決まった」と言う。コレとはつまり、冒頭で彼が述べた作品への取り組み方のことである。

「この気持ちを、セリフや肉体という小さな表現の道具で表すだけなんですよね。言葉で表現することと同じ作業なんだと、常に訴えるつもりで。心はグチャグチャになっているし、理不尽にも1秒前の瞬間とはまったく違う気持ちが起こっていたりする…人間の奥底にある蛇のようなものをいかに伝えるか、だけをやろうとしました」

演じているあいだ中、シャッターはカシャンカシャンと切られる。

「たとえば谷川さんの書いた脚本で主人公が葛藤を見せていたら、カメラに切り取られることもまったく意識しないで、“こういうことで俳優は感情を出しています”というのをすべて見せようとしました。山の上から近づいてくるカットでも、10分ぐらいカメラから離れて山に登って携帯電話で“用意、スタート”を聞いて。向こうから感情がむき出しの人間が向かってきたら、撮るしかないし。写真だからカットをかけることなく、使わないところはシャッターを押さなければいいだけの話ですよね。演じる側はどれだけ時間をかけてもいいわけですよ。俺は、一切気を遣わず、“その存在でいる”だけ」

いつもこんなふうなテーマを設定するわけではない。一貫していることはただひとつ。そしてそれゆえに、基本的に仕事は選ばないのだとか。

「オファーが来たことの重みを感じていたい。台本や制作の規模や作品のレベルがどうであれ、そのレベルを少しでも引き上げるための道具になれればいい。船が沈みそうだからといって、乗らないのは嫌なんですよ。沈みそうならばこそ、乗りこんで“ここの穴を塞げば大丈夫でしょう!”ってトンテンカンテンやるし。船が豪華なら豪華でいい。デッキでワインを飲みながら目的地まで行けばいいわけだし。それが自分の役者としての使命だと思っているんですよ。『香川、この船に乗れ』と言われたことこそが、かけがえのないテーマだと思っています。だから断りたくない。本当に僕にぴったりな役ならなおさらですが、全然イメージ外の役でも “誰が俺をひねり出したんだろう?”ということを探りに現場に行く…というような面白さもある。スケジュールさえ合えば何でもいいんじゃないですかね。断ることに意味はあんまりないですよ」

なりやすいから、俳優。そして目覚めのとき

「消去法ですね」

俳優になるつもりはなかったという。デビューは20年前、大学卒業の年。歌舞伎俳優を父に、女優を母に持つ彼にとって「俳優は“親がやってるから俺にもやれそうじゃん”みたいな…本当に甘い意識でしたけどね。何にもなりたくなくて、ほかに選択肢がなかった」。

デビュー作はNHK大河ドラマ。仕事的には恵まれていた。

「でも、“俳優として”とかいう考えは何もなかった。三島由紀夫を愛読していて、無責任に世界の破滅を信じていました。全部潰れちゃえばいいって。人生がマラソンだとすれば、僕はスタートしてからずっと逆の方に走っていたんだと思います。なんとなく俳優をやっていて、なんとなく現場から帰ってきて、自分の親とかを見ても“ダメだな”と思ったり…これもなんとなくなんですよね。“これは伝えたな!”という達成感もないのに監督からOKが出たりして。いろいろ煮え切らないことばかりだったんですが…」

ダメさを実感するも、顧みる自分自身の視点が確立していなかった。が。

「鹿島勤という監督は僕をダメワールドから引き上げてくれようとした。“オマエ、まだ理屈でやってるよ。オマエの芝居なんか見たくねえんだよ”って何度も言われました。テイク100とか平気でやらされたし、エキストラを100人残して俺のカットを撮り続けたり。その監督は、正しい目で全部を見てくれていて。当時の僕を、ちゃんとした状態にするのに100回かかったということだったんですよ。そのぐらいカチカチだった。その人の最高の目で見てもらっていました。その人がいなかったら今の俺はいない」

どうだろう、この文章前半の自覚的な役者ぶりと20代のダメぶりの落差。

98年8月から4カ月間、32歳から33歳になるこの時期、香川照之は中国にいた。チアン・ウェン監督作『鬼が来た!』出演のためである。映画の舞台は第二次大戦末期、中国・華北の村。ある家に突如預けられる、彼の演じる日本兵捕虜と村人とのディスコミュニケーションと奇妙な友情を描いた作品だ。

撮影は進まず、状況は知らされず、各種盗難に遭い、麻袋に入ったままスタッフに放置され…東京で仕込んでいった役作りなどまったく歯が立たない、否応なしに“拉致された日本兵”という役に引きずり込まれる感覚。

「それまで、俳優は芝居をするものだと思っていたんです。中国で教わったのは“我慢をすること”。現場でどれだけ我慢をしているかをアピールし、みんなから“彼の真似はできないな”と言われて、初めて成立する仕事なんだと。もっと言うと、違う俳優に“あの役は俺にはできねえ”と思わせたら最高の結果ですね。僕が認識していた芝居とは、水が入っていないのに飲んだフリをしたり、お湯なのに水に入っているフリをすることでした。だけど本当に水を入れ、本当に寒いところで水につからないと何も始まらないということ、“演技とは、演技をしないこと”だと教えられました」

ひょっとしたらマラソンだということすらわかっていなかったのかもしれない。アタマをガンと殴られ“コレは、マラソンなんだ!”と知らしめられた。

「逆走を止め、コースをちゃんと走り出したら、辛いんです。それ以前は演技の直前までいろんなものをもっと準備していたんですよ。自分の中に電池が入っていなかったから、あちこちからコードをつないで電源を供給しなくちゃいけなかった。それが左脳(=論理・分析)の回路。ポンと電池を入れるようになっている、右脳(=感覚・イメージ)というのがあることを知った。ここに電池さえ入っていれば、スイッチを入れるだけで動くんです」

緻密な準備をしなくなった。

4年前、長男を得て、「自分が“種族”の先頭ではなく、息子の背後にいる“その他大勢”になったとき、自分のことだけを考えなくなった」。多くのことはどうでもいい。手放しに近い感覚。マラソンコースの逆走はそろそろスタート地点に戻り、走るスピードはグングン増していっている。

20代のころの「全部壊れちゃえ」は「乗り込む船を少しでもよくしたい」に。「悲観的だったり、壊したり、切る方を選ぶのか、それとも積み上げるのか」…何かを選択するにしても、最終的にはポジティブな方を選ぶ。自然にそんなふうに変わってきた。

「そうすると、口幅ったいですけど“温かい気持ち”が出てくるんです。その気持ちが最後の一押しをしてくれる気がする。セリフを覚えて表現を考える…人間のやれることなんて大したもんじゃないんですよ。そこに何か“今のカットすごかったな!”というのが宿るときは、きっと人間じゃないサイズのものが何かをしているとき(笑)。僕は“映画の神様”と呼んでいます。目に見える俳優の動きを切り取っていながらも、実は目に見えないそういうものを伝えていて、お客さんはそれを観たときに“すげー”と思っているんじゃないかな。そんなふうに思います」

1965年、東京都生まれ。89年、NHK大河ドラマ『春日局』で俳優デビュー。映画・ドラマ・舞台に出演し数多くの映画賞を受賞。映画代表作にベルリン国際映画祭でアルフレート・バウワー賞受賞の『独立少年合唱団』(00)、カンヌ国際映画祭グランプリ『鬼が来た!』(00/監督:姜文)東京国際映画祭グランプリ&優秀男優賞『故郷の香り』(03)、『ゆれる』(06)では主演、助演を問わずさまざまな男優賞を受賞。近作に『キサラギ』『HERO』(ともに07)。公開待機作品に『ザ・マジック・アワー』(6月7日公開)、『20世紀少年』(8月30日公開)、その後『闘茶』、『TOKYO!』(晩夏公開予定)『トウキョウソナタ』(9月公開予定)などが控えている。『ヤーチャイカ』は渋谷シネマ・アンジェリカ(TEL 03-5459-0581)他にて5月31日公開。

■編集後記

ダメを自覚していたからこそ得た教訓。「カードを捨てる勇気。ポーカーでワンペアを持っていたら、その2枚は捨てられないでしょ。どうしても残りの3枚を交換する。でもペアを捨てて、5枚全部捨てる勇気。知恵の輪だってそうなんですが、いちばん遠く見えるところに答えがあるというか、悩んでいるときにはあえて遠くに行くというか。眠れないときにあえてベッドから出てリセットすることで眠れるように」。そう、まるで香川照之自身が中国という遠いところに導かれたように。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト