「行き当たりばったりで、いいです」

阿部サダヲ

2008.06.12 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
遊び半分? 息抜き?でもいまや巨大産業

あらかじめキャラクターに入った状態で歌うという。“破壊”としての阿部サダヲの話。パンクコントバンド(とかいちいちいうのもなんなのだが)グループ魂のボーカルである。

「ミュージシャンではないので、役を作らないと歌えないところがあるんですよね。自分で歌詞を書いているわけではないし、詞自体もコントみたいだったりするので、キャラクターを作ってその人の声で。だいたいキャラクター設定をするのは宮藤(官九郎)さんです。『マッチ風に』とか『プレスリーで』とか演出を付けられて(笑)。歌詞っていうけど、脚本みたいな感じですね」

話す声は、CDで聴かせてくれるヒステリックな叫びともJBっぽいのとも全然違う。思春期男子みたいな、甘っちょろさと不安さとさわやかさとが一体となった感じ。「わかんなくなった」地声に近いのかもしれない。

役に入るといっても綿密に作ってくるわけではない。事前にもらった歌詞を読み、曲を聴いてくるだけでスタジオに入る。実際に曲を聴くと、歌詞カードに書かれていないようなセリフややりとりがいっぱいだ。

「そこはアドリブなんですよね。バンドのときは、繰り返し何回もやるのが得意じゃないんですよ。どんどん冷めていくタイプなので、“暖かいうちに録っちゃえ”みたいな。そういえば、そうですね、昔から、稽古よりは本番の方が好きなタイプでした」

芝居に関しても、同じ。

言うまでもなく阿部サダヲの職業は俳優である。21歳と10カ月で、松尾スズキが主宰する劇団“大人計画”に入った。キャリアはもう16年少々。

「音楽は…仕事としての真剣度でいったら薄いかもしれません(笑)。良い息抜きになっている感じはありますね」

四六時中、グループ魂であるわけではない。新しいアルバムが出るのは2年半ぶりだし、「カウントダウンイベントに呼んでもらったり、野外フェスがあったりするんで――自分から言い出すわけじゃないですけど――ちょうどいい間隔でできてるんですよ」

コントユニットで阿部と宮藤が扮した“デビルデモクラシー”というパンクバンドコントが発祥だと言われている。そこにバイト君(村杉蝉之介)が加わったのが第一期グループ魂だ。

「グループ魂が結成されたのが、ちょうど25歳のときなんですよね。当初はライブハウスじゃなくて、演芸場とかに3人で出てました。ガレッジセールさんとかと共演しましたし、雨上がり決死隊さんにはお笑いライブのゲストに呼んでもらったり。『笑点』でコントやったりもしましたからね(笑)」

バンドとしてインディーズからデビューしたのは99年。で、02年にメジャーデビュー。05年には紅白歌合戦に出場し、今年はアレだ、5枚目のアルバム『ぱつんぱつん』を携えて、野外フェスを2日間主催。「真剣度が薄い」とか言ってる場合ではないのである。

「やるって聞いたときはビックリしました。どうなるのか見当がつかないですね」と言いつつもやはり、「どうなるかとか、考えないんですけどね」とニコニコ笑う。

そもそも、そうらしいのだ。

「行き当たりばったり。それがいちばんしっくりきている感じですね。だから先のことは全然考えない。だって、自分で考えてたらこんなことやれないです。秩父の野外ステージを借りてチケット売って…考えてもできないと思います。それでやってこられるという、僕はいい環境にいさせてもらっていると思います。役者の仕事もそういう状況ですね。自分でやりたいことを探るというよりは、いただいたものをいかにやるかという…」

こういう姿勢は「昔から(笑)。劇団に入るときも、どうなるかなんて考えてなくて、どこの劇団に入るかも考えてなくて」。その道に進むことだって、友人が何となく「お芝居やればいいのに」って勧めたから。そのとき阿部サダヲは、高校卒業後就職した、家電量販店のファックス売り場で働いていた。

どうでもよかったけど、真剣な気持ちが戻ってきた

「そのころはちゃんとしてました。実家住まいでしたけど、社会人らしく電車に乗って秋葉原の会社に通って」

職場に合わなかった。帰っていい時間になっても「先輩が残ってるから」という理由で、やることもないのにいなきゃいけないような雰囲気。興味がないことに話を合わすのも苦痛だったし、売り場のBGMに選んだ曲が変えられるのも…。どれも大した問題ではない。でもどれも、決して日常を楽しくしてくれはしない。

そんなときに、職場に遊びに来た友人が芝居のことを口にするのだ。

「大人計画を選んだのは宮藤さんと温水(洋一)さんのユニットを観に行ったら、たまたまオーディションのチラシがあったから。それがきっかけです。大人計画に入りたいと、ずっと思っていたわけではなくて。しかも何回か公演に出たらやめようかなっていうぐらいにしか思っていませんでした」

実は、家電量販店を辞めてから、いくつかの職に就いている。トラックの運転手なんかもした。

「あのときは本当にボーッとしてましたね。タバコ吸ってラジオを聴きながらニヤニヤしてる運転手(笑)。友だちが始めて、お前もやるかと誘われて、やり始めたんですけどね」

大人計画は、このあとだ。

初めての公演『冬の皮』の直後、テレビ出演も決まった。当時、初めに決まっていた俳優の急病によるピンチヒッター。松尾スズキが書いたドラマ『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』で竹中直人の舎弟を演じたのだ。何のコネクションでもなく、テレビ局のプロデューサー直々の抜擢だった。

「なんかイヤでしたね(笑)。竹中さんはもともと大好きな方だったんですけど、急に近づいてしまうのが。もうちょっとちゃんとしてから会いたかったんです。僕、助監督さんには『ワタナベさん』って呼ばれてたんですよ。かといって訂正することもできなくて。なのに竹中さんと共演。“うわ~っ”て感じで」

舞台みたいにリアクションはないし、職人気質のカメラマンには「そこじゃ映んねーよ」とどなられる。

「なんか怖いところだと思ってましたね」

適当にやめるはずだったのに、今年で丸16年。なぜ、やめなかったのか。

「ドラマがオンエアされたとき“テレビ出てんじゃ~ん”って言われて、それがうれしかったところもある(笑)。現場にはなかなかなじめなかったけど、編集された映像を見ると“なるほどな”と思ったり、後悔することがいっぱい見えたんですよね。舞台では芝居をしている自分を客観的に見られないんですが、映像だと見返すことができる」

ファックスやトラックのときには、味わうことのなかった気分。

「久しぶりに真剣になったんですね。ファックスが売れなくても後悔はしなかったけど、芝居ではたっぷり感じた。芝居って、正解がないでしょ? 自分が行きたい点は、自分以外の誰にもわかんないんですよね。楽器みたいに、弾いたらすぐ合ってるかどうかわかるようなものだと、僕は挫折しちゃってたと思います」

芝居が人生の色を変えた。で、しばらくして、芝居そのものに対するスタンスを変えられるきっかけが訪れた。

「『グループ魂のでんきまむし』という作品です。撮影に2年ぐらいかけて99年に完成したのかな。役作りとかをいろいろ考えてたら、監督の藤田(秀幸・現:容介)さんが 『どうでもいいじゃん』って。『一辺倒はつまらない、人間なんてころころ変わる方がおもしろいんだ』というのを聞いたときに、“こういう役だからこういう風にしなきゃいけない”とか何にも関係ないんだって思いました。関係なくなってからがまた楽しくなってきたんですよね」

“用意、スタート”してから、勝手にあふれ出てくるものがある。自分で役を用意することはあまりなくなった。芝居を引っ張るタイプではないのだ、と言う。それでも、舞台では過去多くの、映画でも07年、『舞妓Haaaan!!!』で主演を経験している。

「芝居をやっているときは“誰が偉い・偉くない”というのがないと思うので、位置付けはしたくないんです。僕は、上の人にも食いつける平社員というか『釣りバカ日誌』のハマちゃんのような人でいいです。そうですね、役がつかないような役者で、いいです」

1970年4月23日。千葉県松戸市生まれ。92年、松尾スズキの主宰する大人計画に所属。舞台『冬の皮』でデビュー。同じ年、『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』(NTV)に出演。94年には『愛の新世界』で映画デビュー。97年『踊る大捜査線』にゲスト出演以降「街中、で『あ!』って言われるようになりました」。『タイガー&ドラゴン』(TBS)、『医龍』(フジテレビ)などに出演。07年『舞妓Haaaan!!!』で映画初主演。グループ魂は95年、破壊(阿部サダヲ)、暴動(宮藤官九郎)、バイト君(村杉蝉之介)の3人で結成。97年、港カヲル(皆川猿時)、小園(小園竜一)が加入。99年、『GROOPER』でアルバムデビュー。石鹸(三宅弘城)が加入する。01年、遅刻(富澤タク)が加わり、02年『Run魂Run』でメジャーデビュー。5枚目のフルアルバム『ぱつんぱつん』は6月18日発売。巨大野外フェス『グループ魂の秩父ぱつんぱつんフェスティバル』は6月21日(土)・22日(日)、秩父ミューズパーク野外ステージで開催。詳細は以下にて。

■編集後記

芝居に楽しさを見出していたけれど日常生活はグダグダ。時間をつぶすために、山手線に何周も乗車していた。25歳、『熊沢パンキース』公演中は「一回も私服を着替えてないですもん。家にも帰ってないし、パンツも替えてない。コインシャワーで生活しているくらいの勢いでしたね」。その後実家を出て、知人宅に転がり込んだ。生活費をまったく払うことなく居候状態。「それを脱して家賃とか光熱費とかを払えるようになったのが、たぶん27~28歳ですね」。

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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