「人生は、わかりやすく教えてくれない」

堤 真一

2008.06.26 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 伊賀…
ワクワクしないような仕事をする必要なんてない

85年8月12日、524名を乗せた日本航空123便が墜落する。地元紙・北関東新聞で、全権デスクに任命されたのが、悠木和雅。堤真一演じる遊軍記者である。事故の映画ではない。事故に関わる新聞記者たちの映画だ。

全国紙に対する地元紙の意地、歴史的事件に関わる部下に嫉妬する上司、戦場のような事故現場にとりつかれる記者…描かれるのはほとんどが編集部だ。個々の思惑や利害が浮き彫りになり、悠木は尋常ではない重圧を受ける。

新聞社のセットは前橋のビルのワンフロアに作られ、そこでの撮影は約1カ月に及んだ。記者役は、堤や堺 雅人や遠藤憲一など主要キャストに限らず、50人全員が俳優。エキストラはいない。

「撮影に入る前、新聞社に見学に行きました。役作りというよりは、まず基本的に新聞社の仕事を知る必要があったから。記者役の俳優全員でレクチャーを受け、新聞社で働くことに対するイメージが持てた。それで、監督が全員にニックネームとか裏設定を作ったんです。映像には出てこないけど、『オマエとオマエは部署は違うけど仲良し』とか『博打好き』『甘党』とか(笑)。そうしておいて社内を動かすんです」

きちんと撮影されている俳優がいて、背景になっている俳優もいる。

「たとえば“この部署はこの時間帯はそんなに忙しくない”とかわかってるし、僕は隠れタイガースファンという設定だったから、普通に誰かが僕のデスクに来て『昨日バースすごかったッスね』とかそういう話をするんですよ…85年の8月何日は阪神がどうだったかちゃんと調べてるんですね。でも、その辺はまったく映ってはいないんです。誰かの芝居を撮ってるときに後ろで勝手に言ってることですからね。で、『ふうん、今日はそういう日なんだ?』って言ってるんですけど、これって作られたセリフじゃなくて普通の会話でしょ?それを50人がいっぺんにやり始めるんですよ」

カメラは、引いていたかと思いきや突如議論をアップで捉え、大胆に振る。

「ワンシーンをほとんどワンカットで、それをカメラの位置を変えて3~4回撮るんです。カメラの背後はもちろん映ってないけど、カメラ前に出ていくタイミングもあるから、関係なく同じことをやる。僕ら、どのサイズでどう撮ってるか、知らなかった。でも知る必要もないし。失敗しても、セリフが出てこなくて“ええと、なんだっけ”ってなっても、やり通せと。で、そこが使われてたりする(笑)。でも、そうなんです。僕は、お芝居って二度と同じことはできないと思うんです」

口調にワクワク感がにじみ出す。

「僕の仕事って、まず楽しむという姿勢がない限り、いいものにはならない。疲れ切っててこなす感じになると絶対にダメです。ワクワクしそうにない仕事はする必要はない。ギャラがいいとか、この監督とは知り合っておいた方がいいとか、世間的に評価が高いからとか、関係ない」

基準は脚本。「読んで面白ければ…“おお、どうしよう”“どうなるんだ”って触発されて、頭がグルグル回転し始めるような感じがあれば」出る。

「そこに関しては自分の直感だけを信じてるんです、自分の直感だけを」

信じられるようになったのは40歳を超えてから。若いころはもっと凝り固まっていたという。

あまりに頑なだった舞台に対する気持ち

一番最初は、高校卒業後に入ったジャパンアクションクラブ。舞台装置の手伝いをしているだけで幸せだった。真田広之の付き人として舞台のリハーサルで代役を務めたり、坂東玉三郎演出の舞台に顔を出す。学生時代に演劇経験はなく、まったく素人の状態で舞台に立ち始めたから、「間違ってると思うことを言われても『ハイ』って言うしかなくて。まったくわからない世界でおびえて生きてました」。

20代は『ベニサン・ピット』という小さな劇場で、芝居をしていた。

「連続ドラマの話がきても、断っちゃうんです。あの頃は、連続ドラマなんてまったく違う世界のことだと思ってたし、単発のドラマには出たことはあったんですが、撮るペースが速すぎて考えているヒマもなかった。そんな状態では、演出家からダメ出しされても、自分の技倆では付いていけないでしょうし。舞台なら、ひと月稽古をやって、演出家とやりとりして毎日積み重ねていける」

つねに真剣に、作品を選んでいた。いわばこのころは、キャリアにおける少年期。

先輩俳優も演出家も、10人いれば10通りのダメ出しがくる。でも、回数を重ねていくと、わかってくる。“いいなあ、すごいなあ”って思う先輩の言葉には確かに重みがあるのだった。

その際たるものが、デヴィッド・ルヴォー。26歳のときに参加した『双頭の鷲』の演出家だった。現代演劇の本質を追究し続ける硬派な演劇人なのである。

「セリフを1行言うたび全部止められました。『違う、違う、違う』って。全然意味わかんなかったです」

頑なな男はいかにして無謀となりしか

こう言われた。“観客はキミがカッコよくセリフを言うのを観に来ているのではない。舞台に登場する人たちの人間関係を観に来ているんだ”。

「これを、守り続けています。デヴィッド・ルヴォーという人の言うことはすべてだったんです。選択の余地なく『イエス』と言うしかなくて、それが悔しいから、少しでもわかろうと努力したし、何か得ようとした。『なんで人生は、もっとわかりやすく教えてくれないんだ』って、思いながら」

96年、ひょんなことから断り続けた連ドラに出演することになる。和久井映見と共演した『ピュア』である。

「思っていたよりもずっとよかった。スタッフの集中ぶりはすごかったし、僕自身も日々緊張していられたので、いい仕事ができた、と思いました…」

ファンレターが箱で届き、『ベニサン・ピット』には普段とは違う客層が押し寄せた。そのなかにはフラッシュで撮影する観客もいた。

「腹が立った。この照明、スタッフが何時間かけてセッティングしてると思ってんだって。自分のせいで、皆で作り上げた舞台が壊されるのが本当に悲しかった。ドラマに出て注目されたことで、みんなで時間を掛けて作ってきた大切な舞台が壊される矛盾を感じました」

そう、人生は、わかりやすくは教えてくれない。その後約3年、ドラマには背を向ける。望み通りだ。なのに…いや、ひょっとしたら、だからこそ…。

「いろんな欲が出てきたんです。劇場だけでなく違う芝居もしたくなったし、テレビも、連続ドラマだからイヤだということじゃなくて、いろんな役者や演出家と関わっていきたいと思うようになったんですよ」

そして久しぶりにドラマに出演し『やまとなでしこ』で松嶋菜々子と共演、「純粋に楽しかった(笑)」。  

それがやがて今日の“直観主義”に通じてくるのかもしれない。

「僕は若いころ、未知の存在や、自分よりも明らかにものを知っている人が怖かった。きっとダメだと思われるんだろうな、っていう恐怖感があった。態度のデカさは、その裏返しですよね。だから、できるだけ認めてくれる人のところにいきたかった。いまは、わからないものが好きなんです。わからないんだけど、何かあるんじゃないかと思えるとワクワクする。いまのほうが貪欲だし、はるかに無謀だと思います。無駄なこと、大好きですよ」

1964年、兵庫県西宮市生まれ。ジャパンアクションクラブ出身。デヴィッド・ルヴォー演出の『双頭の鷲』に出演以来、野田秀樹のNODA MAPや劇団☆新感線などの数多くの舞台に出演。96年ドラマ『ピュア』、00年ドラマ『やまとなでしこ』以降数多くのドラマに出演。05年には映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で多くの映画賞を受賞。原田眞人監督が、現場のリアリティにこだわった映画『クライマーズ・ハイ』は7月5日(土)より丸の内TOEI(1)ほか全国にて公開。 08年公開待機作に『容疑者Xの献身』がある。9月に控える舞台『人形の家』は7月19日(土)、チケット発売。

■編集後記

俳優には「たまたまなった」のだと言う。「学生演劇の経験すらなくて、もちろん演劇に対する哲学なんてなかったです。それどころか、元々人前に出るのも人と話すのも苦手な性格でしたから。普通、そんな人間が俳優なんて考えられませんよね。舞台の仕事で、立ちまわりとか小道具の蝶々飛ばしているときに『あ、おれ舞台の上にいる!』という喜びは確かにありました。でも、自分自身が俳優になってセリフを言うなんて。ホントいつの間にか、こんなふうになっちゃって…(笑)」。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
伊賀大介=スタイリスト
styling DAISUKE IGA
菊地 勲=ヘア&メイク
hair & make-up ISAO KIKUCHI

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