「本質に徹底的に向き合うこと」

佐藤可士和

2006.08.17 THU

ロングインタビュー


稲田 平=写真 photography PEY INADA 武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA
未知の街・大阪だからこそできたこと

「自分ではどうにもならない大きな意志がある、ということを知りました」

ムリヤリ大阪という生活上のショックに続いて“自分がカッコいいと思うものが理解されない”という仕事上のショックも到来。大方のクリエイションはチーム作業だ。すべてを統括するCD(クリエイティブディレクター)にグラフィックの責任者であるAD(アートディレクター)、文字を担当するコピーライターの3人がコアにいる。仕事の規模に応じてメンバーも増える。チーム自体が増えることもある。営業やマーケティングの人たちもいる。

可士和青年はADの下でせっせとデザインをしてみせたが、つねに頂くお返事は“何が?”“何で?”だった。

「説明しなかったんです。よくないことだと思ってたから。美術館やギャラリーで作家は作品の横に立ってませんよね。言葉で補足するのは表現の精度が低いからだ…って当時は思ってた。プレゼンテーションとはなるべく語らずして、見せるのが最高だと。だから、みんなバカばっかだなと思ってました。でも自分が一番バカだった(笑)」

一方、東京では大貫卓也らが作品を次々発表。『アドボード』と呼ばれる社内の優秀作品検討会などで目にするたび、暗澹たる気持ちになった。

「俺はこんなところにいるのに、大貫さんは、なんでそんなことができるんだ…相当道のりが長いなあって」

東京で行われていた仕事はどれも規模が大きく、世の中を動かすようなものばかり。“バカばっか”だなんて思わせる隙はない。そこで大阪がプラスに作用した。「まずここで認められなければ」と思うようになった。

「ぼくはサラリーマンじゃなくてアートディレクターになったんですから」

やりたいと言い続け半年が過ぎたころ、本当にトーヨータイヤの広告のアートディレクターになってしまった。

ゴジラを使って吹雪のような荒天をバックにモノクロで見せようというアイデアはあったが、仕事そのものがグダグダであった。たとえば…。

(1).プレゼンテーション直前、“できてる?”との確認に“いえ、とくには。プレゼンってどうやるんですか?”

(2).吹雪の背景が「25mプールを立てたような」超巨大サイズにならざるを得ないと知り、“じゃあそれで”と即答。

(3).予算をやりくりしてそこまで! と驚いた写真家がほめるが、予算のことは1ミリも考えていなかった。

(4).博報堂フォトクリエイトという、関連会社から写真のプリント代数百万円の請求書をもらう。「タダでプリントしてくれる部署だと思ってた(笑)」

だが一生懸命。「毎日誰もいなくなるまで会社にいてデザインしていた」という。強力なデザイナーとしてのスキルと熱意と、希薄なサラリーマンとしての常識で作り上げたポスターは、作品検討会のベストアドに輝いた。

「ものすごく金を使った。儲からないどころかたぶん赤字だったと思います。あらゆる人に迷惑をかけて。できあがったとき、クライアントも“すごいポスターができたな”って感じだったし、大阪の制作中がびっくりしてた。でも調査では暗いとか、怖いとか言われて。目立ってたけど。それが一発目のAD。24歳の終わりから25歳ですね」

初めての作品が認められたことで、やりかたはだいたいわかったとばかりに、『ミズノ』『梅田ロフト』『フロムA』など、大阪制作のポスターの約半分を手がける。同時にADC賞という、アートディレクターにとっての権威ある賞を目指し、応募を繰り返す。受賞には至らないが、年鑑に掲載。方向性が誤っていないことを確認する。同時に大いに自信も得る。

そして3年半後、ついに帰京。

ポスターから広告の本質へ。広告からデザインへ

4年目の社員なんて東京ではペーペーだ。大規模な仕事の複数チームの一部分。ネジ。自分の役割がよくわからない。帰京して1年は自分の名前でやった仕事はゼロだった。

「当時すでに独立していた大貫さんから声がかかったんです。大貫さんがCDで、のちにステップワゴンのコピーを書く鈴木 聡さん、プランナーの高木 順さん。この3人のすごく優秀なチームにぼくがポンと入った。毎日大貫さんのところに通って、わかったんです。ぼくはポスターは作ってたけど、広告は作ってなかった」

作ろうとしていたのはサントリー・リザーブの広告。若者に売れなくなっていたウイスキー復活のための案。

「最初の打ち合わせで、一生懸命考えていったラフをばさっと出したんです。でも全然見ない。見ずにずーっと話してるんです。ウイスキーとは何だ、サントリーとはどんな会社だ、なぜいま売れないのか、ウイスキーにしかない価値は…非常に本質的なところに向かうんですよ」。

映画のかっこいいウイスキーのシーン。日常のダメなウイスキーの風景。その具体例…「夕方6時から朝8時ぐらいまで何日も話すんです、おなかが空いたらお菓子食べて(笑)」。

ある日、佐藤は案をいくつ作るのかと尋ねた。クライアントに案を出す際にはカラーの違ういくつかの案を出すのが一般的だ。答えを聞いて、赤面したという。

―「できただけ」。

「大貫さんの“案ができた”っていうのは、あらゆる意味でのパズルが解けてるパーフェクトな答え。だから、そんなにいっぱいはできない。ほとんど1個ですね。そのぐらい本質的なところに入っていく。すごい衝撃でした」

約3年にわたって佐藤は大貫と仕事をともにした。平行して来たのが『ホンダ インテグラ』の仕事。ブラッド・ピットを起用した広告を作る

「初めて、本当の意味で広告を作ろうと思ったんです。自分が作りたいわけじゃないポスター…って言ったらヘンですけど、“表面的なカッコよさよりも、本当の意味でインテグラというものが売れるには”っていうことにすごく素直に向き合ってやってみた」

30歳で念願のADC賞を手にする。翌年『ホンダ ステップワゴン』を手がけ、この一連の流れのなかで「広告に関してはつかんだんだと思います」。

会社員よりデザイナーを選びたくて、35歳で『サムライ』を設立。

最後の仕事が、『キリン チビレモン』。あるものの売り方ではなく、“売れるもの”を考える仕事だった。佐藤はボトルを小さくし、それ自体がコンビニの棚で主張する仕組みを作った。

「消費者がいて、企業とモノがあって。その間のイメージみたいなものを作るのが広告の仕事で…でもそれが当時まどろっこしかった。広告ではなく、商品そのものが話題になるような。たとえばiMAC。コンピュータの概念を変えるようなプロダクトだから、コマーシャルはそれが回ってるだけ。ポスターには写ってるだけで、コピーも“iMAC”。それ自身が広告なんですよね。チビレモンもそうだったんです。もはや全世界的にリアリティのあり方が変わってきていたんですよ」

今の仕事にもつながる最新の目覚め…そして大学を変え、携帯電話を作り、幼稚園を面白くする。われわれに“良いデザインとは?”と問いかけ、同時にいくつかの答えを見せてくれる。

1965年東京生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。アートディレクター・大貫卓也の『としまえん』の「プール冷えてます」という広告に衝撃を受け、同じ博報堂を目指す。89年、博報堂入社、大阪勤務へ。同年、『トーヨータイヤ』のポスターでADデビュー。以来、大阪制作の多くのポスターを手がける。92年より東京勤務。翌年、大貫卓也と仕事をともにする。95年『ホンダ インテグラ』でADC賞受賞。00年、『キリン チビレモン』で初の商品開発を手がけた後、退社。『サムライ』設立。01年にはSmapの広告キャンペーンでADC賞グランプリ受賞。商品開発から空間、ブランディングまで幅広く手がける。グッドデザイン・プレゼンテーションは2006年8月23日(水)~26日(土)、 東京ビッグサイト東展示棟・東4、5、6ホールにて。

■編集後記

辞令が出て数日で新幹線のチケットが出て。3年半の大阪生活に突入。3年間トレーナー(指導教官のようなもの)に付くのが本当だったが、トレーナーの都合で半年で免除。プレゼンの言葉の足りなさも「永見(浩之)さんという非常に優秀なプランナーの先輩がいて。写真集とか本とか持ってきて年配のクライアントに“たとえばこのように”ってやるんです。その人“なるほどぉ”って(笑)。ああ、説得されてるって思うんだけど、それが勉強になりました」

稲田 平=写真
photography PEY INADA
武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA

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