「いまやりたい」が一番大事

ユースケ・サンタマリア

2006.08.31 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA …
現実と虚構のハザマ。役なのか、自分なのか

松井香助はコメディアンを夢見て故郷を飛び出すが、夢破れて出戻る。頑固な麺職人の父親との折り合いも悪い。偶然知り合ったタウン誌編集部の恭子(小西真奈美)や、幼なじみの庄介(トータス松本)と組み、県内に点在する讃岐うどん店巡礼のコラムを書き始める。これがブームのきっかけとなるが…。映画『UDON』の舞台は、讃岐うどんブーム以前の香川県である。制作前にスタッフは県内のうどん店200軒以上を訪れ、実際に味わい、さまざまなエピソードを収集したという。

作中、ユースケたちが次々訪ねるのは本物のうどん屋さん。店の本物のおっちゃんおばちゃんがいい味を出す。

「みなさんとっても自然にやってくれましてね。それこそ一発オッケーで。セットじゃなくて自分の店で撮ったのもよかったかもしれないですね。映画観て“この店いいなー”って思ったら、本当に香川に行けばありますしね。その辺が監督が狙ったっていう虚構と現実のハザマみたいな部分かなあ」

それは松井香助というキャラクターにも生かされている。

「撮り出したらアドリブがやたら多いんですよ。店へ行ってうどん食べる状況が多いんですが“ここはノリでお願いします”みたいな(笑)。カットがかかるまでやり続けるんですが、なかなかかからない。ずっとアドリブですよ。なので、演じてるとだんだん麻痺してくる。芝居してる気がしないんです」

俺なのか役なのか、ユースケなのか香助なのかという状態。香川県でのうどん屋さんを中心としたロケでは“芝居をした気がしなかった”という。

「1日終わって風呂入ったときに“大丈夫なのかこの映画”って(笑)。逆に東京のセットでの撮影は、いい緊張感のなかで集中して芝居をバーンと。風呂入ったときには“やったなー!”ですよ(笑)。メリハリが利いてて、すごく気持ちよくできました」

何一つ考えることなくノリと勢いだけの20代

松井香助という役は、最初からユースケ・サンタマリアを想定して書かれた。いわゆる“アテガキ”というやつだ。

思えば、香助がコメディアンを目指したように、ユースケ自身も故郷の大分を後にしている。それは14年前、21 歳のときの話。

「いやあ、僕の場合は本当にフラーッと、ですよ。何の覚悟も決めてなかった。“ダメだったらすぐ大分に帰ろう”っていう程度。ホントそれだけです」

高校時代に地元で結成した「XYZマーダーズ」というバンドで人気を博し、大学時代の「NUTTIES」では全国ツアーを展開し、CDリリースもあった。

「ちょうどバンドが解散したんですよ。バンドのときは4~5人の団体行動でしょ? そのとき“オレ1人だ!”“自由!”みたいな、解放感に気づいた。

“どこでも行ける”って思ったんです。NYだろうが福岡だろうがインドだろうが東京だろうが…。博多なら近いしすぐ帰ってきちゃうだろう。かといってNY…一瞬考えたんですけど、やっぱりコワイし(笑)。じゃあ、知り合いも2~3人はいるし、東京だなって」

ラテンロックバンド「BINGO BONGO」にヴォーカル・司会として加入。翌年、『アジアンビート』というTV番組に起用され、24歳のときにスペースシャワーの『夕陽のドラゴン』でトータス松本と共にパーソナリティーを務める。

ブレイクとはいわないまでもそこそこ順調。本人はそうした状況以上にイケイケだったという。

「ビリヤードやるとき“こう打ってこっちに当てて跳ね返って…”って計算しますよね。僕は考えたことないんです。勝手に“アメリカンパワービリヤード”って呼んでるんですが、とりあえず力いっぱい当てる(笑)。本当は力加減とか微妙にやんなきゃいけないんでしょうけど、関係ない。どうにかなれ! 穴に1個ぐらい入れ!(笑)。20代の僕の人生ははまさにそうでした」

モチベーションも狙いもないけれど、「わけのわかんないことを面白がったり人と違っていてナンボみたいな、特殊な基準がこの業界にはありますから」。バンドからバラエティ、そして次のバラエティ…「次の仕事、また次の仕事…やったら楽しくてまた来る、みたいな、そういう20代でしたね」

ドラマ『踊る大捜査線』に、真下正義役で起用されるのは97年。翌年から俳優業が本格化することになる。

イケイケドンドンの反動。仕事をやる理由を探して

現在、35歳。30代に入ったとき「しばらく穴に入って周りを見渡してるような慎重な状態が続いた」という。

20代には何をするにもモチベーションなんていらなかった。ワーッと行ってギャーッとやってれば楽しくて、仕事が広がった。そして次もワーッ…。が、いつしか、成し遂げる理由を必要とするようになり始めた。

「確実に求められるものが変わってきましたからね。お芝居でも、前はおっちょこちょいな新入社員(笑)。だんだんバツイチとか子持ちのサラリーマンになってくるんですよね。その辺の変化もあって自分の原動力が見えなくなっていたんです。得るものがひとつでも多い現場に行けばいいのか、自分の欲求に従えばいいのか…」

穴に入って数年が過ぎ、今ではかなり“解決”に近づいている。

「結局、自分が面白いと思ったことしかできないんですよね。“面白いからやれ”とか“今やっておくことが将来プラスになる”とかって言われてもダメなんです。今やるそれ自体が面白くないと。だから、その瞬間“やりたいな”って思ったものをやらなくちゃ、って」

結果的にはアメリカンパワーな20代と変わってはいないのだ。そこで一瞬立ち止まって考えるか否かの差。

「成長してないっていうか…そうじゃないとできないんですね。結婚もしたし生活もあるから、子どもみたいなこと言ってられなくなるんじゃないかなと思ってたんだけど、そうならなかった。結局大人にはなれないのかと(笑)」

『UDON』に主演が決まったとき、ユースケは「すごいプレッシャーだ」と言った。監督以下同じチームで制作した前作『交渉人真下正義』は、すでに世界観が出来上がっていて、完成した映画の姿も、お客さんの顔も見えた。しかし『UDON』は、まるっきりゼロから作り上げる、俳優・ユースケ・サンタマリアの初主演作。責任は重い。

「前は“オレ、役者じゃねえから”って言ってたんですよ。“なのにこんなところにいていいのか”っていう劣等感として。それが“役者じゃないんで、失敗しても許してくださいね”っていう逃げ場になっていた。でも、さすがに言えなくなってきましたよね。だから、今は、自分のことは役者だと思ってますよ」

責任感。“面白そう!”“やりたい”というモチベーションは子どもっぽいかもしれないけれど、十分に大人の判断なのだ。

「自分がどこまで生きるかなんてわかんないけど、全然若いじゃないかオレって、いまは思う。悶々とした、あんまり陥りたくない精神状態に陥ったのは、そこに気づくために必要な通り道だったのかもしれない。まあ今もまだ悶々としてますけど。20代は確かに自由で破天荒だったけど、今、守りに入ってるわけじゃないですよ」

1971年大分県生まれ。高校時代からバンド活動を展開し、県内で人気を得る。大学在学中の21歳、バンドの解散を機に上京。ラテンロックバンド「BINGOBONGO」のヴォーカル兼司会としてデビュー。95年『夕陽のドラゴン』にMCとしてレギュラー出演。いくつかのバラエティ番組に姿を見せるようになる。それがきっかけで97年ドラマ『踊る大捜査線』に真下正義役で抜擢される。以来、俳優としての出演作多数。05年には映画『交渉人 真下正義』で第29回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。同じスタッフでの主演第2作『UDON』が現在好評公開中。www.udon.vc/ 12月には映画『酒井家のしあわせ』が渋谷アミューズCQNで公開。

■編集後記

トータス松本と共に『夕陽のドラゴン』(スペースシャワーTV)でMCを務めるのが25歳。「つねになんか、オンになってる状態で、興奮状態で過ごしてたのが20代ですね。だからイケイケドンドンでテンションだけでやってる人は気を付けたほうがいいですよ、絶対に。今売れてる芸人さんとかでも、30代になってドーンと反動が来る可能性はある(笑)」つねに周囲に破壊的に売れている人がいたから、自分がブレイクしたとか、売れているという実感はいまだにないという。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
横田太樹=スタイリング
styling HIROKI YOKOTA
マスダハルミ=ヘア&メイク
hair & make-up HARUMI MASUDA

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