「強い意志で行動すれば、その思いは必ず実現する」

石田純一

2006.09.07 THU

ロングインタビュー


上杉純也=文 text JUNYA UESUGI サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA スチーム=…
恋愛は完全に確率論やらなきゃ、何も始まらない

とはいえ、石田さんのようなポジティブ思考には、なかなかなれない人もいる。実は25~35歳までの男性には意外に独身が多いワケで、かなり恋愛に臆病になってるのかもしれない。

「それはもったいない話ですよね。だって彼氏がほしい女性なんていっぱいいるんですよ。どうしてそれを1回2回ダメだからって、シュンとしちゃうんだろうって。いや、俺もシュンとなりますけどね(笑)。ただ、一つだけいえるのは、やらなきゃ何も始まらないよと。とにかくやってみましょうよと。だって悪いけど、恋愛って完全に確率ですからね、結果的に自分が1割バッターだったら、10人にいけば絶対に1人当たるんですよ。で、大変いいことに1人当たったらもういいんですよ。他はいらないんだから。逆に、イチローみたいに3割から4割打つようなヤツだったら、どんどんステップアップするのもいいんじゃないかな」

こういう恋愛観に至ったのはこれまでの人生経験を経てのことだと思いきや、20代のころの恋愛観と基本的になんら変化はないという。

「女の子にフラれてもね、それをいちいち気にしちゃいられなかったですよ。むしろ、無理だということがはっきりしただけ良かったと。だって、無駄な時間を過ごさなくてすむんだから。それならもっと、可能性のある人にアタックしようって思ったし。ただ、それはね、20代のとき、ホントに俺、モテなかったの。だからそうやって前向きに考えてたのかもしれないけど(笑)」

最後の1年“悔いのないようやらせてくれ”と宣言した

20代前半の石田純一―そのころの彼は諸事情から早稲田大学を中退し、劇団所属俳優として下積み生活を送っていた。世にバブルが到来する80年代から溯ること5~6年前のことだ。

「あのころはとにかくもがいてましたね。モテたくてもお金がないからデートができないんですよ。スタートラインにすら立てない。で、そのときやっぱり考えたことは“これは絶対にある程度稼がないとダメだな”と」

決心して今の事務所に入ったのがちょうど25歳ごろ。だが、そこから“トレンディドラマの帝王”と呼ばれる石田純一が誕生するまでは、さらに8年もの月日を要することになる。

「8年間でしょ。ただ、その間ね、今の仕事をやめちゃおうとか、弱気になった時期はなかったですよ。とはいっても、さすがにこのままじゃマズイと思って、最後は“悔いのないようにあと1年間だけやらせてください”って頼み込んだんです。そのころ社長からは事務所のマネージャーになりなさいっていわれてたくらいですからね」

そのとき石田さん33歳。ただ、カッコよく宣言したものの、残り半年を切っても劇的な状況が起きる気配は皆無に等しい状態。約束の期限の88年10月がどんどん間近に迫ってきていた。

「うわ~俺、もうダメじゃんって(笑)。ただ、それがね、最後の最後の7月スタートの新ドラマでいい役が回ってきたんです。しかも、共演者が浅野温子さんに浅野ゆう子さん、岩城滉一さん、本木雅弘くんでしたからね」

それが当時、トレンディドラマの集大成ともいわれた『抱きしめたい!』だった。最後の最後で得たラストチャンス。だが、この大役にもちょっとしたオチがあったという。

「浅野温子さんの相手役だったんですけど、でも、台本を読んだら5話でサヨナラなんですよ(笑)。全12話あるのにキツイな~と思って。5話の撮影に入る直前にプロデューサーと脚本家に頼みに行きましたから。“ギャラはいらないですから、もうちょっと出してください。オレ、これが最後なんです”って。でね、俺にとって幸運だったのは、ちょうどそのころ1話と2話のオンエアを見た視聴者からの反響がすごくあったんですね。その二つの出来事が偶然重なって、話が変わったんだと思います。本当だったら、5話でフラれて終わりだったんですから」

これがまさに石田純一流“ポジティブに生きる”を具現化した瞬間だった。「でも、『抱きしめたい!』に出演するきっかけになったのも、『キスより簡単』っていうドラマですからね。87年だったかな。アイドル歌手のレコーディングディレクターの役で、ちょっとだけ出たんですよ。そのアイドルが通り過ぎたあとの脚とかお尻を見てね、“うわっ、これうまそ~~”みたいな、そういう表情したんだけど、そんなの台本にはまったくないワケ。でも、そのアドリブ芝居が面白かったらしいんですよ。そのときは、自分にやれることをもう懸命にやるしかないっていう心境だったんですよね」

確固たるポリシーがあるからどう思われても構わない

それまでは、売れるためにはもっとカッコよくならなくちゃいけないという強迫観念に襲われていたという。それが切羽詰まって自分の持っているものをすべて出し切ろうというようにふっ切れた。結果、トレンディドラマ俳優といわれた80年代後半から06年の現在に至るまで、いまだ芸能界を泳ぐことが出来るのも、あの当時の強い思いがあるからこそ、なのだ。

「バブルのときは“バブルの象徴”といわれ、不況のときは“不況の申し子”みたいな言われ方しました(笑)。ただね、僕自身はどんなイメージを持たれても、まったく構わないんです。だって“ちゃんとやってれば大丈夫”っていう確かなポリシーが一つ、ありますから。チャラチャラやってたら危ないけど、自分はちゃんと考えてやってるという確固たる自信がある。だから他人から“プレイボーイ”といわれようが関係ない。というか、女たらしみたいなレッテルを張られてもね、そのイメージでやっていけるんです。バラエティ番組なんかそうですよね。そうやってイジられて番組が成立する以上、それが僕の役割なんです。今、できることをやろうと。真剣にこなそうと思ってますからね」

石田さんは今、52歳。とても50代とは思えない、その若さの秘訣はこんなところにあるのかもしれない。

「でもね、若い若いっていわれるけど鏡を見たら“このシミ、ヤバイかも”とか“ちょっと髪の毛薄くなってるかも”とか思いますよ。今はいいけど、10年後はどうなってるんだろう、とかね。となると今の俺は何歳の女性をターゲットにしたらいいんだろうとか(笑)。まっ、でもそう考えても、それを引きずらない、気にしないのが俺のいいところなのかなと」

そんな石田さん、R25世代に向けて最後にこんなメッセージをくれた。

「実は俺、ジュリアス・シーザーがルビコン川を渡るときのセリフが好きなんですよ。“進めばこの世の地獄、進まざれば我が身の破滅。ならば進もう、神々のいる処へ。賽は投げられた”っていうね。恋愛に限らず何事も進んでも、退いても結局はダメなときってあると思う。なら、どうせ終わるならもう行っちゃえって。頑張ってやることはやったら、後は天に任せますっていう、この精神は忘れないでほしいな」

1954年1月14日、東京都生まれ。88年、フジテレビのドラマ『抱きしめたい!』への出演でブレイク。以後、『想い出にかわるまで』(TBS系)などのトレンディドラマに数多く出演。現在は連続ドラマのレギュラーでは8年ぶりとなる『不信のとき~ウーマン・ウォーズ』に出演しているほか、『行列のできる法律相談所』(日テレ系)にも出演するなど、多数のバラエティやドラマで活躍中。意外と知らない&今更聞けない大人の常識やマナーを石田純一がナビゲートするハウツーDVD『人生をポジティブに生きる25の方法』が、現在好評発売中。なお、このDVDの発売を記念して9月10日にタワーレコード新宿店で発売イベントを開催。詳細はホームページで。アドレスは

■編集後記

今の事務所に入ったのが、まさに25歳のころ。「最初、社長に会ったとき、“ウチは都会的で根性がなさそうな人間はいらない”って言われてね。でも、諦めきれなくて断られても断られても3日連続で通いました。その3日めに今度は“キミは何が武器なの?”って聞かれて“知性です”って。どんなドラマや映画をやりたいのかも明確だったから、それでOKが出たんですよ」。とはいえ、当時はまだまだ駆け出しの俳優。チョイ役でNHKの朝ドラに出演するのが精一杯だった。

上杉純也=文
text JUNYA UESUGI
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
スチーム=編集
editorial steam
せきさゆり=ヘアメイク
hair&make-up SAYURI SEKI

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