「思い切りよく、そして必死に―やるときは徹底的にやってやれ」

大沢たかお

2006.10.05 THU

ロングインタビュー


上杉純也=文 text JUNYA UESUGI サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA 中川原 寛(…
中途半端はするな!やりたければ徹底的にやれ!!

そこから溯ること5年。87年にたまたまモデルとしてスカウトされ、大沢たかおは芸能界入りした。当時はまだ大学生。あくまでもこの仕事は学生の間のちょっとした刺激のハズだった。だが、『メンズ・ノンノ』や東京コレクションなど数々の華やかな舞台で活躍したことで、その思いが一変した。

「一生の仕事とは思ってなかったんだけど、モデルとして活躍していくうちに、“オレ、イケるかも?”とかって勘違いしちゃったんだよね(笑)。天狗になった鼻を折ってくれる人も周りにいなかったし」

自分でもいい気になっていた、という。だが、有頂天になっているときほど、落とし穴にはまりやすいのも事実。

「他人に鼻をへし折られなくても、モデルとしての限界が勝手に来ちゃったんですよ。それが25歳くらいだった」

息子が証券マンになることを夢見ていた父親には芸能界入りを反対され、勘当同然に家を飛び出していた。その流れは悪いほう悪い方へと向かっていく。モデルを辞めて彼は“腐っている自分”に堕ちていった。そして悶々とした生活が1年。だが、そんな生活から学んだことも確実にあった。

「遊びでも何でも、もうめちゃくちゃ必死になって、思いきりやった方がいいと思うんですよ。逆に一番いけないのは中途半端にやること。だから仕事しないなら徹底的にしなきゃいいんですよ。必死になって何でもいいから徹底的にやらないかぎりは、次の突破口は見つからないと思いますよ」

何でもいいから徹底的にやる―この考えを思いきりぶつけられる仕事と、ひょんなことから大沢は向き合うことに。94年7月、俳優に転向。その直後にフジテレビのドラマに脇役で出演することになったのだ。月9ドラマ『君といた夏』―そこで彼は一人のディレクターと出会うことになる。後に『冷静と情熱のあいだ』や『シュガー&スパイス』など、フジ製作の映画を手掛けることになる中江 功だ。大沢は今でも中江に感謝しているという。

「僕、演技の経験なんてないから、現場では絶えず不安なワケですよ。だから芝居のことで“こうしたいんだけど、でも新人がそういうことを言うのも偉そうなのかな”とも思ってて……結局、“こんな感じでやったらダメですかね?”って思い切って言ったら、中江さん、“何でも自分の感じた通り、やりたいようにやってみな”って。何の規制もなかったんですよ。演じるということが嫌にならなかった。ホントに面白いなと思えたんです」

その時点で思ったことは、“とにかく出来るところまで、必死に役者をやろう”ということ。

「ほかにできる仕事もないし、後がないですからね。それまで1年間無職で社会との接点がないから、ドンドン孤独になっていっちゃうし。人間って、どこかで社会とつながっていないと生きてはいけないから、そういう意味では、自分が社会とつながる一点が見えただけでも、やっぱりすごくうれしかったしね。つながりがあるなら、精一杯自分なりにつながっていたかったからね」

20代で学んだことは、一つの仕事に対する責任感の意味

『君といた夏』終了後、『若者のすべて』、『カミさんの悪口2』と2本の連ドラに出演、そして95年4月。『若者のすべて』を観た日テレのスタッフによって、あの『星の金貨』に、酒井法子の相手役として大抜擢されたのである。このドラマの大ヒットにより、それまで無名の一俳優だった大沢たかおは一気にブレイクを果たした。

「でも、ブレイクした感なんて、自分にはなかったですよ。目の前の役にもう必死で…要はどれだけ自分を磨き上げていくかということだけに没頭してた気がする。それをやっていれば、仕事は勝手についてくると思ってたし」

これ以後、立て続けに主演クラスで連続ドラマに出演。だが、大沢が違っていたのは、年に1本のペースを保っていたことだった。他の若手俳優が年に2~3本のペースで出演していた時代に、その寡作ぶりはある意味、異彩を放っていたといえる。

「自分としては単純に年に2本もやったら、面白くないなと思っただけ(笑)。新鮮じゃないなと。だから意図的に本数を減らしたんだけど、役者仲間からはすごく言われましたけどね、“お前、変だ”とか“せっかくそこまで上がったのに”とかね」

作家・沢木耕太郎の紀行文をもとに、ドキュメンタリーとドラマの融合を試みた実験的番組がある。今や、大沢の代表作ともいえる『深夜特急』3部作だ。完成まで約2年半もの月日がかかったこの作品に参加していたことも、連ドラの本数セーブに拍車をかけた。

「結局、自分のペースで自分のやりたいことをやろうと思ったんですよ。逆に、やりたくないことはやりたくないと。それはね、自分が責任取れるっていうことです。だって、コケたときに“これ、実はやりたくなかったんですよ”って言うことほどバカでカッコ悪いことないじゃない。そのおかげで心の中はすごく豊かになってきましたよ。1本に対する集中力はドンドン上がっていったし、一つの役とか一つの仕事に対する責任感の意味を20代ですごく学んだからね」

次がない生き方をし続けて完全燃焼できる場所を求めた

2001年以降、大沢はその活躍の場をスクリーンにシフトしていった。これもまた、自身の明確な意志だった。

「映画に出るようになったのはね、1本1本のドラマに対してすごく情熱を持って演じていて、自分はそれで終わってもいいくらいの気持ちでやっていたにもかかわらず、あるときに周りとだんだんズレが出てきていることに気づいたんです。俺はこのレベルまで行きたいのに、みんなはここでいいじゃんって。監督はとりあえずOK出してくれるんだけど、俺はね、“いや、OKじゃないでしょ”っていうようになってきていたんですよ。なら、この作品がダメになったらどうするんだって聞いても、みんなはどうでもいい、次があるからっていう。でも、俺は次がない生き方をしてきたから、何か自分だけが空回りしているようだった」

こうして、完全燃焼できる場所を映画に求めて6年―すでに彼は15本近くの映画に出演している。特に今年は4本の映画が公開されるという売れっ子ぶりだ。その中の1本が浅田次郎原作の『地下鉄(メトロ)に乗って』である。演じたのは、主人公・長谷部真次(堤 真一)の父・小沼佐吉。

「佐吉って、ある分かりやすさがある役なんですよ。そういう意味ではやってて楽しめる役ではありましたね」

実はこの佐吉、人物は一人でも、大沢は3つの時代の佐吉を演じている。出征直前の兵隊時代、終戦直後の混乱期のドヤ街でワイルドに生き抜いていた時代、そしてワンマン社長として一代で財をなした時代―置かれているポジションで、性格がガラリと変わった佐吉を見事に演じ分けているのだ。

「ある意味、一人3役っていう感じですが、演じていて一番面白かったのは、兵隊になったばかりでピュアだったころの佐吉。あとはそれに塗り絵のように経験を重ねて変わっていったワケで。最初の佐吉は原石に近かったぶん、演じていて自分も原石に戻れた気がしたしね。地下鉄のホームで堤さんに敬礼して出征していくシーンがあるんだけど、そこはかなり重要な場面だと思う」

本作公開後も今年はもう1本、来年は少なくとも3本の作品が公開予定で、俳優としてはもはや順風満帆とも思える。だが、最後に大沢はこう言った。

「役者としてやっていける自信ですか? 全然ないですね。逆に、いつ終わるか分からないと思ってやってますよ。いつまでも人気が続くほどそんな甘い世界じゃないし。お客さんが来てくれなければ、映画にも使ってもらえなくなるし。下手すると明日だってどうなるか分からない。だから、“今、その瞬間”でも後悔はしたくないんです」

1968年3月11日、東京都生まれ。大学在学中の87年にスカウトされ、モデルデビュー。『メンズ・ノンノ』や東京コレクション、パリコレクションなど、数々のステージやグラビアで活躍。その後、94年に俳優に転向。『星の金貨』(日テレ系)でブレイクを果たす。最近では活動の拠点をスクリーンに移し、『世界の中心で、愛をさけぶ』『解夏』などの出演作がヒットを飛ばした。近作に『陽気なギャングが地球を回す』『子ぎつねヘレン』、今後の作品に11月3日公開の『7月24日通りのクリスマス』、07年初夏に公開予定の『眉山』などがある。最新作『地下鉄(メトロ)に乗って』は10月21日(土)より、丸の内ピカデリー2ほか、全国松竹・東急系にてロードショー。詳細はホームページにて。アドレスは

■編集後記

インタビュー中にもあるように、モデルを辞めて徹底的に何もしていなかったころ。父親とケンカして飛び出したこともあって当然、実家に帰れるハズもなかった。でも、そんな状況でも道は絶対に開けると思っていた、という。「不安は不安だったんだけど、気が強かったから、大丈夫、何かあると思ってた。お金がなかったら、何かせざるを得なかったんだろうけど、貯金もあったしね。第一、慌てたって何もないとも思ってたし」。まさにじっと耐えてチャンスを待った1年間だった。

上杉純也=文
text JUNYA UESUGI
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
中川原 寛(CaNN)=スタイリング
styling KAN NAKAGAWARA
スチーム=編集
editorial steam

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