「おいおい、そっち行って大丈夫?」

いとうせいこう

2006.10.26 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 中谷…
書くことによって植物が観察される

1999年に『ボタニカル・ライフ』という植物エッセイ集を出し、04年から2年にわたって新聞に植物連載。それをまとめた『自己流園芸ベランダ派』という本も出た。一見、仕事の種。だけれどベランダーは「趣味だもんね。『ボタニカル・ライフ』も勝手にホームページで書いてただけのものだから。今度のもその延長線上。同じことは二度やらないって決めていたんだけど、媒体が新聞で字数も決まってくるから、前とは違う書き方するんだろうなと思って。メモ取ってる感じだもんね」

連載があるから書くのではなく、書くことで、植物たちの様子を知る。

「書かないと観察できないんです。たとえば“緑”って書きたいとき。人に伝えるために、どんな緑なのかを考え始めるでしょ。抹茶のアイスクリームの緑なのか、新緑の緑なのか、信号の緑なのか。そこで観察力が問われ、自分でもどういう緑なのかがわかってくる。書かないとそこまでいかない。ただぼんやりとした緑で終わっちゃう」

キーを叩くのはベランダーとして。植物の観察が前提。いくら面白くなりそうでも筆の方が先走ってしまうのは不誠実なのだという。そんな本の帯には“枯らしてもいいのだ”。

「生かそうと思ってるんですよ全部、命だから。だけど、どうしても枯れちゃう。そうして一鉢死ぬごとに“なぜおれは植物を支配できるなんて考えたんだろう。さしでがましかったなあ” っていうことが、わかってくる」

その一鉢ごとがベランダーとしてのターニングポイントなのである。

「咲かないと思っていたものがつぼみを持っていたり、具体的な現実の強さがそこにあって、自分の意図とは大きく外れたことが次々に起こる。それにどういうふうにユーモラスに対処するかっていうことが人生でしょ。大きく言うと、そこのところを植物に教えられてるっていうところでしょうね」

日本で唯一。真逆。作りたいから作る雑誌

いま、ベランダーとしてのいとうせいこうを奮い立たせる新しい舞台は『PLANTED』。“植物と暮らすライフスタイルマガジン”。この季刊誌の編集長を務めているのである。

「チャレンジングな雑誌なんだけどね。90年代以降、普通の雑誌は営業・販売の力が強くなった。まずマーケティングして年齢とって職業とって…そこにマーケットがあれば、初めて雑誌を出す話になって、それから“記事どうしよう”っていう順番になったでしょ?」 この発言に、場の全員が卓上に置かれた『R25』をおずおずと見つめる。これか!?

「これはタダじゃん。究極だよね。これか『LEON』ね。僕は真反対をやりたいわけ。まず伝えたいことがあって、こういう雑誌を作ります。趣旨に賛同しましたので広告を出します…という雑誌をやりたい。本来のあり方とは逆転してしまったマーケティング型とは違う雑誌を日本に1例ほしい」

この雑誌、毎号アートディレクターが変わる。表紙もロゴも変わる。先にあげたテーマからぶれなければ、企画は自由奔放に飛び回る。

「僕、昔の雑誌の作り方の尻尾のときに編集者してたから、広告部とやりあってる編集部の雰囲気、少しだけ知ってるんですよ。昔の雑誌のデタラメぶり…それをハイクオリティでやりたいと思ってるんです」

約20年前、いとうせいこうは講談社『ホットドッグプレス』の編集者だった。が、大学時代からピン芸人として活躍。ニッポン放送からパーソナリティとしてのオファーもあったほどだ。

「学校辞めてうちで番組やればいいじゃないかって。でもおれは、“面白い若いやつ連れてくる側になりたいんだ”って思ってました。だから、出たくないけどラジオの仕組みを勉強したいってお願いしたんです。それでタモリさんの『オールナイトニッポン』のADになったんです。そこで、ああこうやって作ってくのねって」

出演するより作る側がいいなあとぼんやりと思った。このころから“こっちは行っちゃいけない方だ”という冷静な視点を欠くことはなかった。

「たとえば1人の出演者が面白いことをしても、それでは番組にはならない…ということを、そっちの世界をかじってたからわかってたんだと思います。結局、ワンコーナーに使われておしまい。そうじゃなくて全体の枠を作る仕事のほうが面白いよなって」

その枠が『ホットドッグプレス』になった。志望のテレビ局を軒並み失敗し、出版社に入ったのは「偶然」。入社後も、ピン芸の活動は拡大し、新人研修を『スネークマンショー』(桑原茂一率いる伝説のユニット)のライブで早退したり、会社員ながら単発の主演ドラマも作られたほどだった。だが、会社を保険に芸道を突き詰めていたわけではない。

「たとえばライブに出ると、観てくれてるミュージシャンや俳優がいたりする。原稿頼んだり、必ず編集部に還元できるようにしてたんです。ぼく自身は会社のためにと思ってました」

社内的に、目立ちすぎる活動に対する逆風もあったが、“ギョーカイ”を流行語にした『業界くん物語』を立ち上げたり、編集者としても活躍した。かばってくれる重役もいた。雑誌業界自体が、いい意味でまだデタラメだった。

「この雑誌(R25)的にいうと、転機ってやつでしょ? そんな感じもしなかったけど。前から、会社の仕事に迷惑をかけるようになったら辞めますって言ってたのね。それが、いつしか校了(誌面の最終チェック)とかの日にも抜けなきゃいけなくなる事態になってきたわけですよ。それはまずい。編集部に還元するよりも自分が出るほうが増えちゃったんだね。それで…」

86年、25歳の初夏に退職する。

面白い枠作りと卑しくない個の表現

「軽いおれのブームがあったのかもしれない(笑)。本人は、知らずにせっせとやってたんですけど。自分を売り出すよりは、どういうジャンルであれ、面白い枠組みを作ることに向かっていってたんだと思いますよ。面白くない場合は、どう手直しすれば、面白いレベルにいくかを考えて」

シティボーイズらと新しい笑いを作り、藤原ヒロシ、高木完とヒップホップをやり、日本語ラップの可能性を探り、都市伝説とゲームカルチャーを融合させた小説『ノーライフキング』を書き上げる。ストリートカルチャー的な舞台において、わずか数年で、いとうせいこう個人はさらにメジャー化。

うまくすれば…あるいは下手をすれば、舞い上がりもしただろうし、指先ひとつで世論を動かすプロデューサー的な立場に至ることもできただろう。

「そこは僕、AB型だから…もしくは編集者気質みたいなものかな。あ、ここ地雷だな、みたいなことがわかる。だって田舎くさいじゃん、それ(プロデューサー的身分)。誰かに言ってモノ作らせて…そうなれてたら楽だったろうなと思いますよ。だけどやれないんだよね。基本、恥ずかしがり屋なんですよ。そこが関係あるかも。ここで大御所ぶってるのも照れるなあっていうことを続けてるうちにヘンなとこにきちゃったなあっていう」

スピンオフし続ける人生だという。

「いま45歳なんですけど、どのジャンルでも普通はオーソリティになって過去に積み上げてきたもので勝負するよね。でも僕、必ずそこからスピンオフするからさ。すると新しいことを常にやるしかないじゃないですか。“これ、いつまで続くの?”って思うけど、根は能天気だから大丈夫みたい」

ただ、がむしゃらに新しいことをやるわけではない。そこは例のAB型的編集者的美意識が作用するし、30代半ばからは「その表現は卑しくないのか」という新たな要素が加わった。これはいとうせいこうが敬愛する歌舞伎研究家・郡司正勝の影響だ。

「表現は基本、恥ずかしいものだからね。そこを避けながら、なおかつものを作る。その矛盾をクリアできるかどうかを念頭において、仕事を選ぶように、さらになってると思う。何かやろうとすると“おいおい、大丈夫?”…って、自分に問いかける。もうワンファクター増えてるわけだね。これは大変だよね、でも結論は出ないから。考えてやっていくしかないでしょうね」

1961年東京生まれ、79年早稲田大学入学とともにピン芸を開始。84年、講談社に入社。『ホットドッグプレス』の編集者となる。86年退社し、自身の事務所を立ち上げる。藤原ヒロシ、高木完らタイニーパンクスとともにアルバム『建設的』をリリース。88年、『ノーライフキング』で長編小説デビュー。翌年ソロアルバム『MESS/AGE』をリリース。93年からはみうらじゅんとのコンビで『見仏記』をスタート、96年からは『ザ・スライドショー』を開始。同じころからベランダ園芸にはまり始める。現在はヤン富田、高木完らとともに“ナイーブス”として活動中。いとう自身、「ひとつこれがあった」と言う、あらゆる条件を満たす表現の場らしい。04年~06年にかけてのベランダーとしての日々をつづった『自己流園芸ベランダ派』と反骨の雑誌『PLANTED』(プランテッド)はいずれも毎日新聞社から。

■編集後記

社外活動旺盛だったいとうせいこう、そのせいでクビ寸前だったこともあったらしい。だが「人に恵まれました。編集部のみんなでぼくのドラマを観たし(笑)。“あ、いとうだ”とか言いながら。あとぼくのいた局の親玉の内田勝さんという、『あしたのジョー』のころの『少年マガジン』の編集長。伝説の編集者なんですが、その人が“アイツは何か役に立つだろう”ってずいぶん守ってくれたそうです。やめてから知ったんですけど」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
中谷東一=スタイリング
styling TOICHI NAKAYA

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