「一歩ずつ、少しずつ、そして――やりたいことはまずトライすること」

沢村一樹

2006.12.07 THU

ロングインタビュー


上杉純也=文 text JUNYA UESUGI 稲田 平=写真 photography PEY INADA 上野真紀=スタイ…
理想の自分と掛け離れていたそれが決断した最大の決め手

子供のころから映画が好きだったせいか、自然と将来は映画関係の仕事か、役者になることを志していた。一念発起し、鹿児島から上京してきたのが87 年、ちょうど20歳のときだった。

「何も考えずにとりあえず出てきました(笑)。だから当然のようにアルバイト生活ですよ。ライブハウスやプールバーで働いていたんですけどね、それが21~22歳のときかな。アルバイト先のお客さんから“背も高いし、モデルでもやってみたら?”って勧められて、それでこの業界に入ったんです」

所属したのは名のあるプロダクションだった。ただ、それでも4年間はアルバイトで食べていた、という。そんな彼に上京後、一番のピンチがやってきたのは24歳のとき。“モデルをやるために出てきたんじゃないよな”という迷いがその始まりだった。

「モデルの仕事を辞めて、アルバイトざんまいの生活でした。ただ、そうはいっても、モデルの仕事も自分の中では今イチ消化しきれないまま終わっていたので、なんとなく負けた感じがしてたんですね。それが腑に落ちなくて、最後にもう1回だけトライしてみようと。モデルで頑張ったら、役者の道も開けてくるんじゃないかと」

必死になった彼は、それまでの人脈をたどり、当時の自分にとって理想の事務所を見つけることに成功する。そこからは雑誌『MEN'S CLUB』の専属モデルとして活躍、表紙も飾る人気モデルへと変貌していった。

「来る仕事の内容が全然違いましたね。以前だと、やりたいなと思っていた仕事でも、なかなかやれなかったんですが、そういう仕事が簡単に回ってくるんですね。トントン拍子に仕事が入ってくるんですよ。そこからは収入も何倍っていうくらいに増えましたし」

とはいえ、仕事がうまくいけばいくほど、あの不安がまた膨らんできた。―“俺、この仕事をしに出てきたんじゃないよな”と。

「収入が安定している分、今ひとつふんぎりがつかなかったんです。だから、25歳から、今のこの事務所に入るまでの間は、楽しかったけど胸にはポッカリと穴が空いている感じがして…結局、悩んでいた時期でもありましたね」

つまりは偽りの充実感だった。そんな日々から抜け出そう―決断の決め手は、やはり最初の目標だった。

「いつまで経っても言いわけして逃げてるだけじゃないかと思ったんです。やりたいことをやってる気がしなかった。ただ、そのときの僕は前に進むパワーがあったんですよね。たぶん、当時の生活が自分の思い描くビジョンからずれてきていたっていう、このギャップがエネルギーになったと思うんですが」

ちょうどそんなときだった。『恋人たちの予感』のビリー・クリスタルが司会を務めたアカデミー賞授賞式をテレビで観たのは…。

「たまたま観たんですけど、それがいいタイミングだったんですよ。で、そのときに確信したんです。“やっぱり俺は俳優やりたいな”と。そこからはもうみんなに言ってました。“将来、役者になるから”って。言ってれば、誰かが何かを運んでくれるんじゃないかという期待もしてましたけど(笑)」

常にチャンスを探っていた。そして28歳、ついにそのときが……橋渡しをしてくれたのは、あの有名男優だった。

「竹野内豊くんです。『MEN'S CLUB』で一緒に仕事していて、プライベートでもよく遊ぶ仲だったんですよ。彼は僕よりもちょっと先に役者の世界に飛び込んでいたから、そこで僕のプロモーションしてくれていたらしいんです(笑)。面白いヤツがいるから、向いてるんじゃないかって」

96年2月、28歳のときにこうして今の事務所に所属することに。それが『続・星の金貨』で連ドラデビューする、8カ月前のできごとだったワケだ。

「実は自分の中で、これは理屈じゃなくて、もう子供のころからカラダで感じていることなんですけど、3カ月、半年、9カ月、3年という感じで3進法のリズムを大事にしてるんですよ。で、そこから考えると、僕の中では20代でも、27歳のときに何をやっているかっていうのが、正直すごくポイントになっていたんです。たぶん、30歳まであと3年あるっていう意味が大きかったんでしょう。結局、1年半ぐらい後ろにずれちゃいましたから、現実には思い通りにはいかなかったですけど、でもその軸がなかったら、もっとずれていたとも思うんですよ」

やりたい仕事はしっくりくる大切なことは楽しめるか否か

こうして役者に転向した沢村。以後の彼はコメディものからシリアスな作品まで、目まぐるしいペースで連ドラに出演していった。脇役とはいえ、97からの3年間は年平均3本のペースで連ドラに出演し続けたほどである。

「たとえばタレントの売り出し方だと、ポンっと高いところに売り出していって、そこをキープするっていう方法があるんですけど、そのなかでなかなか芽の出なかった僕に対しての慰めなのか、ある人に言われたんです。“理想は一歩一歩上がっていくことなんだよ”って。でも、その“一歩ずつ”が僕にはしっくりきたんです。毎年のように、去年と今年と比べてどうかなって。まっ、そのときそのときで多少の浮き沈みはありましたけど、わりと一歩ずついけてるなとは感じてました」

逆に、スランプに陥ったのは6年めのこと。役者の経験をある程度積んだことが災いし、足踏みが始まったのだ。気づけば自分のことが信じられなくなっていた。“俳優に向いてないんじゃないか”―日々、思い悩んだ。

「目の前にどんなに絶世の美女が座っていたとしても、引っ掛かるものがあると心から楽しめないのと同じで(笑)、ホントはこういうことがしたいんだっていうとき、人間って誰でも迷いがあるんですよね。そういう迷いを一つずつ少しずつでも解消していくのが楽しいことにつながるのかなと。結局、やりたい方向性を探っていくうちに中心が定まっていった感じですよね」

それはつまり、お芝居をやるうえで“それが自分のやりたい役か否か”ということにも通じるワケだ。

「まず、最初にいただいたキャラクターでピンと来るものと来ないものがあるんですよ。前者だとね、やっていてもやっぱりピンと来るんだけど、後者をやると、手探りの状況から始まるせいか、演じ終わっても、合格点ギリギリなんですね。これはどんな仕事にも言えると思うんですけど、無理なことをやっても、ある程度のレベルのことはできると思うんですが、満足するレベルまではいかないと思うんです。それならピンと来るものの方が、自分の長所をもっと伸ばせる気がします」

逃げではない。彼は言う。「自分に嘘つかないで、やりたいことにまずトライすることが大切だ」。そして…。

「実は25歳くらいのときってやりたいことができる一番幸せな時期なんじゃないかな。それより前だと、若すぎますよね。社会に出てまだあまり時間が経ってないので、きっと見えないこともあると思うんです。でも、大卒だと25歳って3年めで、社会の仕組みがなんとなく分かってくるころですよね。持論である3進法に無理やり当てはめたワケではないですが、本当の行動を起こすのは25歳からだと思いますよ」

こう語る沢村も、実は来年7月には40代に突入する。そして、3進法で自身の次の転機は42歳のときだとも。

「30代に入ったときから次は42歳だと思ってたんですよ。そのときに何をしているのかというのが僕の中でなぜか一つのターニングポイントになってる。バラエティに今出ているのもそのための準備なのかもしれないですね」

1967年7月10日、鹿児島県生まれ。20歳で上京後、ファッションモデルとして活躍していたが、96年、日本テレビのドラマ『続・星の金貨』で連続ドラマデビューを果たす。以後、コミカルな役柄からシリアスな役、エリート役と幅広くこなせる俳優として活躍。主な出演作に『利家とまつ~加賀百万石物語~』(NHK総合)、『ごくせん』(日テレ系)、『ショムニ』『白い巨塔』(以上、フジ系)、『雨と夢のあとに』(テレ朝系)など。また、2000年9月から出演している『月曜ドラマスペシャル 浅見光彦シリーズ』(TBS 系)ではこれまで9作に渡って主役の浅見光彦を演じている。最近ではバラエティ番組にも積極的に出演し、現在、『愛のむち』(テレ東系)ではレギュラー司会を担当しているほか、1月スタートのドラマにも出演が決定している。

■編集後記

20歳で鹿児島から上京後、モデルの仕事をしていたが、実は当初、沢村の中にはモデルという職業は選択肢としてなかったらしい。しかも、2番めの事務所に移籍する24歳まではほとんどアルバイトで食っていた。いろんな職種を経験したが、そのほとんどが歌舞伎町界隈での仕事だったという。「モデルを勧めてくれたのはね、2人ほどいたんだけど、まったく業界とは無関係な人でした。今となっては誰だったんだろうって(笑)」。

上杉純也=文
text JUNYA UESUGI
稲田 平=写真
photography PEY INADA
上野真紀=スタイリング
styling MAKI UENO
スチーム=編集
editorial steam

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