「人々の、何を映してあげられるか」

TAKURO

2007.01.25 THU

ロングインタビュー


平山雄一=文 text YUICHI HIRAYAMA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 谷崎隆幸(Fat…
聴かれなければ伝わらない。無理難題を言ってくれ

チャンスは超スピードで転がってきた。当時、XのYOSHIKIが主宰していたインディーズレーベル〈エクスタシー〉は、ライブハウスから出発して武道館までアッという間に駆け上がる可能性を全国のバンドに知らしめた。GLAYも例外ではなく、デモテープを送っていた。ある日、東京近郊のライブハウスでステージを終えて楽屋に戻ると、YOSHIKIが待っていた。

「“これからすぐにオフィスに来てくれ”って言われてビックリしましたよ。そこに入れば道が開けるのは分かってた。でもいろいろ噂があって。夜中に居酒屋に呼び出されて一気飲みさせられるとか(笑)。オフィスに行って、まず“そういうバイオレンスな風習が残っているなら嫌です”って言ったんです。そうしたら、YOSHIKIさんに“単なる噂だよ”って笑われた。でも後でLUNA SEAのメンバーに聞いたら、“その風習はまだある”って(笑)。その日、一晩中YOSHIKIさんはこれから作ろうとしてる新レーベル〈プラチナム〉の構想を話してくれた」

契約。すぐにレコーディングの準備。翌94年にメジャーデビューを果たす。

「デビューが最終目標じゃなかったので達成感はそれほどなかった。世の中、タイアップ全盛で歌詞やメロディの直しは当たり前。スタッフに“もっと無理難題を言ってくれ。いくらでも応えるから”って言ってた」

そのころ、もっともヒット率の高かったジュエリー会社のCMタイアップの話がGLAYに舞い込んだ。TAKUROは初期の代表曲「彼女の“Modern…”」を作る。が、最終選考まで残ったものの落選。結局、第3弾シングルとしてタイアップなしでリリース。セールスははかばかしくなかった。

「まずは曲を伝えないとGLAYの真価は発揮されない。どんな形であれ世の中に自分たちの曲を流したかったから、詞曲を直すのは苦じゃなかった。ただバンド内はギクシャクしましたよ。アーティスティックなメンバーは、売るために曲を直したりするのは嫌だったんじゃないかな。でも僕らが参加したのは〈プラチナム〉っていうぐらいだから、ビッグセールスを目標にしてるレーベル。大きな目標に対して、小さな声は聞かなかった」

95年のシングル「Yes, Summerdays」が20万枚を超えるヒットになる。例の宝石会社のCMソングだった。

「スタッフのがんばりに応えたかった。直しまくってリベンジしました」

デビューして2年。音楽活動は順調に進み始めた。

「GLAYにおける自分の役割を果たすこと、音楽で人々の笑顔を引っ張り出すことが自分の役目だと思った。ただ自分の幸せの形の外枠はつかんだんだけど、中身が分からない。分かったのは『BELOVED』っていう曲を書いたあたりかな。“自分がここで生きていることで正しいとしよう”っていう」

恐ろしく寛容なポリシーだ。この曲を含むアルバム『BELOVED』でGLAYは初のミリオンを達成。TAKUROが25歳のときだった。

GLAYを通じて得たもの。GLAYがなすべきこと

その後、GLAYは快進撃を続ける。ベストアルバム500万枚を売り上げ、幕張で20万人を動員する史上最大のライブイベントを成功させた。

「サザンもミスチルもできたんだろうけど、あまりに無謀なのでやらなかったんでしょう。僕らはバンドも会社も若かったから、細かい失敗があっても構わずにやれたんだと思う。GLAYがラッキーだったのは、ライブハウスの情熱と巨大な場所での人々の熱気をステージ上で感じられたこと」

実際、JIROは当時のインタビューでこう発言している。「普通のライブはやってて興奮する。でも大会場ではそれが感動になる」。アーティスティックなメンバーも、TAKUROの信念のもとにかけがえのない経験を積んだのだった。もちろんTAKURO自身も。

「ビッグセールスやイベントは人格形成にも影響がありましたね。人々がGLAYを通して見ているのは、彼ら自身だということが分かった。だったら合わせ鏡としてピカピカでありたいと思った。GLAYの目標は“何をやりたいか”ではなく、“何を映してあげられるか”だと思うようになった」

このTAKUROの生真面目さがGLAYの魅力の中核であり、またそれは重荷にもなった。

「数年前、朝日新聞にイラク戦争に対する意見広告を出した。ファンの中には“自分たちは楽しみたいだけで、メッセージはいらない”って言う人もいた。メンバー内にもシコリができた。ミュージシャンとしては楽しければそれだけでいいんだけれども、現実をちゃんと見て、願いや祈りを込めてポップな曲を作って歌うこともできるんじゃないかな」

生真面目さと寛容さ。この矛盾するふたつのファクターがTAKUROの中でせめぎ合う。ポップな音楽を作る一方で、シリアスな現実を見つめる。

「僕らのバンドが続いている理由は、メンバーがお互いの主張と才能を認めあっているから。平均的な意見にして伸びるのを止めてしまうのは嫌。今までそれぞれの時期に誰かが伸びてきた。その時はそいつにバンドの舵取りを任せる。これがバンドのバイオリズム。そうやってきた。だからGLAYはどこか青臭くて、詰めが甘いのかな(笑)」『LOVE IS BEAUTIFUL』は約3年ぶりのニューアルバムだ。

「GLAYはもはやひとりの先導者のいるバンドではない。ひとりひとりの主張をとことんぶつけてGLAYの道を探そうと、今回のアルバムは徹底的に話し合ったり、セッションした」

日本でもミュージシャンがいよいよ社会的なメッセージを発するようになった。GLAYもホワイトバンドのイベントに積極的に参加している。昨年、来日したU2のボノが開いたプライベート・パーティに、TAKUROは建築家の安藤忠雄、ミュージシャンの宮沢和史、MISIAらとともに招かれた。

「ボノから『ほっとけないアフリカ』というテーマを日本中にアナウンスしてほしいと言われた。ボノにあそこまで言われたのは悔しかった。オレとしてはアフリカのみならずアジアもだと思ってる。35歳の男としてオレは無知だと思う。でも、だからこそかかわれることがある。アーティスト活動と並行して、自分の住む地域、家族、自分の音楽を聴いてくれる人のためにも、批判を含めて触媒でありたい。たぶんオレが選んでいるのは、洗練されるのとは別の生き方ですね」

1971年、北海道函館市生まれ。88年、TERUらとともにGLAYを結成。高校卒業後、上京。94年、シングル「RAIN」でメジャーデビュー。96年2月に発売の2ndアルバム『BEAT out!』でオリコン初登場1位獲得。同じ年の3rd アルバム『BELOVED』では初のミリオンセールスを達成。以降も「口唇」「HOWEVER」などがヒット。97年にリリースしたベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』は当時のアルバムセールス記録を更新、約500万枚を売り上げる。99年7月に幕張メッセ野外駐車場で行われたライブでは20万人を動員。TAKUROは、そんなGLAYのリーダーであり、ほとんどの詞曲を手がける。1月31日にはニューアルバム『LOVE IS BEAUTIFUL』をリリース。13・14日の横浜アリーナから始まった「GLAY ARENA TOUR 2007 LOVE IS BEAUTIFUL」を展開中。

■編集後記

25歳になった96年、初のオリコン1位、初ミリオンを達成。「ソングライターとしてノッてきた年。オレは詞曲は書けるけど歌えない。でもそうじゃなかったらTERUの才能に気づかなかった。ボーカリストとしてのTERUの才能を引き出せたことがオレの自慢です」。「それまでいろいろ選択肢があったけど、どれを選んでも選んだ道を正解とする努力を惜しまずにやってきてましたね。っていうか、まわりに絶対失敗と思わせない(笑)」

平山雄一=文
text YUICHI HIRAYAMA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
谷崎隆幸(Fats Berry)=ヘア&メイク
hair & make-up TAKAYUKI TANIZAKI
坂崎タケシ(StyleLAB)=スタイリング
styling TAKESHI SAKAZAKI
スチーム=編集
editorial steam

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