「断固、戦うぞ!」

蜷川幸雄

2007.03.29 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
何でもアリで“世界”の権威を自らぶち壊す

「オレが怒ってばっかりいると思ってた? 和やかだよお、そりゃあ(笑)」

同じ、彩の国さいたま芸術劇場内。3月上演の『恋の骨折り損』の稽古場である。オールメール・シリーズと題した、男性キャストのみの舞台。先の稽古が和やかだったと告げると、蜷川幸雄は笑う。

「僕もジジイの仲間だから、特別みんなに信頼されているのかもしれないね。でも、こういう若い人たちとの現場でも何も違わない。10年ぐらい前から、サブカルチャーしかない状況になってしまったからさ、カルチャーの大切さも教えておこうと。ただ、これは矛盾なんだよ(笑)。オレたちはずっとカルチャーを教育されて育ってきたから。サブカルチャーやアンダーグラウンドこそが、カルチャーという硬直化されたものを豊かにできると思ってやってきたのが…今はサブカルチャーしかないんだから。“カルチャーも大事だろ”って言わざるを得なくなった」

71歳。とにかくめちゃくちゃ働く。冒頭の和やかな演劇集団『さいたまゴールドシアター』。今いる稽古場は、98年から始まった『彩の国シェイクスピアシリーズ』の第17弾。シェイクスピアの全作品を蜷川幸雄の演出・監修で上演しようという壮大な試みである。これらも含め、07年に演出する舞台は11本にも上る。

「数をやることで“狂ったクソジジイ”であることを見せようかなと(笑)」

少しまじめにいわく「カルチャーの正しさとサブカルチャーの持つ破壊力、その二つを持つ老人」でありたい、と。

「外国でちょっと評判よかったりすると“世界のナニナニ”なんてさ、恥ずかしい田舎っぺみたいな形容されて。権威化されるのはしょうがないけど、何でもやっちゃうことで、それを壊す。オレは何でもアリでいたいんだよ」

8月にこの劇場で『エレンディラ』という作品を演出する。コロンビア生まれのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの短編だ。砂漠を行く娼婦・エレンディラと不死身の祖母、彼女たちのキャラバンと密輸商人の息子の物語。

「前からマルケスに興味があって。いくつかの小説を読んで芝居にできないかなって考えていた。それと最近の韓国映画とかメキシコ映画、『親切なクムジャさん』とか『アモーレス・ペロス』なんて、ヨーロッパの中心的な映画よりもはるかに面白いわけ。いわば辺境なのに、違うんだよ。それが悔しい。何でオレたちはこういうものを作れないぐらいに疲弊してるのか! 優秀な連中の心理にはどっかで世界の荒れ果ててる風景とか戦争とか貧困が必ず忍び込んでる。僕もやっぱり神経がイラつくんだよね。“荒れたい”って思うの。すさんだ美しい物語ができないかなあと思う」

と同時に、「神話化された壮大な物語だから、かけ離れた現代文明を撃つことができるのではないか」とも考える。

「壮大な物語です。ところが、演劇は場所や予算に制約される。これに関して僕は制作会社と戦うわけです。権力が一見ありげなジジイも、企業と戦ったり闘争をしなければ、演劇を公演する場も作品のクオリティも、いろんな仕掛けも成立させられないわけです」

口をついて出たのは「走ってるトラック」「砂」「床に敷いてあるものがそのまま空中でテントに」「天使の羽根に包まれた爺さん」「火」…蜷川の持つプランも、まだ大枠でしかない。

「それをどう実現していこうか、問題は山のようにあります。でも、僕は自分の責任において、自分のテリトリーに関しては死守します、戦います…」

アングラから商業演劇へ戦いは今も終わらない

演出家を志したのは30歳。もともとは「女にフラれ続け、芝居やれば下手。演出家批判ばっかり」していた俳優だ。所属していた劇団のマンネリ化を打破するため、気鋭の作家・清水邦夫が書いた『真情あふるる軽薄さ』という戯曲で演出家デビューを試みるも玉砕。

「大学出てないし役者としての実力も実績もない。打率1割8分ぐらいの打者ですから、急にチームの監督をやりたいって言ってもね…」

劇団現代人劇場を創立。劇団の後輩の石橋蓮司や蟹江敬三を迎え、『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビューしたのが69年、新宿でのことだった。1月に全共闘の学生が東大安田講堂に立てこもった年である。反戦集会やフォークゲリラが行われていた町である。

「観客にも全共闘の学生たちが圧倒的に多かった。1本の芝居をやることがある種の騒乱状態で(笑)。デモに出るために芝居を早く切り上げたりした」

結局2年で解散、73年、櫻社を結成。小劇場での演出にどっぷりとはまりながらも、すでに「自分らの演劇が疲弊してることはよくわかってた」と言う。

そうして73年に、新宿での演劇の引退宣言をする。メジャーな商業演劇から『ロミオとジュリエット』の演出の打診があったのはそのころだった。

「やろうと思った。自分よりもギャラの高い俳優へのダメ出しって、とてもやりにくいことなんですよね。そのときの主演は市川染五郎(現・松本幸四郎)さんで、彼に物申すのはすごく困難でした。でもそれを成し遂げることで、自分自身がもっと、何かをかいくぐっててでも自分の意志を通せる人間になれるんじゃないかなと思ったわけ。その経験を得て戻ってくれば、俺は俳優に対してより良いサジェスチョンができる演出家になれるだろうと」

小劇場がえらくて商業演劇がダメだとも思っていなかった。だが櫻社内部で反対を受け、またもや劇団は解散。“誰が小劇場に戻るか!”“オレは生活者に観てもらう演劇をやり続ける!”。意地を張った。実際に『ロミオとジュリエット』に着手して驚いた。

「きちんとした技術があったんです。それまではアングラの同世代の若者たちとしか仕事していなかったから、そこで初めて、世界で本格的に勉強して、仕事をしてきた人と出会ったんです」

たとえばそれは有名なバルコニーのシーンの照明。ジュリエットが動くと、気づかないうちに、照明が変わる。森の木立越しに月光が降りてくる。

「しばらくは、いつ変わってるのか全然わからなかった。人間が舞台上の何を見ているのかを知ったうえで、それに応じて変えてるんですね。きちんとした理論に基づいてやってるわけ。プロだと思った。俳優では染五郎さん。初日からセリフが全部入っていて、1回やったら、観てるスタッフが全員拍手するぐらいすごかったんです」

触れてこなかったプロフェッショナルの技術がそこにあったわけだ、が、同時にそれゆえ…なめられた。そして“灰皿を投げる演出家”となった。

「俳優たち、サングラスをしてるわスリッパ履いてるわ、フェンシングのシーンなんか、ホウキでチョンチョーンってやってるわ…殺すぞこの野郎! サングラス外せーッ!って。外さないから投げるんですね。座ってたいすから灰皿から、その辺のありとあらゆるものを(笑)。当時、アングラ出身の演出家なんてオレ1人ですからね。浮きまくったよ、商業演劇でもアングラでも」

アングラ上がりの魔物のような演出家(しかもいろんなものを投げる)。新聞も「悪口なら載せる」と言ったらしい。嫌われ者である。仕事はない。

「鬱々と家にいたら、唐十郎が電話してきたんです。あの天才が“『滝の白糸』って台本書いたんだけど、演出してくんない?”って。“オレ評判悪いんだよ”って言うと“関係ないよ”って」

唐十郎といえば、当時、状況劇場で、日本の演劇界を牽引していた男だ。

「唐の才能に救われたんです。作品もすばらしかったけど、唐が“一緒にやろうよ”って言ってくれたおかげで、みんな僕にものを言いにくくなった」

劇団を飛び出すころから、戦って進んできた。今も(取材中でさえ)口を開けば「断固、戦うぞ!」。

「まさに今は、狂気のように仕事をしてるんだけど。心と体がいい状態でひとつになっていて進んでいけるときって、人生でそう何度もある波じゃないんですよね。ひょっとしたらこれが最後の波かもしれない。だからそのままいこうと思ってる。それ以外のことはわりとイージー。なーんも考えてないかもね」

1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団。67年に劇団現代人劇場を創立。69年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。72年、演劇集団「櫻社」結成。74年同劇団を解散後、『ロミオとジュリエット』で大劇場に進出。75年、『唐版 滝の白糸』を演出。83年の『王女メディア』以降、海外公演を行う。84年にはニナガワ・カンパニーを設立。98年からは彩の国さいたま芸術劇場にて、シェイクスピアの全作品上演計画に着手。99年には英国・ロイヤルシェイクスピアカンパニーとともに、『リア王』を上演。世界的な活躍の一方、06年、55歳以上の演劇集団『さいたまゴールドシアター』を創設。『エレンディラ』は脚本に坂手洋二、音楽にマイケル・ナイマンを迎え、中川晃教、美波、國村隼、瑳川哲朗らが出演。07年8月9日(木)~9月2日(日)、チケットは4月14日より一般発売。

■編集後記

実は、戦う性格は生まれ付いてのものではなかった。「小さいときは勉強できたんだよ(笑)。開成行って落第したりとか、芸大落っこちてゆがんで、盆栽の松みたいになっちゃったのかもなあ」。25歳のときは劇団青俳の俳優。みんなでやる装置作りも「俳優だから」と、入団当初からかたくなに拒否。「“どうしてそういう解釈になるんですか?”“どうしてそんなセットが必要なんですか”とか言って、演出家批判ばっかりしてたね」。そして演出家を志す30歳で結婚する。

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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