「今つけてる“見切り”はまやかしだよ」

夢枕 獏

2007.04.19 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 松尾 修(STUH)=写真 photography OSAMU M…
何でもアリの剣豪小説。そしてデビューのころ

『大帝の剣』が書かれ始めたのは1986年。5巻までを出版、連載していた96年に雑誌が休刊となったため、未完のまま中断されていた。それが05年、映画化を機に復活。

「現代劇で戦いの話って難しいんですよ、おまわりさん飛んでくるから。人を斬ったりなんかすると、すぐね。そういう状況設定抜きの戦いを書いてみたいなと思ったんですね。それは時代小説だろうと。そこに僕の好きな剣豪をオールスターで出して、なおかつ時代物にない要素を入れようと思ったら…日本刀で宇宙人ぶった切る話だな。それも普通の刀じゃ面白くないな…ものすごく大きくて、アレキサンダー大王が持っていた剣がいいな。宇宙人をぶった切るぐらいだから普通の剣じゃないな…オリハルコンにしよう。これは現代でいうとおそらく真鍮のことだと思うんですが、それじゃ面白くないんで、謎の金属・オリハルコン!」

そもそもこの話が生まれたときの思考の流れは、こんな感じだった。原作には宮本武蔵に佐々木小次郎、柳生十兵衛も登場し、剣と忍と化け物が “総合”的な戦いを繰り広げる。途方もない映画よりもさらに途方もない、何でもありの物語である。

書き始めたときは35歳。いまでは、新たな連載を始める際には100冊以上の資料とともに温泉にこもり、戦略を練るというが、当時は「本番こそが勉強」と勢いのままに進めた。

「恐ろしいものですね。こわいものがない、というかこわいものがわからない時代でしたね」

デビューは26歳。10代から“職業作家”を目指し、大学を卒業するときも出版社をひとつ受けただけ。編集者をやりながら小説を書こうと考えていた。就職に失敗し、山小屋で働く。

「25歳ぐらいのころ、小説を書きながら、このまま売れなかったら何かやらなきゃと思った。そのときに、“あ、俺って何をやっても今、同級生からは3年遅れるんだ”って気づいた。でも作家の道を歩く限り、それは10代からやってたからね。今思えば、全然遅くないんだけど、そのときはもう遅いと思っちゃったんだよ。俺は作家しかないって思い込んだ。なりたい、じゃなくて、もうこれしかないって(笑)」

大学を出て3年目の社会人が、将来について悟ったような気になる。まあたぶんこんなものだろう、と。それと似たような構図である。

「25歳である程度の見切りができるって気持ちはよくわかるけど、それはまやかしだよ。未来はそんなに簡単に思ったとおりにはならないから。社会が変わることもある。バブルになったり弾けたり。北朝鮮が来るかもしれないし。あ、自分が病気になるかもしれない。勝手に思っちゃうだけだよね」

33歳ごろ、原稿の月産は800枚に達した。夢中で書きまくる日々に、新たに始めた『闇狩り師』と『魔獣狩り』が突然売れ始めた。それまで2万部程度だった部数が一挙に60万部。小説だけで生活していける、まさに“職業作家誕生の瞬間”だったのではないか。

「書いてる側にしてみれば、何も変わらない。売るためにはこうすればという戦略は全然なくて、書きたいものを書いているだけ、それはいまもそうだけど。状況的には職業作家だったかもしれないけど、まだ自分のなかでは職業作家だとは思えなかった」

職業作家とは何か。将来の展望について

現在56歳。今も月に十数個の締め切りを抱えている。『闇狩り師』も『魔獣狩り』も依然、書き続けられている。「ネタに困ったことは一度もないですね。いくつかあるなかのどれにしようかとかいうレベルでは迷うこともあるけど。小説のアイデアってね、書けば書くほど増えていくんです。1作書くと、2作は書きたいものが増える(笑)。どんなものでも、書いているとステージが上がるんです。違う視点でものを見られるようになるので、“あ、これはネタになるな”って気づくようになる」

こわいのは、アイデアではなく、書くためのリビドーが枯れること…。

「書けないこともあります…っていっても書くんですけどね(笑)。それをいかにしのぐか。20年やってる連載とかいっぱいありますからね…書いてるときっていろんなことがあるんですよ。親父が死んだりとか。社会に出てからいろんなことがある。そのすべてのときに締め切りが来るんです。そうして書いたものが本になってみると、わりとちゃんといい話なんです。みんなが夢枕獏に要求する水準みたいなものがあると思うんですが、どんなに調子が悪くて書けなくても、その水準ギリギリを維持できる自信みたいなものができた。どういう状況でもやれるんだと。嵐がやってきたら、この島の影で休めばしのげるとかね。それを実感したとき、ああ職業作家になったなあと思ったんじゃないかな」

職業作家とは、お金を稼ぐだけではなく、一生小説を書き続ける人のことだったのだ。

「“一生書けばこわくない”とわかったのは40歳すぎてからです。たとえば“3カ月で”と思ったとき、2カ月スランプだったらあと1カ月しか残ってない。でも“一生やろう”と思ったら、スランプったって、一生のうちのたった3カ月。そのあとやればいいんです。そうした見切りみたいなものがついた。売れてる本がいくつかできたけど、売れてない本もあるんです。書いてる力はどれも同じ。売れてる・売れてないというのは、僕が書いたものを社会に送り出したときの現象に過ぎない。それに左右されず、僕はとにかく一生小説を書いていくことがわかった」

ちょうどそのころ、同級生のあいだで生涯賃金の計算が流行した。

「僕は印税なので、残りの生涯で何冊書けるかっていう計算をしたの。“このアイデアでこの本を”って割り振ったら、年10冊で60歳まで書いて200冊…でも200冊じゃ足らない。アイデアが全部本にならないんですよ。それでがく然として…」

がく然としながらも老後の設計をした。数年がかりで気持ちのいい川沿いに釣り小屋を立て、釣りをしながらそこで原稿を書くのだ。そして陶芸にいそしむ…夢枕獏はこっちを見てにやりと笑う。

「10代のころって、今のあなたの年齢はもっと大人でいろんなこと知ってるはずだったでしょ。世間的に、外見上は大人に見えるかもしれないけど、中身は変わんないよね。それは56歳でも同じ。バカみたいなもんだよ(笑)…設計はした方がいいけど、設計どおりいかないということが、僕にはよくわかりました(笑)」

1951年1月1日、神奈川県小田原市生まれ。77年『奇想天外』にてデビュー。82年『幻獣少年キマイラ』を刊行、現在まで続くキマイラシリーズの第1作。84年サイコダイバーシリーズの第1作『魔獣狩り(淫楽編)』を刊行。『闇狩り師』と合わせ、ベストセラー作家の仲間入りを果たす。伝奇バイオレンスやSF、格闘小説を数多くものする。88年に刊行された陰陽師シリーズはこれまで2作が映画化され、いずれも大ヒット。89年には『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞を受賞。『餓狼伝』『陰陽師』『大帝の剣』(週刊ファミ通)など連載、およびシリーズ作多数。映画『大帝の剣』は現在、全国東映系で上映中。

■編集後記

どうしても作家になる、というよりは「作家になるしかない」と思いこんでいた。26歳のとき、筒井康隆が主宰していた同人誌『ネオ・ヌル』に『カエルの死』が掲載。これが『奇想天外』に転載され商業誌デビューを果たす。代表作『キマイラ』シリーズを書き始めたのが82年。獣人化する少年と彼を取り巻く人々と武術! 完結までにはさらに20年を要するとのうわさも。作品を書けば書くほど書きたいものが増えるのも事実だが、1作が深く広くなっていくのもまた事実。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
松尾 修(STUH)=写真
photography OSAMU MATSUO

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