「いまやりたいことをやってしまう」

北野 武

2007.05.24 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 松尾 修(STUH)=写真 photography OSAMU M…
映画を解体し、見直す。それにはもう1本

「最後のオチ、結局はアレさえ使えば何でもありなんだよ」

映画のなかでは、キタノ・タケシ監督が、次回作を“次々と”撮る。得意のギャング映画を封印してしまい、新たな方向性を見いだすべくさまざまなものに挑戦する。そんな映画だ。ラブストーリー、小津安二郎を彷彿させる人情劇、流行の昭和30年代もの、ハイスピードな忍者アクション、いわゆるJホラー…1本に決まらないのは、すべてが製作途中で暗礁に乗り上げるから。そして話はSFになり、びっくりするようなクライマックスを迎える。

「“いまこういうものが当たってるから”という設定でどんどん撮っていくんだけど、一応はそれなりに自分で題材を解釈した短編にしてるつもりなんだよ。まじめに映画を撮ってまじめに編集してみて、改めて観てみるとミスしてるところがいっぱいあるわけ」

そこをナレーションが辛辣に突っ込んでいく。撮影のときは、そこそこまじめに演出される(めちゃくちゃなエピソードもあるけれど)。俳優たちもきわめて真っ当に演技している。ナレーションで初めてそれがコメディだとわかる。

「うん、一所懸命やろうとしないと。それでミスするからおもしろいんだもの。(渡辺)哲さんが白塗りでふすまにドンとぶつかるところだって、本番で助監督が開けんの間違えたんだけど、やっぱりおかしいのよ。あれを決め込んでコントでやっちゃうと違うんだ」

いわゆるラブストーリーを撮ったことがない。小津安二郎ふう人情劇も昭和30年代ものも忍者アクションもホラーもSFも。つまりこの作品で、オリジナルを撮る前にセルフパロディーを撮ってしまったことになる。これから撮る作品の幅を狭めることになるのでは、と問うと、そんなちゃちなモノではないのであった、北野 武という監督は。

「いま年に1本も撮ってないからね。3年に2本ぐらい。このペースで考えれば、残り少ないなかで、あと何本撮れるかわかんない。だからここで“こういうのも撮ろうと思えば撮れる”ということを言っちゃってるのかもしれないね…撮らないんだけど(笑)。やろうと思えばできると言ってそのまま終わるわけにはいかないので、この映画のなかでは“すいません”って言ってオチつけてるっていう。時代が変わって新技術みたいなのができたら、発想も変わって、違うやり方でできる可能性も出てくるだろうけど」

重要なのはストーリーではない。冒頭の『座頭市』の話、は冗談でもない。

「映画の歴史って100年ちょっとでしょ。へたすりゃ絵はアルタミラとかラスコーの壁画から考えると何千年もあるよね。ルネサンスとか印象派とかキュビズムとかポップとか、じゃんじゃん変わってるじゃない。映画に置き換えるとせいぜいクローズアップとか編集ぐらいしかねえよなあって。で、映画におけるキュビズムなんてことを考えてみるとさ…」

またちょっと楽しくなってきた。キュビズムというのはアレだ、対象となる物をいろいろな角度から見て、その形をひとつの画面のなかにペタッと表現しようというものだ。いわゆる遠近法を放棄した表現手法だ。

「1回普通に編集しておいてさ、ストーリーをバラすの。エンディングが真ん中にあったり、冒頭があとにあったりするけど、観終わったらストーリーが全部わかって感動するような。『おしん』とか『水戸黄門』みたいに、誰でもわかるようなストーリーでさ。でもそうやって分解するためには各シーンがよくないともたないじゃない。単純なストーリーと魅力的な映像と、入れ替えてもわかるような編集ってのが、新しい映画の形としてあるよね」

前作『TAKESHIS'』のとき、ひと区切りという発言があった。そしていま。

「『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』と次にと撮る作品を三部作と思ってるんだよね。それでいまやりたいことをだいたいやってしまおうと。『TAKESHIS'』はビートたけしと北野武の壊し合い。今回はオレのなかの監督の殴り合いをやったのね。次は映画そのものの解体、みたいな。そこからもう1回エンターテインメントとしての映画を考え直していこうかなと思ってる」

何者のつもりもなく、ましてや監督など

『水戸黄門』を分解するとこうなる、という解説に爆笑させられる。『監督・ばんざい!』のギャグの再現も最高。というか当然か。世界のキタノである以前に、日本のビートだもの。

80年代にはツービートとして毒舌とスピードでマンザイブームをけん引し、『オレたちひょうきん族』で裏番組に引導を渡し、超早口のラジオ番組で一世を風靡した。もちろんそれ以前には、何者でもなかった。大学生、ジャズ喫茶のボーイ、タクシー運転手などを経て、浅草のストリップ劇場『フランス座』のエレベーターボーイになったのが72年、25歳のとき。

何者かを目指していたわけではない。「浅草の興業街の社員だと、映画のフリーパスがもらえた」から。そして「手を抜いていちばん楽なのは浅草のエレベーターかなと。仕事中、本読めるしね」という理由だった。

だが当時、男がストリップ劇場で働くことは、コメディアン志望を意味した。

「高級な外車で乗りつけて、あるタレントがエラそうに浅草を歩いてんの。舞台を観たら全然面白くなくて。こんなのいつでもできんじゃんかと思った。“いつでもオレできるよ”って言ったら“大師匠だぞ、ばかやろう”ってフランス座の人に怒られたけどね(笑)」

北野青年をコメディアン志望と勘違いした師匠・深見千三郎が手を差し伸べ、“あんな楽そうなことなら”と応じたのが、この世界に入った最初。

それから17年後、初監督作『その男、凶暴につき』が手がけられる。そうして入ったお笑いの世界の延長線上には、普通、監督なんてありゃしない。カンヌやベネチアを制し、「世界の映画監督35人」に選ばれることも同様。

「『リベラシオン』だっけ…あっちの新聞にいたテマンっていう記者とよく飲みにいくんだけど、オレのことをすごく自虐的だっていうんだよ。今回の映画の内容もちょっと言ったら、“なんでそんなことをするんだ”って。“なんで?”って言ったら、やっぱりちょっと変だって。不思議な顔をしてるよね。たぶんヨーロッパの大多数は、“なんで自分で自分の首絞めるようなことを!”って思うかもしれないね。オレはお笑いから出てきて、そんな偉そうな位置にいるのがイヤで。ステイタスみたいなものは壊していかないといけないって言うんだけどねー」

1947年1月18日東京都生まれ。明治大学工学部中退後、各種アルバイトをへて、浅草で深見千三郎に師事。漫才コンビ・ツービートとして一世を風靡する。お笑いタレント・ビートたけしとしても80年代以降大活躍。89年『その男、凶暴につき』で映画監督デビュー。これまでに13作を監督。作品は以下の通り。『3-4×10月』(90年)、『あの夏、いちばん静かな海。』(91年)、『ソナチネ』(93年)、『キッズ・リターン』(96年)、『HANA-BI』(98年、ベネチア国際映画祭金獅子賞)、『菊次郎の夏』(99年)、『BROTHER』(01年)、『Dolls』(02年)、『座頭市』(03年、ヴェネチア国際映画祭監督賞)『TAKESHIS'』(05年)。最新作『監督・ばんざい!』は6月2日、テアトルタイムズスクエアほか全国ロードショー。

■編集後記

初めて観た映画の記憶は悲しくて…「『鉄道員』だもん。兄貴に上野に連れてかれて、帰りに公衆便所で恐喝にあって金とられて…映画は暗いわ、金はとられるわ、千住までとぼとぼ歩いて “映画はヤだ”って言ってたもん(笑)」。でも、映画を楽しみに浅草に来るようになり、コメディアン志望と勘違いされ、お笑いの世界へ。師匠・深見千三郎の下で立った初舞台は痴漢のコント。ストリップの幕間である。タップダンスに初めて挑戦したのもこのころ。師匠が名手だったのだ。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
松尾 修(STUH)=写真
photography OSAMU MATSUO
市村幸子=スタイリング
stylist SACHIKO ICHIMURA
海野善夫=ヘア&メイク
hair&make-up YOSHIO UNNO

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