「困ってるときほど、面白がれる」

イッセー尾形

2007.06.07 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
自分のカセに気付け。さらけ出してなげうて

ワークショップをレポートした『イッセー尾形の人生コーチング』という本がある。中身はスリリングだ。

参加者はまず、最初にそれぞれ一言述べさせられるのだが、自己紹介は禁止。参加した動機も禁止。かと思いきや、今度は自分が嫌っている人の名前を挙げさせられる。でもってその人のまねをさせられる。参加者は感覚がグリングリンになりながらトライするのだが、ダメ出しを連発される。

そうして自らをさらけ出し、自分にハマったカセと向き合うことになる。

「人間は、カセがいっぱいあった方がチャーミングですよね。人が自分のカセを発見した時って、チャーミングなんですよ。自分をさらけ出したとき、

“あー、こんなことをカセだと思っていたのか”って気付くわけです。子どもはそれがうんと少ないですよね。元からみずみずしい。芸達者な子も内気な子もいますけど、ああいうみずみずしさに触れることも、僕にとってはそうそう体験できることじゃないです」

そうした自分では気付かないカセが、他人と自分を差別化する、すごく小さなポイントなのだ。で、イッセーさん、みんなの“さらけ出し中”何をしているかというと、傍で見ている。最終日には舞台で芝居を上演することになるのだが、“自分はそこにどう入っていこうか”とか“これをどう作品にしようか”なんて、考えているらしい。みんなの似顔絵を描きながら。

「人に興味があるから。僕は普通の人を演じながらも、普通の人と出会うチャンスが少ないんですよ。だからワークショップぐらい幸運なことはないわけで。まず、顔はどう違うんだろう、この人とこの人はどう違うんだろう、この人自体はどういう顔をしているんだろうと…意味付けしちゃえばいろいろありますけど、“そうせざるを得ない”のかな。つまり、どっぷり参加すると、がんじがらめになって、自分が狭くなってしまうんですよ。だから絵を描くとか別の作業をやりながら。参加している方が、世界が豊かになる。それは僕にとって贅沢な時間ですね」

狭くなる、といえばこんな話もある。ワークショップで“2人1組で”という指示が出る。普通、2人で演劇的なことというと、会話しちゃうのだが…「だまってなさい、と。2人がどういう関係に見えるかは、観客が決めるから。お客さんの空気とか、お客さんの想像にのっとって関係を決めていくというね。これも雄三さんならではの考え方なんですけど。もちろん方法論なんてないんですよ。ただ2人で出て行って観られて、“うまくいった”とか

“だめだった”とか、そういう実験を繰り返すしかない。そこにいる2人が2人の世界を進めてしまっては、非常に狭いものしかできない。進まない」

やってみるまでわからない…それについては何度か2人芝居で共演した小松政夫の迫力に圧倒されたという。一人芝居中心のイッセー尾形は、誰かと組んで演じることに関しては、まだ開発余地がある。でもさんざんやってきた小松さんが、まだなお、どうなるかわからないことに関して貪欲なのだ。

「まだそこまでなげうつことができるか! と。やっている僕たちも、観ている人たちも、次どうなるんだろうって思うこと…おへそみたいなもんですね。芝居において、“それがなきゃ”っていう。おへそなんて言ったのは、今が生まれて初めてですけど (笑)。あのー、バーテンができたときだって、同じようなことだったと思います。昔、森田と2人きりになったときに、僕たちの間に立ち上がってきた意識と変わらない気がする」

やるまでわからない。でもやれる。

“バーテン”“森田と2人”…27年前、一人芝居が生まれたときの話だ。

困っても、面白がれる。それが芽生え始めたとき

尾形一成青年が、演劇を始めるために入った養成所の塾長みたいな立場だったのが森田雄三だったという。

「演劇の世界に入って、不安でいっぱいですよね。これでいいのかどうかわからないときに、森田が僕のやることを全部面白がってくれたんですよ。それでいいんだよと。そういうことを言われるとやっぱりうれしくてね」

しばらく2人は演劇活動をともにする。2人とも鳶の仕事でお金を稼ぎつつ。やっていたのは、いまみたいな作り方ではない普通の芝居だった。

25歳のときだ。イッセー、雄三と大げんかをする。どうやら、芝居の稽古のときに、雄三さんのことを“おう、溶接屋、来たか”的に呼んだとか呼ばなかったとか。それは引き金に過ぎなかったようなのだが…。

「“演劇に(建築)現場の関係を持ち込むんじゃねえ”と。森田の思想なんです。演劇をやるときには、属してる社会を持ち込むなと。最近はあまり言わないけど、昔は本当に口をすっぱくして言ってたんだよね。いまの自己紹介禁止にもつながるんですけどね」

それで殴り合い。本当に芝居を離れてしまった。一生、鳶でいくか、いや、でも演劇も面白い。心が揺れるなか、雄三さんちに長男誕生。

これをきっかけに再会。3年の月日が流れていたという。そのころの雄三さん、自分のグループで演劇をしていた。仕事の忙しさなどから稽古に来ない人が増えていた時期でもあった。お金はなかった。人数は減り、とうとう2人。

「ベビーベッドに腰掛けて、舞台みたいにしていろいろやってたんです。一人でやるにせよ、なんかセオリーみたいのがあるんだろうなとか。それを作んなきゃとか。いろんなものが足りないと焦ってみたりとか。で、困ったときになんとなくチョビヒゲ描いてオールバックにしてみた。“これどう?”って。バーテンの格好はしてみたけど、何も出てこない。困りますよね。森田も困って、2人で困ってるんですよ。何をしたらいいんだろうって」

困った。別にバーテンダーにこだわる必要はないのだが、困った。

「そしたらそこで、なにか慣用句みたいなものがあるだろう、ということになって。“いらっしゃいませ”って言ってみたんです。それを羅列してみた。自分で飽きないようにニュアンスを加えながら、“いらぁしゃいませ~”とかね。要は、自分じゃない他人を作ると。困ってるんですよね。そういう時は。けど、困ってるという意識はあんまりなくて。どこかで何か出てくるはずだ、出てくるはずだ、と思ってる。面白がろうとする力が強いんですね」

いろんな“いらっしゃいませ~”のうち、こんな服を着て、こんな“いらっしゃいませ”を言う人は、こんなふうに動くんだろうなと思う。記憶の中から、なんとなく“いらっしゃいませ”の場面が掘り起こされ、面白がって想像して、人物ができていく。

よっちゃん。そのバーテンダーの呼び名である。オフィシャルウェブサイトによると、中目黒の劇場で、よっちゃんが演じられたとき ― 一人芝居の一番はじめだ ― 観ていた人はたった5人だったらしい。

1952年、福岡県生まれ。71年、演出家・森田雄三と出会う。『ボクシングエレジー』を共作。80年、『バーテンによる12の素描』上演。今日の一人芝居の礎となる。翌年、「お笑いスター誕生」で8週勝ち抜き、世間的な認知を得る。82年より一人芝居『都市生活カタログ』シリーズがスタート。85年、文化庁芸術選奨文部大臣新人賞大衆芸術部門受賞、90年には『都市生活カタログ』で、ゴールデンアロー賞演劇芸術賞を受賞。92年、桃井かおり、小松政夫との二人芝居を。この年から旅公演が始まり、現在では年間約120ステージにのぼる。翌年より海外公演開始。05年にはアレクサンドル・ソクーロフ監督作『太陽』で昭和天皇を演じ、話題となる。05年6月から、ワークショップ「イッセー尾形のつくり方」をスタート。森田雄三、イッセーと参加者たちが4日間で芝居を作る試みは好評にて継続中。書籍『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)に続き、『イッセー尾形とステキな先生たち「毎日がライブ」』(教育出版)も発売中。6月10日まで『イッセー尾形と小松政夫のびーめん生活in世田谷パブリックシアター』上演中。
その他公演スケジュールは

■編集後記

中目黒での『バーテンによる12の素描』が28歳。お客は5人で、「もうやめようか」「やめるなら最後にテレビに出たい」となった。中目黒の5人のお客の中に、かつて森田さんがタレント学校で講師をしていたときの教え子がおり、その人物が紹介してくれたのが『お笑いスター誕生』。「きみは全然テレビに向いてないと思う」。プロデューサーは言った。「だけど、僕の勘が彼を出せと言っている」。イッセー尾形は結局金賞を獲得、この世界に残るきっかけとなった。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

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