「自分は探すんじゃなくて作るもの」

山田五郎

2007.06.21 THU

ロングインタビュー


藤井たかの(steam)=文 text TAKANO FUJII 稲田 平=写真 photography PEY INADA
“貧乏=ダサい”時代の到来。でも案外乗れた80年代

「俺はホントにダメ人間で、大学時代は決まったバイトができなかったの。次の日になんかしなきゃいけないと思うと、ものすごく気が重くなる。どんどん気が重くなって、最終的に寝ちゃう。だから『Z会』の添削や東大オープンの問題に使う英語の長文探しとか、家でできるバイトしか務まらなかった。ほとんど奨学金だけで食ってて、一時は奨学金成金とさえ呼ばれてました」

大学時代は「フラフラ」していた。オーストリアに留学するのだが、それもある種「フラフラしてただけ」。帰国してみると、浦島太郎状態だった。

「80年にパラダイム変換があったんだよ。70年代はフォークが主流で、長髪で下駄履いて三畳一間で同棲生活するのが憧れ。俺らロック好きも汚い長髪で、貧乏がカッコいいと思ってた。でも、留学から帰ってきたら、みんなモミアゲなくなって“テクノ”だよ! それまでは貧乏エライだったのに、いきなり貧乏ダサいに変わってて」

80年代。DCブランドにディスコ、ボディコンに肩パッド入りスーツの“なんとなくクリスタル”な時代。プログレシッブ・ロック好きの文系男子としては、当然ジレンマも…。

「それがシャクなことに意外と乗れちゃったんだよ。みうらじゅんさんだってテクノ時代があったわけだし。あの人、『モッズ・ヘア』が店の名前じゃなくヘアスタイルだと思ってて、近所の理髪店で“モッズ・ヘアにしてください”って頼んだら、“それは原宿です”って言われたらしい。80年代はサブカルにも大資本のお金と景気が流れ込み、それはそれで面白い時代でした」

たとえ興味がなくてもどんなものでも好きになる

帰国後、美術の学芸員を目指したが、翻訳要員や地方美術館の順番待ちといった状況にイヤ気がさす。映画にも興味があったが、就職先が見つからずに断念。文章にすると挫折のニオイがプンプンするが、本人が語ると明るい。

「同級生が会社訪問をはじめたから、とりあえずついていったら、交通費で5000円もくれたんだよ。LPが2枚も買えんじゃん! って喜んで、交通費目当てに何社か受けたら、どれも結構うまくいって。ところがテレビ局で内定もらってたのに、ちょっとしくじって取り消され、気がついたら講談社しか残ってなかった」

配属は男性情報誌『ホットドッグ・プレス』である。

「もともと美術がやりたくて会社に入ったのに、担当はファッション。しかも当時のホットドッグってまだ全然売れてなくて、編集部も新館を建てた時の工事事務所みたいなプレハブの中。“2、3年で戻してやるから”って、もうはじめから左遷状態ですよ」

はじめて挨拶に行った時、編集部には経理担当の女性しかいなかった…。

「当時、俺のオヤジが旭化成に勤めてて、編集長が“よし旭化成か、じゃあファッションがいいな”って。全然、関係ないじゃん、それ(笑)。単にファッション班が人員不足だっただけ」

 しかし、ホットドッグ・プレスはセックス特集を中心に人気となり、80年代を象徴する男のバイブルとなる。

「よく“仕事だから割り切ってやれ”って言うけど、雑誌の仕事はそれじゃダメ。割り切ってやってると、それなりのページしか作れない。紹介する側が本当にいいと思って、体重のせてやんないと、読者を説得できない。亡くなった淀川長治さんが『日曜洋画劇場』で解説してたのは、好きな作品ばかりじゃなかったはず。なのに、ものすごく嬉しそうに解説してたでしょ。あの人は、どんな作品でも、これはと思えるところが見つかるまで観たらしいんだ。“バスがすごい勢いで走ってましたね~”とか“あの女の子の可愛いことぉ”とか(笑)。作品の本質とは関係なくても、ホントに思ったことだけを言ってるんだよ。だから俺もファッション記事で、こりゃダメだみたいなブランドを扱うときでも、めっちゃカッコいいと思い込むところから入ろうと。そうやって興味を持って掘り下げていくと、どんなものでもそれなりに面白くなってくる。30歳を過ぎたあたりかな、もう大丈夫だ、俺はなんでも興味が持てるって思えたのは」

ファションからセックス特集、正月のしつらえまで、とにかくなんでも好きになって臨んだ。そこで吸収したものが、後に“うんちく王”と呼ばれる知識につながっていく。

「今の若い人って“自分探し”が好きだよね。でも探すってのは、たとえば“タバコどこいった?”とか探す対象がわかっているから見つかるわけでしょ。何かわからない自分を探したって、見つかるわけないじゃん。自分は探すんじゃなく、作るもの。同様に、最初から理想を100%かなえてくれる仕事や異性が、どこかにいると思ったら大間違い。自分から好きになることで、相手を理想に近づけてかなきゃ」

決して今の自分を目指してきたわけじゃない。ただ、どんな状況でも受け入れて、好きになったから今がある。

「なんでも好きになる」というスタンスを開眼した30代前半、『タモリ倶楽部』でお尻学者としてテレビデビュー。タレント山田五郎の誕生だ。

「個人的には腕や脚の方が好きで、お尻は詳しくもなんともなかった。でもやるからには好きになっていこうと思って、お尻の形を西洋美術の様式で分類したりして遊んでみたんです」

以後、順調にテレビの仕事が増えたが、並行して編集の仕事を本名の武田正彦の名前で続けていた。

「平日昼に編集の仕事をして、深夜家に帰って原稿を書く。で、テレビの収録は土日。曜日が違うから、わりと切り替えはできましたよ。編集や原稿と違い、テレビはゲラのチェックもないし、時間内で終わる。特に生放送は、一発勝負ならではの爽快感がある」

今も純粋なタレントではない。

「テレビの仕事も楽じゃないけど、今は原稿を書く方が100倍しんどい。俺、編集原稿を書くのは早かったのに、署名原稿になるとてんでダメで。好きなことを書かせてもらっていることが、逆にプレッシャーになっちゃって。我ながらつまらない原稿しか書けてない。どうすればいいと思います?」

スタート地点は100から真のマニアは恐ろしい…

苦手も好きも、なんでも学んでミックスする。そんな山田五郎の天職といえる番組がCSモンド21の『マニア解体新書』、このたびDVDが発売された。毎回、コスプレやバス、食虫植物などディープな趣味を持つマニアが登場する。山田はマニアを特別視せず、崇めもせず、絶妙な距離感と幅広いボキャブラリーから、マニア心理をわかりやすく解説する。編集者時代に培った知識やバランス感覚がいきている。

「それ、バランス感覚っていうのかなあ(笑)。あのなかでは、切手マニアの人が印象的。電気に関する切手を集めてるんだけど、よく見ると1枚1枚の状態が半端じゃなくいいの。しかも、必ず意味のある消印が、人物の目や鼻にかからないように押してある。本当のマニアはレアものを手に入れるだけでは満足せず、さらに状態のいいものへと買い替えていく。だから最終的にメチャメチャ状態のいいものばかりが集まるんだよ。あの1枚に辿り着くまでに、一体どれだけの切手を通過してきたのかと思うと恐くなる」。

自身のドクロコレクションもたいしたものだと思うのだが…。

「いや~、俺なんかまだまだ。ドクロもせいぜい60~70個ぐらい。マニアは100とか1000は集めてないと。でもまぁ、ドクロに関してはわりかしいい物が揃ってきたかな」

1958年、東京都生まれ。小学校5年から高校まで大阪で過ごす。上智大学在学中に、オーストリア・ザルツブルク大学に留学。卒業後、講談社に入社し『Hot-Dog PRESS』に配属。勤務のかたわら、91年に『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)でお尻学者としてデビュー。ファッションから西洋美術、時計にドクロ、化石鉱物など幅広い分野に精通し、評論・執筆活動を続ける。04年に講談社を退社し、現在フリー。著書に『20世紀少年白書』(世界文化社)などがあり、「出没! アド街ック天国」(テレビ東京系)などに出演中
一般人には理解できないディープなマニア道を独自の視線で解き明かした「マニア解体新書」が、ジェネオン エンタテインメントより発売中。

■編集後記

ホットドッグ・プレス編集者時代。「25~30歳まではもっともよく働いたし、調子こいてもいた時期。残業は月300時間ぐらい。ほとんど家に帰ってませんでした」。全国を回ってファッションスナップを紹介する連載を担当。この時、地方の質屋などで時計の収集をはじめ、徐々に収集癖が出はじめる。29歳の時にはファッション班でありながらSEX特集を担当。「“女の子はオチンチンをどう見てる? ”とか、いい大人がくだらないことを朝まで真剣に議論するのが楽しかった(笑)」

藤井たかの(steam)=文
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