「未知の領域こそ経験する価値がある」

西村雅彦

2007.06.28 THU

ロングインタビュー


藤井たかの(steam)=文 text TAKANO FUJII 稲田 平=写真 photography PEY INADA 冨田…
役のイメージをつかむまで台本を何度も読み研究す

もはや日本中の誰もが知っているこの顔。93年のドラマ『マエストロ』で 

“怪優”と称され、94年『古畑任三郎』の今泉巡査役で大ブレイク。コミカルでもニヒルでも、どんな役を演じてもちょっとクセがあり、出演しているだけで何かを期待させる存在。その演技力が存分に発揮されたのがラジオドラマ『ON THE WAY COMEDY 道草』である。バツイチのクレープ屋店長や、いまだに座敷わらしを見ることができる純粋なサラリーマンなど、表情やしぐさが見えないラジオというメディアでも、独特の存在感を醸し出す。

「もう6年も続いています。ラジオドラマというこれまでやったことのなかったジャンルに不安もありましたが、同時に自分のなかで毎回すごくワクワクして続けることができました」

小池栄子や北村一輝、バナナマンなど個性派キャストが共演するショートコメディ6作品として実写化された。例えば「カーラジオドライブ」では、引退を決意するラジオDJの役。トコトン弱気だが、オンエアがはじまりマスクをかぶると、ハイテンションの“パイソン西山”に豹変。ところが、CMになりマスクを取ると、また疲れた顔で引退をほのめかす。その放送は、引退を決意するバナナマンのカーラジオから流れ、物語はシンクロしていく。極端な弱気と強気がマスクという装置で交錯する。その瞬間がスリリングだ。

「あの役は異常なハイテンションでいこうと決めていました。対比をつけることで面白くなると。そこで、間をどうするのか、声のトーンをどうするか。そういった細かいところを監督と詰めていった。現場ではどうしても時間に追われて、詰めが甘い状態で見切り発車になることもありますが、今回は妥協をせずに撮影に臨めました」

演じる前に何度も台本を読み、役のイメージをつかむまでトコトン突き詰める。20年以上続けてきた習慣だ。

俳優を目指し2度目の上京。支えとなったのは“不安”

西村雅彦は2度上京している。1度目は19歳の時に進学のため。しかし、東京になじめず半年で富山に戻り、写真専門学校へ。卒業後は地元でカメラマンのアシスタントになる。この時期にアマチュア劇団にも所属した。

「劇団に所属したのは広がりが欲しかったから。違う世界の人と知り合うことで、接点が多くなり、見えなかった世界が見えてくるんじゃないかと思ったんです。また、人間関係を多く持つことで、カメラマンとして独立した時に、助けになるとも思っていました」

1年ほどカメラマンと劇団を並行して続け、本格的に役者を志す。

「きっかけは“興味”です。俳優としてそこに従事している人たちが、どういう想いで取り組んでいるのか。俳優とはどういう人種なのか。舞台に立つ前と後で何が違うのか。演じる側の人間に興味があった。そして、演じることで、違う自分を見つけられるかもしれないとも思っていました」

劇団では、新顔にもかかわらずメインの役に抜擢。「自分には人を魅了する力があるのかも」と考えはじめた。

「自分が何をしたいのか、どう生きたいかを決めなければいけないという焦りがありました。でも、富山では思うように自分の姿が見つからなかった。将来が見えてこなかった」

再び“東京”が頭をよぎる。

「劇団でメインの役をいただいていたので、それを捨てて東京に行けば、多大な迷惑がかかってしまう。それでも東京に出たい。その覚悟ができたので出ていきました。一大決心といえば一大決心ですね」

24歳、2度目の上京。不安と希望を背負ってのリベンジである。上京してすぐにある劇団に所属した。

「そこでは演出家が力を持っていて、俳優を型に押し込めるようで自由がなかった気がします。劇団という組織のなか、ひとつのコマとして使われていたのかもしれません。でも何が正しくて何が正しくないかも分からないから、演劇とはそういうものだと思っていました」

さんざんセリフにダメ出しされて舞台で涙したこともあった。タテ社会の色濃い劇団、先が見えないなか東京でひとり。何が自分を支えていたのか。

「支え? そんなものはないですね。強いていうなら、不安です。その不安を解消したい、その必死な想いが自分を支えていたのかもしれません」

不安を解消する方法は俳優として認められること。そして、自身の将来を決定づける出会いが26歳で訪れる。当時はまだ無名だった、三谷幸喜率いる〈東京サンシャインボーイズ〉だ。

「サンシャインボーイズでは新劇の時と違い、いきなり自由な演技を求められました。その違い、驚き。それを埋めるのに必死でした」

稽古はエチュード(簡単なストーリーを決めて、あとは役者がアドリブで話を転がしていく)で進められた。自分がどんな芝居をしたいかが重要で、それをぶつけあい舞台を作っていく。

「新劇の劇団を辞めて東京サンシャインボーイズに移ったのが、僕にとってのターニングポイントですね」

『古畑任三郎』でのブレイクをターニングポイントだと考えがちだが、実はそのずっと前。様々な演技体系のなかから演出家や監督のイメージをくみとり、自分で役のイメージをふくらます。そのスタイルを知った時に俳優・西村雅彦の原型が生まれたのだ。

重大な選択をする時は不安の多い方を選んできた

その後の活躍はご存じの通り。『古畑任三郎』で不動の人気となり、97年には『マルタイの女』で伊丹十三作品にも出演した。ドラマにCM、映画に舞台と水を得た魚のように俳優業に

熱中、それだけ仕事量も半端じゃなかった。

「体調によって思うように演じることができない場合もあるし、台本を読む時間がない時もある。それでも寝ずにやる。自分がやると覚悟を決めたらやるしかない。どこが勝負どころって、いつも勝負どころですよ」

そのストイックな姿勢の積み重ねで今がある。

「何かを選択しなければいけない時に、常に不安材料の多い方を選んできました。役でも自分にとって、やりやすい役とやりにくい役があって。カンフーアクションなら殺陣の稽古や回し蹴りがあり、“演じるプラス戦う”ことが必要になる。自分より体にキレがあり経験が豊富な人もいるから、どうしても腰がひけちゃう。でも役を振っていただくということは、他人よりも動けない僕に、それ以上の何かを期待してくれているはずだとも思う。同時に、そこに飛び込んだ時に、自分がどう反応するのか…へこたれるのか、やり遂げるのかを知りたい」

未知の領域こそ足を踏み入れる価値がある。そのスタンスは俳優を志して上京した24歳から変わっていない。

「この前、風呂場で死ぬ役をやったんです。ちょっと抵抗がありましたね。

“殺してくれ~”って風呂に沈められて。あれは微妙だったかな(笑)」

1960年12月12日、富山県生まれ。確かな演技力と唯一無二の存在感でテレビ・ラジオ・映画・舞台はもとより各方面より熱い支持を受けている。テレビ『古畑任三郎』シリーズ『やまとなでしこ』(ともにCX)『華麗なる一族』(TBS)など、映画『ラヂオの時間』『マルタイの女』『花田少年史』などに出演。7月には舞台『歌の翼にキミを乗せ』が、そして10月には企画・製作に名をつらねる舞台『コースター』が控えている。01年から続くラジオドラマ『ON THE WAY COMEDY 道草』(TOKYO FM)では、長年パーソナリティーを務め、リスナー待望の映像化が実現しDVDが発売。

■編集後記

24歳で上京し新劇の劇団に入り、27歳で「東京サンシャインボーイズ」に入団。その間、8年ほど弟の家に居候する。「とても肩身の狭い思いをしましたね。窮屈でした。当時バイトをしてましたが、僕は接客業がまったくダメなので。引っ越しやイベント設営の仕事をしました」。当時の東京サンシャインボーイズはまだマイナーな時代で小さなハコで公演をしていた。「客数も身内をあわせて30人ぐらい。なぜ自分たちが認められないんだという憤りを感じましたね」

藤井たかの(steam)=文
text TAKANO FUJII
稲田 平=写真
photography PEY INADA
冨田武雄=ヘア&メイク
hair&make-up TAKEO TOMITA

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