「“すべての物事はつながっている”と実感できたから―」

小林武史

2007.07.05 THU

ロングインタビュー


平山雄一=文 text YUICHI HIRAYAMA 稲田 平=写真 photography PEY INADA steam=編集 …
つねに率直に自分らしく。いま、できることは何か

90年代半ば、小林はプロデューサーとして3000万枚以上のCDを売り上げる。

「ほっとけばビジネスの側面だけから“ヒット・プロデューサー”と呼ばれる立場。でも、一人よがりだったかもしれないけど、人間の本質にコミットする音楽を作ってきたつもり。音楽が持っている“人間を解放する力”“人間をつないでいく力”“自分を偽らないで伝える力”。そうしたものを表現できたと思っている」

確かに、小林とともに90年代のプロデューサー・ブームを形作った面々は、ある時期からビジネスマンとして振る舞うようになった。が、小林はあくまで音楽性のみで世の中と渡り合っていた。が、それでもブームには影の部分もあったという。

「僕とミスター・チルドレンの不仲説というのがあったけど、あれは事実です(笑)。で、櫻井(和寿)と徹底的に話し合って、ベストアルバムを出す過程でまた一緒に何かを作ろうという気持ちになった」

小林の話しぶりは極めて率直だ。この率直さを持って、小林は自分と社会の接点を探すことを諦めなかった。

日本でのプロデューサーとしての活動が頂点を極めたころ、小林は活動の拠点をニューヨークに移すことを考えた。多くの人種を許容するアメリカの包容力に期待するところが大きかった。しかし“9・11”が勃発。直後に坂本龍一が発した「非戦」のメッセージに強い感銘を受ける。すぐに坂本、GLAYのTAKUROらが立ち上げたArtists' Powerに参加する。ただ、小林はこの時も自分に率直に考えた。

「優れたメッセージだとは思ったけど、非戦という言葉をすぐには理解できなかった。その代わりに、以前から感じていた“すべての物事はつながっている”という感覚が実感できた。自分たちが今できることはなんだろうと考えたとき、環境問題というテーマが浮かんだ。それも、自分たちの有名性を利用してお金を集めるんじゃなくて、地ベタを這って、探って、捕まえることが大事だと。まずは地味にやりたかった」

小林一流の思考プロセスだ。彼はまず、自分のオフィスで勉強会を始めた。そこで出会った“未来バンク”(環境保全活動を行うNPOや個人に融資する非営利団体)の主宰者・田中優の「市民のために風車を建てるなら、事業母体のバンクを作ってみたら」という言葉に刺激を受ける。

「いよいよお金のことを考えるタイミングがやってきた。自分が何も考えないで稼いだお金はどうなるんだろう。心に手を当ててみたら、全部娘たちにあげても、彼女らは迷うだろうし、いい形はないものだろうか。僕らはみんな一様に地球に負荷をかけている。だったら、よりよい未来のために頑張ってる個人や団体に融資するのがいいんじゃないかと」

すぐに小林は行動を起こした。櫻井和寿に声を掛けてap bankを立ち上げ、03年、貸金業の登録を行った。融資先の審査にも櫻井とともに参加した。

「お金は未来を作る道具。営利を追求するんではなくて、お金を循環させるって考え方をしてみようと思った」。

さらに、小林らしさは、発揮された。

「僕はプロデューサーですから、成功例を続けることの大切さを知っている。融資先のどれかがブレイクスルーしないと、後が続かない。それも意識するようになった」

一見、ボランティア活動と“ブレイクスルーする”という概念は矛盾するように思えるが、よりよい未来を作ろうとする個人や団体が注目を集めることそのものが、重要な宣伝活動になる。小林は自らのプロデュース経験をNPOなどの支援にエキスパンドすることで、ap bankの成功を願っているのだ。

みんなが好きに生きる。そのためにやるべきこと

ap bankの資金は1億円。金利は1%。つまり年に100万円の利益しか出ない。運営資金の不足が見えたとき、小林は考えたのだ。

「最初は地味にやろうと思っていたんですが、自分達がすぐにできるのは音楽。だったらCDを作って売ろうと」

そして、05年から静岡県つま恋で夏にイベントを開催するに至るのである。それがap bank fes。

「やってみたら、やっぱり地味なことだったっていうのが実感(笑)。町内会のゴミ掃除と同じ。ただ、世界の問題としてゴミ掃除をするわけですよ。野外のビッグイベントっていうと派手だけど、けっこう庶民的な話です」

“自分のやるべき目標が、ようやく見えてきた”と、小林は、今年のフェス開催直前の慌ただしさの中で、嬉しそうに語ってくれた。また、こうも話す。「自分はずっと不良で生きてきたし、だから人の上に立とうなんて思ってない。ap bankも特別いいことやってるとは思ってない。ただ、みんな“好きに生きていい”と本気で思ってる。みんなが好きに生きていくには、今、何をしたらいいのか…。それを考えるのが、すごく楽しいですね」

1959年生まれ。音楽プロデューサー、キーボーディスト。Mr.Childrenをはじめ、サザンオールスターズ、レミオロメンなど、数多くのアーティストのレコーディング、プロデュース、作・編曲、ライブ演出などを手がける。映画『スワロウテイル』(1996)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)、『地下鉄に乗って』(2006)など、映画音楽も多数手がける。03年には櫻井和寿と中間法人「ap bank」を立ち上げ、環境プロジェクトに対する融資のほか、2005年から野外音楽フェス”ap bank fes“を静岡県つま恋にて開催。3回目となる今年は7月14日から3日間で開催される。2006年には環境と消費を考える場として、『kurkku(クルック)』を神宮前に立ち上げた。

■編集後記

日本のレコーディング技術が飛躍的に伸びた80年代、小林はキーボード・プレイヤーとして引っ張りダコの人気スタジオ・ミュージシャンだった。その頃、最高峰として尊敬されていたのはYMOだったが、小林はYMOフォロアーの一番手に挙げられていた。その後、仕事で一緒になった大貫妙子に「小林くんは自分のCDを出すべきよ」と言われて、20代前半から続いていたモラトリアム状態に決着をつける決心を固めるのだったが…。

平山雄一=文
text YUICHI HIRAYAMA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
steam=編集
editorial steam

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