「“次回作”なんて、想像できなかった。」

岩井俊二

2007.07.12 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
歴史上の人物。現役。市川崑と観客をつなぐ触媒

昨年、91歳にして自作『犬神家の一族』のセルフリメイクを果たした巨匠・市川崑の人生―。

アニメーションから映画界に入り、実はポップな感性で無数の傑作を送り出してきた。人生そのものももちろん面白い。市川崑と、妻でもあった脚本家・和田夏十とのラブストーリーを中心に据え、再現フィルムや近年のメイキング・シーン、インタビュー映像などは極力使わず、文字と写真で大胆に仕上げられている。エンターテインメント作品としてまったく飽きさせないのは、岩井俊二の手腕だ。

最初は『犬神家の一族』のメイキングを監修するだけのはずだった。それが監督としての劇場公開作品に変わった。

「自分の主義で、最新作はつねに最高傑作を目指したいので。『リリイ・シュシュのすべて』や『花とアリス』を超えなければならない。実は最初、市川さんの歴史に踏み込むのはやめようと考えてたんですよ。こんな若輩者が描けるわけがないというのもあって。でも“なんとか接点を見いだせば、描けるだろう”といろいろ考えて“このカタチならあるかもしれない”と」

写真中心なのはある程度、苦肉の策ともいえる。何しろ市川崑91歳、若いころの映像があんまり、ない。一方で文字表現のパワーにはなじみがあった。自作『リリイ・シュシュのすべて』を編集する際、インターネットの世界だけで展開する前半を表現するために、文字だけで約1時間分、つないでみたことがあったらしい。

「だから不安は全然なかった。文字だけで映像を作る強みというのがあるんですよ。接続詞とかでどんどん展開していける。“がしかし”という短い文章だけで、それまでの展開と逆説的に、右に左に振ることができる。映像の場合、たとえば“暗雲立ちこめる”という比喩的な表現を使うことはできるけど、文章ほど自由自在ではないんです」

そして映画は1976年を迎える。岩井俊二は13歳、中学生だった。市川崑が石坂浩二を擁し、今日“金田一耕助”として知られる名探偵のひな形を生み出した、映画『犬神家の一族』の公開された年である。『市川崑物語』は、この辺りから急に饒舌になる。

「僕自身が自分のこととして知っているのはあそこからだったから。それと構成上のトリック。実は文章がすべて*人称だった。それまでは三人*の歴史モノのように語られていたんだけど(一部伏せ字です)、実はそこに僕というもう一人の登場人物がいて、このときに見えてくるという、非常にトリッキーな構造(笑)。観客はそこで急激に引き寄せられるというのかな。他人事じゃすまされない部分。遠い歴史上の話にならないようにしたいというのがあって。そのためには観客と市川さんをつなぐ触媒が必要だったんです」

犬神家から始まり、死んでもいい境地の21歳

70年代の粗い映像群のなかにあって「こんなにキレイな映画があるのか」「この映画が面白いのも、市川崑という人のせいだなきっと」。中学生だった岩井俊二の『犬神家の一族』の感想。まだ映画をやりたいという思いは全然なくて、小説家になりたかったころ。高校生になると「絵を描ける小説家になりたくなった」という。

「めっちゃミーハーなんですが、村上龍さんとか池田満寿夫さんとかが芥川賞をお取りになってた時期です。絵心が文学に反映されている雰囲気が流行っていた。だから…でもいま思うと非常にラッキーでした。絵と小説の両輪をやったことが、後に映像にものすごく影響しちゃうんで」

結果、大学も、美術の先生になる学科に行くことになるのだが、心の底では“本業は文学、絵画は趣味”。その趣味が時折、本業に何らかの影響を与えればよかろう、と割り切っていた。

「子どものころから非常に合理主義者で不合理を認めない派でした。それがひどくなって、高校生ぐらいになると、物理とか自分にとって必要ない授業は意図的に出ないという。“なんで来ないんだ?”って聞かれると“何に使うかわかんないから行けないんです”って。その時間がもったいないから映画を観る。僕は自分のために学校に来ているのであって、あなた(先生)たちのためじゃないと。演説ぶって“出て行け”と言われると“はい”って出て行く。ホントにイヤな生徒でしたね」

もともと映画好きだった。が、「ひとつの作品ができあがるまでの構造が見当もつかなかった」という。

「小説家になりたかったっていうのも、始まりは、何か面白い作品を読むと“さて”って原稿用紙に向かいたくなったというところです。なんかこう、そんなに楽しいことがあるんなら自分もやってみたいと思っちゃうんですね。映画ではそれがわからなかったんだけど、高3のときかな、何本かインディーズっぽい映画を初めて観たんです。“そこにカメラがあって、人がしゃべっているのを撮っていたら映画になった”みたいな映画を観て、“あ!”って (笑)」

わかった。大学に入ってすぐに自主映画に取り組むが、このときもまず文学ありき。その下に趣味として映画がいた。

はずだった。

「気がついたら文章を書くことよりも、映像で撮って仕上げることの方が自分の生の考えに近くなってたんですよね。こういうことを表現したいっていうとき、画で撮ってしまう方が簡単になってしまっていて。それに気づいたら、もう全部逆転しちゃって、“自分にとって最も都合のいい表現方法は映像である”というふうになって、大学3年生ぐらいでは、プライオリティが完全に変わってしまっていました」

“映像を撮りたい”という気持ちはあっても、それを仕事にするのは困難だ。そう考えた岩井俊二は、「手近なところで」マンガで食べていこうとするのだ。その背景には、真っ当に就職したくないというモラトリアム体質も大いに作用していた。大学4年生から、「就職活動代わりに」持ち込みを始めたが、「“やっぱり映像撮りたい”っていうところに戻ってきちゃったんです。どんな仕事でもいいからって」

なんとか大学は卒業、あるイベント会社にアルバイトとして通いつつ、「最初から自分の名刺にディレクターって入れて配ってました。自分の撮った8ミリフィルムをテレシネ(ビデオ化)したものを持って、仕事にかこつけてプロモーションして。いいのかなとも思ったけど、マンガの持ち込み経験があったから、実際に見せないと話にならないのはわかっていたし」。 

そうしてPVやカラオケビデオの仕事が振られるようになった。“合理”を根拠に「作品の中で120%ぐらいの結果を出して、絶対ハズさないこと、相手を失望させないこと、サービスに徹すること。ただ“アーティストに言いにくい”とか“クライアントの顔色をうかがって”改変を求められると、怒鳴ってましたね。“社長、呼んでこい! 頭下げたらこのカット引いてやるよ!”って(笑)、20代で」。

振り返る。恐怖心が強かったのだと。「オセロでいうところの“角”を早いところ取らないと、自分はもうもたないと思っていましたね。このままいっても“出る杭は打たれる”で終わると」

数々のPVを作りつつ、初めてテレビドラマを手がけるのが28歳。劇場用映画のきっかけとなるドラマ『if もしも―打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は30歳のときの作品。

「今はまた、破壊と再構築を繰り返しながら前に進んでいくんだと思います。ある目標が達成されて、一段落つくと、実はそこに答えがあるわけではなくて、ただの寝る場所だったりするんですよね。で、しばらく寝ておこうかなと。するとまた、こんなことじゃいかん、もっとやんなきゃということを繰り返すんだと思うんですけど」

“これでも丸くなった”と笑う。

「ピークは大学3年でした。本当に、できることなら映画を撮り終わった時点で死にたいと思っていたんですよね。そこで全部終わりたいと。何日も食べてなくても平気で。かなりイッてた状態でいた。それを経たからここまで続いているのかな。他人にどう言われても自分のやっていることを疑わない。不安はない。自信は、ある。周囲を気にせずにがむしゃらにやるのは大事なんだなって思います。しかも若いころにしかできない。それで僕は1年平気で生きられた(笑)。さすがに年とってからはキツいと思うけれど」

1963年宮城県仙台市生まれ。87年、横浜国立大学教育学部美術学科卒業後、イベント会社にてアルバイトのかたわら、映像制作を始める。東京少年やシャムロック、ZARDなどのミュージックビデオを手がけ、91年テレビドラマを初演出。93年にはテレビドラマ『ifもしも~打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を演出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。翌年、再編集され劇場公開。95年には初の長編映画『Love Letter』を監督。96年には小林武史を音楽監督に迎えた『スワロウテイル』を。00年、インターネットのBBSを取り入れた小説『リリイ・シュシュのすべて』を執筆、映画化。03年には『花とアリス(ショートフィルム)』をネット上で配信し、翌年、長篇映画版を劇場公開。最新作『市川崑物語』は2枚組DVDでロックウェルアイズより発売中。4935円。

■編集後記

「“まずうまくなったらいいじゃん”というのが僕の絵画教育理論なんですね。うまくなる前に絵を描かせたらダメなんです。まず技術を習得して、描いて“あ、俺って絵がうまいんだ”って思えないと、続かないんですよ。それを放置する授業に意味なんてないと思いますね。大学3年のとき、僕は映像である種のうまさを自覚したんだと思う。そしたら病みつき。もうその先の人生は…その1本の次にもう1本撮っていることがイメージできなかったんですよね」

武田篤典(steam)=文
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