「自分の声に忠実に作れば」

クエンティン・タランティーノ

2007.08.30 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 松尾 修(STUH)=写真 photography OSAMU M…
子どものころに親しんだあのヤバい映画をオレ流に

60~70年代に数多く作られた、バイオレンスとセックスにまみれたインディー系の低予算映画。3~4本立てで場末の小屋や全米のドライブインシアターを行脚。だから傷だらけになるし、映写技師がお気に入りのエロシーンを切って持って帰ったりするから、中身もズタズタ。でもメジャーの制約を受けない分、好き勝手にめちゃくちゃに“オモシロ”だけを追求できた。

グラインドハウス・ムービーと呼ばれたこれらの作品は彼の映画のルーツのひとつ。新作は、そのオレ版だ。アメリカではロバート・ロドリゲスの『プラネット・テラー』との2本立てに架空の映画4本の予告編を加えて上映。日本版は単体上映のため、再編集。

「アメリカ版では肉どころか骨まで削らされたからね。それを甦らせたんだ」

甦ったのは…「ラップダンスのシーンだね。アメリカ版ではバタフライが“ラップダンスの準備をしなさいよ”って言われたところで、“リール紛失”っていうスーパーが出るけど、日本版ではばっちり見せられるぜ」。

ラップダンスとは、お客に絡みついて踊るストリップ的なダンスの一種だ。

「あと、コンビニのシーンも白黒シーンもなかった。けど小さいながら、大きく映画を変えてしまうシーンが1つあって。それはバタフライがレストランの外でマイクを見るシーン。彼女たちが酔っぱらって出てくるところをスタントマン・マイクが見ている。その車の中のダッシュボードに彼女たちの写真がある。あのシーン。あれがないと、彼の計画性…ストーカーだったんじゃ~んってことがわからないんだ」

ここまでストーリーに触れていないが、大したストーリーは、ない。テキサス州・オースティンの人気DJ・ジャングル・ジュリアと友達のバタフライたち―全員美脚&超ミニ&ナマ足―が70年代ソウルのかかるバーで延々ダベる。撮影監督・タランティーノはローアングルから、なめるように脚と尻を追い続ける。CG全盛でお仕事あがったりのスタントマン・マイクは彼女たちをじっと見ている。そして…。

14カ月後、テネシー州。女性スタントのゾーイは仲間のキムとレストランで本物のカーチェイス映画の魅力についてダベる。ヘアメイクのアバナシーと新人女優のリーと、最近の男関係についてダベる。撮影監督は(以下略)。スタントマン・マイクは(以下略)。クライマックスはド迫力の…本物のカーチェイス。驚愕のエンディング。

彼女ができた。脚本書けた。少しだけ…結構悩んだ

自身もバーテンダー役で出演している。女子たちとうれしそうにダベる。70年代ソウルの流れる地味な飲み屋に集う脚のキレイな美形って…なんだかオノレの夢の映像化なのでは。

「あれは全部本当なんだよね。テキサス州のオースティンって、若い女の子はみんなあんな格好。ヴィンテージ物のTシャツとかをアレンジして着てるし、ボクの演出ははっきりとリアリティだと言える。ってか、渋谷のギャルなんてみんな尻がはみ出てるじゃん(笑)。昨日見たぜ!(笑)」

それでもやっぱり、夢なのだ。

「あのバー実在するんだけどさ、音楽はヒップじゃないから、ボクの私物のジュークボックスを持っていったよ」

今回、タランティーノは撮影監督も務め、脚フェチ願望を実現。女友達との話が楽しくて映画もガールズ・トーク。スタントマン・マイクもゾーイも70年代カーアクション映画の魅力を語る。『バニシング・ポイント』『バニシングIN 60』『ダーティー・メリー/クレイジー・ラリー』は最高だと。

「17歳から25歳、80年から88年まで僕は完璧な映画ヲタクだった。ボクの好きな映画は80年代のものではなかったけどね。22歳のときに『ビデオ・アーカイヴズ』というビデオ屋で仕事をもらって、いつも映画が大好きな仲間たちと遊んでたな」

それはカリフォルニアのマンハッタン・ビーチにおけるトキワ荘。映画ヲタどもが集まり、映画の話をしながら、映画界での成功を夢想していた。

「よく“モテなかった”って言われるけど、童貞じゃなかったよ(笑)。他のヤツらよりデートもしてたし。けっこうチャーミングに女子と接することもできた。ただ、それ以降のノウハウを知らなかっただけ。いいね? (笑)」

最初のデートで映画に行き、ディナーに流れる。映画の感想を言いあうことで、お互いを知る。そのあとが、謎。本人いわく「お酒を飲ませればよかった、ということを知らなかった」。

「でもその状況も26歳で一変するんだ。最初のガールフレンドができた(笑)。 いやそれ以前に25歳で『トゥルー・ロマンス』のシナリオを書き上げたんだ。それで28歳の終わりごろに『レザボア・ドッグス』の製作にかかったんだ」

『トゥルー・ロマンス』において、主人公のクラレンスは千葉真一3本立てを観に行き、自分を全肯定してくれる女性・アラバマと出会い、恋に落ちる。

現実のタランティーノも『ビデオ・アーカイヴズ』の仲間たちと毎週日曜“千葉真一ナイト”を開催していたという。最初のガールフレンド、グレース・ラブレースにも参加させるが、現実の彼女は爆睡してしまった。後に彼は『パルプ・フィクション』に登場するバイクにその名を与える。

新作に限らず、タランティーノはオノレの人生を映画にぶっつけ、映画で夢を叶える。ただまあその人生も、多くは映画から影響を受けてはいるのだが。

「最初は世界中の観客に支持してもらうなんて考えてなかった。80年代の映画には単純に、自分の好きなものが反映されてないと思ってただけ。フランチャイズものや続編だらけの、いまのハリウッドよりもボクにとっては悪い状況だった。同じように思っているヤツがきっといて、ボクが頭の中で作ったお気に入りの物語を、気に入ってくれるはずだとは思ってた」

『レザボア・ドッグス』は注目されはしたが、ヒットにはつながらなかった。

「イギリスでは受け入れられたんだよ。その後『トゥルー・ロマンス』の試写を監督のトニー・スコットと観て。みんなの反応がすごくよかった。“行くかな?”と思ったけどダメだった。ちょうど『パルプ・フィクション』のプリプロの時期でさ、悩んだんだよ。もしかして、ボクの個性、ボクの内面にある“声”は、みんなに受け入れられるものではないんじゃないかって。でも、ジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』の大ヒットに勇気づけられたんだ。彼女の『スウィーティー』とか『エンジェル・アット・マイ・テーブル』とかを見ていると、まさか世界中の人々に支持されるような作品を作るとは想像できないよね?」

前者は、自立して人生を送る妹のもとに、傍若無人な姉がやってきてぶつかり合う家族のお話。後者はシャイで「自分ってブサイク」って思ってるだけなのに精神病院に幽閉された主人公が、作家として成功する一代記。

「だけどジェーンの『ピアノ・レッスン』は大ヒットした。彼女にはビジョンがあったんだ。それを自分のやり方で、決して曲げることなく続けていったら、世界中の人々の心に響く映画を作ることができた。ボクも、ちゃんと自分の声に忠実に作品を作れば、もしかしたらそのうち、受け入れられる作品ができるかもって思ってたら…」

93年『ピアノ・レッスン』はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞する。翌年、同じ賞を得たのはタランティーノの『パルプ・フィクション』だった。

「大ヒットしちゃったんだ(笑)」

1963年テネシー州ノックスヴィル生まれ。幼くして母とロサンゼルスに移住。高校中退後、ポルノ映画館のもぎりのバイトや劇団員となる。22歳のとき『ビデオ・アーカイヴズ』でバイトを始める。マカロニ・ウェスタン、深作欣二、千葉真一、ショウ・ブラザーズなどなど映画マニアぶりに拍車をかける。25歳で『トゥルー・ロマンス』、26歳で『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の脚本を書き、28歳のとき『レザボア・ドッグス』(92年)で監督デビュー。カルト的なヒット作となる。続く『パルプ・フィクション』(94年)でカンヌ映画祭のパルム・ドールをはじめ、アカデミー賞脚本賞も受賞。『キル・ビル Vol.1』『キル・ビル Vol.2』(03年)では、一層のオレ・ワールドを展開。そして大傑作『デス・プルーフinグラインドハウス』は9月1日より、ロバート・ロドリゲス監督の『プラネット・テラーinグラインドハウス』は9月22日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ、日比谷みゆき座他全国ロードショー。8月31日まではTOHOシネマズ六本木ヒルズ限定で4本の予告編と『プラネット・テラー』を合わせたUSAバージョンを公開。

■編集後記

カリフォルニアのマンハッタン・ビーチにあった『ビデオ・アーカイヴズ』でバイトの日々。映画ヲタたちが知識を競い合う、居心地のいい場所だった。「そこで25歳のとき、『トゥルー・ロマンス』を書き上げたんだ」。当初、数万ドルの製作費の16ミリ映画として、自身がメガホンをとるはずだった。が、紆余曲折して予算1000万ドルのプロジェクトになった。タランティーノ自身は数万ドルの脚本料を手にしただけだったが。これが『レザボア・ドッグス』の元手となる。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
松尾 修(STUH)=写真
photography OSAMU MATSUO

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