「新しい何かとか、嫌っていたことを面白がりたい」

浅野忠信

2007.09.06 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA …
得体の知れない存在について。生き続ける役柄について

復讐が映画の主眼ではない。石田えり演じる千代子の深みというか得体の知れなさを恐ろしくも神々しく描くことだ。

過去に夫と息子を捨てたことも、自分を憎んでいる息子の存在も、後々起きるキツイ出来事も、すべてを呑み込んで泰然としている。

「そうですね」

舞台は北九州の運送会社。そこには、借金に追われる男や、医師免許を剥奪された男など、社会に背を向けた人々のたまり場になっている。それを取り仕切るのが千代子であり、そこに自らも傷を抱えて流れ着き、男たちのある種の支えになるのが、『EUREKA ユリイカ』の妹役・梢を演じた宮崎あおいである。

演じているときは役に入り込み、終わるとスッと抜ける。11年前に撮り終えた時点で、浅野忠信のなかでは健次というキャラクターは終わっていた。

「そうですね」

『サッド ヴァケイション』は映画以前に、06年、小説として発表されていた。終わった役が、知らぬ間に息を吹き込まれて、新たな人生を歩む。それはどんな気分なのだろう。

「7年前くらいにカンヌで『EUREKA ユリイカ』を観たんですよ。それは11年前の映画の、ある意味では続きというか。僕が出ていないだけで、同じ世界の話でしたから。それを観たときに“なんで、健次が出てないんですか?”みたいな話を監督にしていたんです。そこから芽が膨らんでいたというか。予感というか、絶対的なものを感じていました」 

役によっては、終わっても終わりきれないものがあるという。

「まあ作品のなかで、完全に生ききった役はそこまでだと思うんですけど。微妙な終わり方だったりして、“こいつ、あの映画で死んでなかったよな”とか“あいつ何やってるんだろう”って考える瞬間があるとね…」

ふと役が甦る。今作の健次に関しては、自身が思い描く像と監督の想定とのギャップに苦しんだ。自分のなかでカッチリと出来上がりすぎていたのだ。

俳優にも様々なやり口があるが、映画なんて一人で作るものではない。いかに役作りをしていても、監督の意図や共演者の演技の仕方に応じて、現場で変わっていく。

「そうですね。やっぱりだからその、11年という重みがかなり大きくのしかかってきたというか…」

それが他の人々との関わり合いで齟齬が生じたりして、しんどかった。

「そうですね。それはあったかもしれないですね」

そんななかでも、石田えりは“すげえ”存在だったそうだ。作中ではかなりひどい目に遭わされるのだが、表情ひとつ変えない。どれだけ手をのばしても真意には触れられないような底なしの感覚。とてもコワいのである。

「そうですね(笑)。表現者として本当に面白いことをやりたいと思っているんですよ。求め方とか、その、面白くないと思うことに対して正直であるというか、ウソはつかない。よく簡単に流されちゃう場合があるんです。たとえば自分はあんまり面白くないと思っているのに、その場の空気がそうだからいいや、みたいな感じ。流された方が楽なんだけど、そうせずにきちんとひとつずつ確認しながら進んでいくというか。“あ、この人、自分の役を面白いものにしようとしてるんだ!”って、それを感じたときにすごくハッピーでしたね」

芝居なんて最悪だった。なぜそれにハマったのか

最悪のインタビューじゃないですか、と尋ねた。だって取材する側がべらべら話して、される側は相槌を打つだけだから。

「はははは(笑)。いや、最高じゃないですか。そういうのをやりましょうよ。僕、相槌を打ってるだけのインタビューって、けっこう理想なんすよ」

浅野忠信は、だいたい映画のなかにふといて、ごく普通に話し、話をするように銃をぶっ放していたりする。銃をぶっ放すようにインタビューに答えたりする。ボーダーが全然見えない。

「いやあ、ありがとうございます(笑)」 

“芝居をする”ということを格好悪いと思い続けてきたのだ。

「僕は、技術とかを全く理解しないできちゃったタイプだから。自分のやってきたこと、やってこなかったことに対して不安になるわけではないですけど、もっとなんかあるんじゃないかとはいつも思います。今までの自分に飽きることは多々あるんで。そうするとやっぱり新しい何かとか、自分が今まで嫌っていたことを面白がれたりするといいよなって思いますよ」

今年の誕生日が来て34歳で、デビューは15歳(金八先生で!)だから、キャリアは結構なもの。半ば強制的な勧めによりこの世界に入った。バンドをやっていた。そんなロック的な少年からしてみれば、オーディションでセリフを言わされ、“演技”しちゃうのだから、芝居なんて格好悪いものの代表。でも今や、日本が誇る国際的俳優で、プロとしてのスタンスを模索しつつ、確立しつつ…。イヤイヤのなかからプロ意識が芽生えたのは…。

「それはわりかし早いころ…18~19歳で“やってかなきゃ”と思ったんですけど…やってかなきゃというか“もうやるんだ、イヤでもやるんだ”って。ちょうど仕事を巡って大ゲンカしたり。やっぱりバンドはやりたかったんですけど、バンドを通して具体的に何をやりたいのかが見えてなかったんでしょうね。それが自分でもイヤだったし、何もできないことで余計いらついていたというか」

ともかく、辞めることを選ばず続けてきたわけだから、芝居も心底嫌いだったわけではないのかもしれない。

「そうですね(笑)。たとえば『あいつ』(91年)という映画をやったとき、ケンカで放り投げられるシーンを、クレーンで引っぱり上げて撮ったんです。普通の高校生はまず経験しないじゃないですか。夜中に河原でクレーンで持ち上げられて“こうやって作ってるんだ”みたいなことが意外と面白かったんですね。ともかくやっていくんだって決めてからの話ですけど、緒形拳さんと出会って、マネージャーに “こいつは焦らせてもしょうがないから、ゆっくり時間をかけて、キチッと面倒みろよ”って言ってくれたり…」

やらざるを得ない現場に放り込まれることで、自分の行く末を真剣に考えざるを得なくなるという側面もあった。

「20代の最初のころに、ウォン・カーウァイ監督たちと出会って〈タケオキクチ〉のコマーシャルフィルムを撮ったのも大きかったですね。小さいころから人の家を泊まり歩いてふらふらしてて、船乗りになりたいと思ってたほどで。でも、このとき“こんな簡単に異国の人と仕事ができるんだ”“こんなに楽しく、こんなにストレートにわかり合えるんだ”と思って」

浅野忠信のなかで、仕事における国境は消失した。『珈琲時光』ではホウ・シャオシェン監督と組み、タイのペンエーグ・ラッタナルアーン監督との『地球で最後のふたり』でヴェネチア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞を受賞した。

…けれど。浅野忠信をプロの俳優たらしめた、もっとも大きなターニングポイントは別。それは22歳のとき。

「結婚して子どもができて、それでもうドーンとひっくり返ったというか。やっぱり自分がキチッとしなくてはいけないんで、そのためには俳優をキチッとやらなければいけない。そこでもう“やらなきゃいけないんだ”とかもやもやしているんじゃなくて“これをやるんだ”というポジティブな方向に変わりましたね」

つまり俳優という仕事をイヤだとか好きだとか悩んでいること自体がバカみたいに思えてしまったわけなのだ。

「そうですね(笑)。女性には敵わないという感覚もそのとき生まれたかな。子どもって、結局母親のものですしね」

1973年横浜市生まれ。90年『バタアシ金魚』(松岡錠司監督)で映画デビューを果たす。96年には青山真治監督の『Helpless』で初主演を果たす。その後、99年『御法度』(大島渚監督)、01年『風花』(相米慎二監督)、『殺し屋1』(三池崇史監督)、03年『アカルイミライ』(黒沢清監督)、『座頭市』(北野武監督)、04年『地球で最後のふたり』(ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)、『珈琲時光』(ホウ・シャオシェン監督)、06年『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(青山真治監督)など国内外の名だたる監督の作品に出演し、際立った存在感で日本を代表する俳優となる。今後も『母べえ』(山田洋次監督)、『MONGOL(原題)』(セルゲイ・ボドロフ監督)、『剱岳 点の記』(木村大作監督)などの作品が公開の予定。

■編集後記

本人のやる気に関わらず始めてしまった。ひょっとして親が熱心なバンド野郎だったら、「バンドやってたかもしれないし、大工さんでもラーメン屋さんでも、あり得たかもしれませんね(笑)」。“とりあえずしのげるタイプ”だと笑う。「うちの兄貴は違うタイプだし(笑)」。芝居めいた芝居をしたくないと思ったのは「どうせ、最悪だと思うことをしなければならないなら、できるだけ自分が格好いいと思えるようにしたかったから」。ただ、いまは、そうじゃない道も模索中だ。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
TAKU=ヘア&メイク
hair & make-up TAKU
熊谷隆志(KiKi inc.)=スタイリング
styling TAKASHI KUMAGAI

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