「対立があるから面白い」

太田 光

2006.01.19 THU

ロングインタビュー


太田 光
対立があるから面白い。“語る”のは面白いか

母親に毒を盛った少女の事件のとき。番組で作られたVTRは、少女の多重人格ぶりにフォーカスした。一方、太田はそうした安直なレッテル付けを批判。メインパネラーの思いと、番組そのものの進行方向にギャップが生まれたわけだ。生放送でもあり、観ているほうはとてもスリリングなのだが…。

「いや、逆にやりやすいですよ。自分の言ってることが、別の角度から見ることで、より浮き彫りになる。そこが面白いんです。反対意見があった方が、自分の意見をしっかり確かめることができますから。反論していくうちに、“あ、こう思ってたんだ、俺は”って再認識することもあるし」

持論はある。おおよそのネタは金曜には伝えられ、頭の片隅につねに置いて考える。けれど、凝り固まってはいない。別のパネラーの意見が触媒となり、新たな考えを生み出すこともある。

「自分の思うことって、1人で頭で考えてるから反論もないわけです。そこで自分が“つかまえてるはずだ”と思ってるものに、ほかの人の意見が入ることでちょっと広がるんですよ。それで“あ、これは違ったな”って思うときもあれば“やっぱりこうだよな”って確信を持つときもあります。漫才ってのはボケとツッコミがいて“そうじゃねえだろ”っていう対立がある。じゃないと、面白いものができないんです。コントでもお芝居でもそうだと思うんですが、誰かと誰かが対立してるさまが、観てて面白いんですよ。それはこの番組でも同じなのかなと思うんです」

もちろん、見た目の面白さ優先で、無用な対立を仕掛けるわけではない。そうしてしまうと、いつもの時事ネタだ。単にツッコミが田中裕二ではなく別のパネラーに代わるというだけの話。だから勇気を持って、覚悟を決めて思ったことをストレートに話している。

「でもジレンマがあるんです。ラジオとか原稿では、意外とやってきたんですが、やっぱりTVでお笑い芸人がそれをやるべきではないんじゃないかっていう。お笑い芸人っていう自分の仕事の側から考えると、まじめにしゃべるのはカッコ悪いことなんですよね。メッセージとか政治的な発言を何にも出さずに笑わせるだけでいくほうが絶対カッコいい。でも言いたいことは出てきちゃう。それを作品にしてメッセージを込められれば一番いいんだけど、一方で漫才に風刺を盛り込むのは果たしていいのかどうなのかっていうのがずーっとあるんです。そこの結論が出ないまま番組が始まっちゃいました」

見た目と奥底。伝えることの難しさ

笑いとメッセージは、大きな課題である。爆笑問題結成直後から、メッセージではなく、笑いの方をとってきたという。しかし、それが伝わりにくいことも痛感した。

「(視聴者は)表面的に見えてる残酷な部分には敏感に反応するんですけど、そこを隠しちゃうと、実はもっと悪いこと、世の中に対して悪影響を与えることを言っても受け入れちゃう。そういうことを、結構感じてたんです」

さてこれから紹介する、爆笑問題の2つのコント。あなたはどっちの茶化し方がより真っ当だと思いますか。

(1)予言者コント。TVのショーで予言者が次々と人の死ぬ日を予言していく。別撮りされた映像で、人の死に様が紹介される。あり得ない場所に岩が落ちてくるような珍妙さがポイント。

(2)母親と少年コント。カレンダーに赤丸をつけて金属バットで母親を殺す日を決めている少年。決行当日たまたま風邪で寝込んだ母親に、気づけばゴハンを作ったり看病してしまっている。

さて。答は1行後。

「((1)のコントは)人の死さえもショーにして面白がっているマスコミを茶化したつもりなんですね。その辺はぼくとしては真っ当な茶化し方なんです。一方で、((2)は)犯人の情けなさをギャグにしたんです。悪い茶化し方なんですよ。“殺すこともできねえのかよ”“殺せよ”って言ってるわけですから。ところが周りのスタッフの反応は“へー、太田くんも温かい面があるんだね”って。ショーで人が死ぬほうが残酷だと。見せ方でどんな風にも受け止められちゃうんだなって感じたんです」

耐震設計偽装問題のとき太田 光は、マスコミのワルモノ探しを批判した。責任の追及という枠を超えた、ワルモノキャラの糾弾(という名の面白がり方)を憂いた。意図が必ず伝わるとは限らない。逆に一度マスコミが生んだ流れは、そのままザンブと世間を飲み込んでしまうことが多い。他人の意見を聞き、対立構造を見せ、大きな力で簡単に煽動させないようなスタンスは、この辺に根っこがあるのかもしれない。

対立することで直面。16年来の宿題

“コント事件”は16年ほど前の話だ。爆笑問題は、その前年に結成され、すぐに大手プロダクションにスカウト。前途洋々のはず…だったが、突如事務所を辞めてしまう。「世間知らずだった」と当時を振り返る。太田家を支えたのは、この年結婚した元タレントの奥さんだった。それが太田 光の25歳。

「ひたすらパチスロで…月20万ぐらいは稼いでくれてましたね。ぼくはわりと楽天的でした。何も考えてませんでした。無邪気に“まだまだこれから”って。年齢的にもそうでしたし」

くすぶり期間は実に約3年。太田 光はバラエティの台本を匿名で書いたりファミコンにハマッたり実家に借金をしたりしつつ、27歳になる。ファミコンはスーパーファミコンに変わっていたが、仕事の状況は変わらなかった。

「ぼくらは1回デビューして、5年ほどやっていたので“今さらこれはできない”という意識が結構あったんです。そんななかで来たのがバカルディ(現・さまぁ~ず)がトリをつとめたライブの前座。彼らはぼくらの後輩なんですけど“世間は爆笑問題が何年やってるとかは関係ないんだなあ”って実感しました。アレができないとか言ってると、ホントに置いてかれるだろうなあって。だから、新人としてもう1回ゼロから、何でもやって笑いを取っていくしか、方法はないって思ったんです」

そういう風に意識が変わったら、たまたまNHKの『新人演芸大賞』という番組から声がかかったという。

「コンテストが嫌いでした。審査員になんか言われるのは、新人のとき散々やってきたから。でもそれを拒否したら突破口は何もなかったんですよね」

爆笑問題は5年目にして“新人”演芸大賞を獲得した。テレビ朝日の『GAHAHAキング爆笑王決定戦』というネタ見せ番組でも10週勝ち抜いた。同じころ、これをきっかけに奥さんが所属事務所・タイタンを立ち上げた。

「カミさん自身も追い詰められてたと思うんですよ。当時、コンビニでアルバイトしてて、もう1日もそこにいたくないって。埋もれてしまう感じがあったらしくて。田中は店長候補で“これでやってきます”って感じだったんですが、そういう田中を見てますますこれではよくないと(笑)」

爆笑問題は売れた。ニートから一気に、デビュー直後以上のスターに。でもそうした変化を実感はしなかった。むしろそれを感じたのは、ここ1年。“素”という、これまでの自分との対立項に直面して生じた思い。16年来の課題に、惑わず向き合おうとしている。

「ぼくはいま40歳なんですが、これまで年齢で何かが変わるとは思っていなかった。でもこの1年、それを感じました。去年は何かをマジメに語ることを結構やったんですよ。もちろん『スタ☆メン』でもストレートに語っていきます。でも、もう1回、何か作品にして伝えたい…ギャグにすることもやっていかないといけないなっていう意識がどんどん出てきたんですよね」

1965年5月13日、埼玉県生まれ。日本大学芸術学部中退。88年、大学の同級生・田中裕二と爆笑問題でデビュー。TV番組の司会・出演多数。夫人は元タレントの太田光代、現在は所属事務所・タイタンの社長でもある。ニュースをネタにボケる時事漫才ほか、バラエティ番組でのとめどない不条理で無意味なボケも破壊力抜群。エッセイストとしても知られ、ベストセラーとなった『日本原論』シリーズほか、著書(本当に)多数。現在、週刊人物ライブ『スタ☆メン』(フジテレビ系日曜夜10時~)のメインパネラーを務め、話題の人物・世相をギャグから離れて鋭く切る。

■編集後記

所属していたプロダクションを辞めた、と同時に結婚。人生の一大事が起こったのが25歳。映画『バカヤロー4』の監督も務めた。と、同時に暗黒時代の始まりでもある。出演できる番組はみるみる減り、番組のゴーストライターを務めたりドラマを書いたりするも、収入や生活の向上にはつながらなかった。当時は完全なフリー。仕事のオファー先は田中家の自宅の電話。事情を知らぬ父上が電話に出たりなどということも、頻繁に起きていたという。

太田 光

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