「行け、R25、飛び込め!」

田島貴男

2006.01.26 THU

ロングインタビュー


田島貴男
新たな価値観はほのかな成長の証

トランペットの場合。

「ポケットトランペットを思いつきで買って、1年ぐらい放置してたんです。一昨年、レコーディング現場で、エリック宮城さんっていうトランペットのプロ中のプロの方に見てもらったんですよ。ちょっと教えてもらおうと思って。ぼくがふわ~って吹いてる楽器なのに、エリックさんが吹くとブワアアアアアアーってスタジオ中に響く音。“すげえなー、なんでだろう”と思って、また吹き始めました」

“ブワアア~”の音量がものすごくデカイ。それこそ取材部屋中に響き渡る。激しく笑う。楽しそうだ! トランペットを吹き始めて、ジャズの聴こえ方が変わってきたという。

「チェット・ベイカーのことを“ルックスのいいトランペット吹けるお兄さん”ぐらいに思ってて。でも、いまはトランペッターとして素晴らしいことがわかった。こんなカッコイイ男がいたら、ホントヤバイな(笑)。彼は、前歯が1本しかなくて音域もすごい狭いんだけど、一発の説得力がすごい。歌心のあるトランペッターです。リー・モーガンやディジー・ガレスピーなども、以前と聴こえ方が変わって、面白いです」

こうしたハマリっぷりは、そもそも音楽を始めたころから変わらない。

「中学1年のときに初めてロックを聴き始めたんです。ギター弾ける友達を見て単純にすげえと思ったり。『ウッドストック』の映画を観に行ったり、直輸入レコード屋に行くようになって海外のアーティストのビデオを観て、バンドってカッコイイなって思ってギター屋に行ってパンフレットもらってきて。それがこーんなにいっぱいになって、ついにギターを買ってですね。買ってから1年半ぐらいかな、1日8時間弾いてた。ご飯食べるときもずーっと」

当然、多くの音楽にも出合ってきた。ドアーズの「タッチ・ミー」、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」、ピンク・フロイドの「エミリーはプレイガール」…“スゲー!”と思ってきたが、最初出合ったときの衝撃はよく覚えてはいないそうだ。

「10代のころに出合ってても、のちに急に自分の中に入ってくる曲もあるんですよ。オリジナル・ラヴでデビューしたのは25歳なんですが、それ以降、曲作りや歌、レコーディングのやり方なんかがわかってくればくるほど、以前から知ってたそれらの曲がもっと輝いてきたんです」

純だったころのポップスの魅力をまっすぐ伝えたい

いまタイトルが挙がった楽曲はオリジナル・ラヴの新作『キングスロード』に収録されている。ほかにフォー・トップスの「セイム・オールド・ソング」、ニール・セダカの「恋の片道切符」など全曲カバーのアルバム。きわめてストレートな選曲で、ほぼ全曲日本語詞をつけて歌われている。

「タイトルは、道の名前じゃなくて“王道”です。マニアじゃなくて普通に音楽に接してる人が、日本語で聴いて、いい曲だと思える。そういうカバーアルバムです。ジャズマンがよく言うんですが“スタンダードを吹くのがいちばんむずかしい”って。聴かせどころがあるのか、ダサくなってしまうのか。アーティストの実力が丸見えになっちゃうんですよね。名曲ばかりだから、小手先のことが通用しない。全部をさらけ出して“みなさん聴いてください”って言わなきゃしょうがない(笑)」

レコーディングもほとんど一発勝負。ライブ録音に近い形で行われた。今回セレクトされたのは1960年代の洋楽ポップス/ロックが中心だが、これらの“よさ”がそこにあったから。

「いろんな曲を改めて聴いて、音楽のイキイキとした鮮度が録音されているのって、圧倒的に60年代だと実感したんです。で、なんであのころのモータウンの曲がさわやかでエネルギッシュで、いいのか、その理由がひとつ分かって。いままでは、時代のパワーだなんだって思ってたんだけど、それだけじゃない。たとえばフィル・スペクターが関わった曲などは数十人が“せーの”で一発で録音してるんです。フィギュアスケートの大会の本番一発勝負みたいな、そういう音楽なんですよ。フォー・トップスにしても、ユニゾンは多いし、複雑なコーラスパートもないんだけど、一所懸命練習した跡がうかがえるんですよね。何回もモータウンの曲聴いてて、自分がイタコのようになった瞬間があったんです。レコーディングの現場の情景がバーッと入ってきて…」

ユニゾンとは、すべてのパートが一斉に同じメロディを刻むことである。難しいことではないが、それをがんばって練習するけなげな感じ。フォー・トップスのメンバーやバックのミュージシャンたちが曲をもらい、ボーカルの先生に付き、いよいよレコーディング本番。一発勝負をクリアして、みんなでワーッと盛り上がる…。

「そこまで見えてきた。それを1回で録音する緊張感、スリル、面白み。それが大きいんじゃないかと思うんです。ミュージシャンとして、そういう条件を与えられたら緊張します。でも、そこでしか歌えない歌があるわけです。そういうテンションでの音楽の面白さっていうのは、ともすれば、いま、忘れられてる場合がある。古い曲をやってるけれど、いい曲。いつ聴いてもいい。『キングスロード』でむしろぼくは新しいことをやったと思っています」

ブレイクスルーのとき

すべては日々のジャブ。何が変わっているのかはすぐにはわからないけれど、積み重ねることで、ある日気がつく。20代、田島貴男は「自分がミュージシャンになる途中だった」という。

ちょうど、会場がライブハウスからホールに移り、戸惑い続けていた。ライブのやり方も歌の歌い方もわからなかった。ひたすらステージに上がるだけ。

「へこんだりもしました。なんでできないんだろう、の連続(笑)。それを引きずりながら立つこともありました。で、30歳すぎたぐらいから、少しずつ自分の思ってることと、ライブの状況がぴったり合う瞬間がでてきたんです。リハーサルを1回やると“こうやって歌えばいいのか”ってわかるようになるんですよ。次のリハのときも、また少しわかる。たとえばこれからリハスタに入って練習すると、たぶんまた“あーなるほど”とか、ちょっとずつわかっていくんです。いまでもそうですよ。それが積み重なって、あるときいいライブになる。そういう感じですね。仕事って、何でもそうじゃないですか」

だから、生きていて何かしら自分の営みを行っていれば、それはやってくる。ミュージシャンであろうが魚屋さんであろうがサラリーマンであろうが男であろうが、女であろうが。

「自分で“しなきゃいけない”っていう心がけは大事かもしれないけど、そのタイミングが来るんですよね。いかによけるかばっかり考えて、小手先でやってるやつはずっとそのまま。そんな人は、そのうち、いつのまにか大嘘つきになってますよ。楽してブレイクスルーしようとしても絶対に無理だと思う。生きてりゃね、ブレイクスルーしなきゃいけない瞬間がたくさん来るわけで、それをいかにまともに受けるか。怖くて縮こまっちゃうんだけど、それでも我慢して“来い!!!来てくれ!!!!”ということです。それで器量が決まると思う。ぼくはね、いま25歳の人々がうらやましいですよ。もう1回戻れたら、もっといろいろ背負いたい(笑)。もっともっとめんどくせえなかに飛び込んでいきたいなあ。いまでもね、なるべくそうしようとしてる。25歳って人生に絶望するのに絶好の機会だと思う。死んじゃダメだけど、何かをつかんで戻ってくるには絶好の機会。そうそう、だからR25、行けと。飛び込め、ってことですよ。ワハハハハ」

1966年東京都大田区生まれ。10代でパンク~ニューウェーブにハマる。85年、レッド・カーテンを結成。2年後、バンド名をオリジナル・ラヴに。88年、ピチカート・ファイヴに加入(2年後脱退)。オリジナル・ラヴとしてもインディーズでアルバムをリリース。91年アルバム『Love!Love!&Love!』でメジャーデビュー。ソウルをベースにした楽曲をさまざまなアレンジで聞かせてゆく。06年はデビュー15周年にあたる。これまでアルバム12作、シングル22作をリリース。13枚目の最新アルバム『キングスロード』は、カバーアルバム。10曲中8曲に田島貴男自身が日本語詞をつけた。東京スカパラダイスオーケストラも参加、ライブ感&グルーヴ感あふれる「いい曲」ぞろい。リリースツアーも2月末よりスタート。東京は3月9日、10日のSHIBUYA-AXにて。

■編集後記

91年、まさしく25歳の年に、オリジナル・ラヴはメジャーデビューした。前年、ピチカート・ファイヴを脱退し、『渋谷クラブクアトロ』などのライブで評判を集めていた。時代は“渋谷系”の全盛期だった。オリジナル・ラヴも同じ文脈で語られることが多かった。デビューアルバムが即、評判になり、それと同時にライブのやり方を見失ってもがいていたころ。毎日へこんでは、その気分を引きずったままステージに上がり続けていた。

田島貴男

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