「27歳の、あの1本から始まった。」

林 海象

2006.02.23 THU

ロングインタビュー


林 海象
映画監督の頭のなかで構想はこう渦巻く

“5で始まる番号で呼ばれる探偵”の構想は10年ほど前からあったという。濱マイクシリーズの撮影中だ。

「そのときはね、『私立探偵551』っていう、一人の探偵の話。横須賀に住んでて、番号で呼ばれてる。そういうイメージがぼんやりあったんです」

これは02年、ヤフーBBにおいて18分のネットシネマになった。映画監督の頭のなかには常にいろんなアイデアが渦巻いている。

「映画で横浜の濱マイク、ネットで横須賀の551。そのあとTVで下北沢の女探偵・661っていうのを撮ったんです。で、“他の番号もいるよな”と思い始めて、メディアを変えながら勝手にシリーズを続けようと。そこで“一都市一探偵構想”が生まれた。西川口とか、いろんな街を見ました(笑)」

番号の探偵と地域密着というアイデアが融合して、イメージが固まった。

「毎回街を変えて撮影していかなきゃならない。コレは面白いけど大変だと。で、それだけ探偵がいっぱいいるんだから、どこかに本部があるんじゃないかと。007と同じように番号で呼ばれてる。ということは、一人の探偵というよりは探偵事務所に所属して番号持ってる人全員の話なんじゃないかと思ったんですよね」

誰に頼まれるでもなく、頭のなかで渦巻いているのだ、くどいようだけど。一都市一探偵構想の要素と、実際の都市のあり方がうまくミックスして、『探偵事務所5”』の舞台は川崎になった。物語上の設定だけでなく、現実でのイメージもどんどん融合していく。

「川崎ってあんなにメジャーだし、東京の隣りなのに、公害のイメージとバイクのカワサキぐらいしか思い浮かばない。よくわからない街。そこに魅力がありましたね。川崎にはぼくらが知らない何かがある。だからきっと物語の魅力が増すんじゃないかと」

世界観はぱんぱんに膨らみ、熟成した。522(宮迫博之)、591(成宮寛貴)など、何人かの5ナンバーの探偵が登場する映画の企画も進んだ。

「映画ではせいぜい4~5人の探偵しか出せない。全然足んないわけです。何しろ500から599まで100人いますから(笑)。それをネットで見せるのはどうだろうという話になって」

今日の『探偵事務所5”』がある。頭のなかで渦巻く話を幾度もしたけれど、必ずしも実現するわけではない。むしろ、渦巻いて沈んでいくものが多い。

「5年ぐらいすると忘れるんですよ。でもそれは大したことないアイデア。時おり繰り返し思い出すものがある。作りたいものって、そういう感じなんですよね。“5”はそうでした」

そもそも探偵というモチーフがそうだ。これはもっと古くて、小学生まで遡る。とはいえ特別なことではない。昭和30~40年代の子どもはみんな、探偵か忍者の洗礼を受けたのだという。そして「その刷り込みが強かった」と。

渦巻かない20代。探偵と再会するまで

86年、29歳でデビューしたときから、プロダクションの名は映像探偵社。デビュー作の『夢みるように眠りたい』も探偵の物語。自身もプロの探偵の免許を持つ…なるほど、刷り込みは強い。しかし20代、林海象のなかで“探偵的なもの”は、深く眠っていた。京都の大学を中退後、20歳で上京して寺山修二の劇団・天井桟敷に入団。東京での唯一の拠り所だったが、ここもやめる。自称・映画監督のできあがり。

「映画を撮りたいとは思ってたんですけど、どうやって作っていいかわからない。そのうちお金がなくなって腹が減るんで、バイトをする。アパートは家賃が払えなさそうになると出て行く。友達ん家に転がり込むんだけど、だいたい3カ月ぐらい住んでるとイヤがられます。贅沢なもんでこっちもイヤになる(笑)。で、またバイトしてアパート借りて。その繰り返しです。都内だけで20回ぐらい越したかな」

頭に渦巻くのは、先につながりそうな楽しい妄想ではなかった。

「“こんなことするために生きてるんじゃない”って、バイトやめちゃうんですよ。それで脚本を書こうと。でも書けない…という繰り返し。立派なニートですよね(笑)。で、あるとき、1日500円で暮らそうと決めました」

当時の家賃が1万5000円、500円×30日で、1カ月の生活費は合計3万円。肉体労働5日分の報酬が約3万円。月に5日働けばよかったのだ。

「お金稼ぐのが面倒だったから(笑)。もちろんメシは1食、食うや食わずの生活でしたね。まず1万5000円を500円ずつ30個の封筒に分けるんですよ。番号を振って、順番に使っていく。そんなことしてる間に、知らないうちに27歳になってたんですよ」

“知らないうちに”である。何ひとつ成し遂げないまま、このままだと犯罪者しかない、と思い込んだ。あるいは地方で喫茶店をやりながら“昔は映画やりたかったんだ”と吹くオヤジ。

「昔を後悔する大人にだけは絶対なりたくないと思ってたのに、あんなのになるしかないと思った。そういう時に急に、弟が19歳で死にました。弟が死ぬことというショックもあったけど、19歳ってなんにもやれてないんですよ。それに気がついて愕然としました。何をやっても自分は中途半端だと。芝居をやろうと東京に出てきたのにやめちゃったし、仕事にも就かない。だからとにかく1個だけでもちゃんとしたことをやろうって。“映画を撮る”という大それたことではなく、いままで“シナリオ書けない”って言ってた、その部分だけを直そうと思ったんです。とにかくアタマからケツまで書く、と」

自分はなぜ書けないのか。ペンを握る前に立ち止まって考えてみたという。心にわだかまるモヤモヤはあるし、書くための作法も一応はシナリオセンターというところで勉強している。

「なんかね “いいもの”を書こうとしてたんですね。悪いものを書いてはいけないという意識があったんです。ヘンなものは書けないぞ、傑作を生み出すぞ、というあがきですよね。でも気づいたんですよ“俺の作品を待ってる人は、この世に誰もいない”って。その瞬間にすごく気が楽になった。失敗したらいくら捨ててもいいんだって」

題材もむずかしくは考えなかった。素直な心のままに、自分が本当に書きたいのは何かを思い浮かべたら――「探偵だったんですよ」。

そう、探偵という存在が大好きだったのだ。探偵は何かを探す。それはすなわちストーリーになる。普通はいなくなった人を探すが、そんなものは過去何百人もの探偵が探してることだ…ようやく映画監督としての妄想が脳内に渦巻き始めていた。

「それこそすごく時間をかけて考えて、あるときふと思った。未完の映画のラストシーンを探したらどうか…それで書いたのが『夢みるように眠りたい』という作品。脚本ができたら、悔いのないようにこの1本だけは映画にしようと思ったんですね」

30歳を目前にして、夢が実現しないことを実感しながら、その分、必死になったという。どこに出しても恥ずかしくないニートが、プロの俳優に出演交渉をし、スタッフを招集した。最後まで誰も貸してくれなかった制作費は、実家に頭を下げて調達した。

「お願いだからお金を貸してくれと。500万円、当時の僕の感覚では5億円に匹敵する(笑)。完成しなかったら映画はやめて普通の人になると。で、金は映画ができなくても返すからと。親元に暮らして一所懸命働いたら3~4年ほどで、返せる計算だったんで(笑)。そしたら、なぜか貸してくれた」

『夢みるように眠りたい』は自主制作ながら、内外で絶賛され毎日映画コンクールなどいくつかの賞を得た。そして、佐野史郎を世に出した。当然、500万円以上の利益を生み出した。

「それ以来、ぼくは映画監督をやっているんです」

1957年京都府出身。立命館大学中退後、19歳で上京。長期にわたるアルバイト生活を経て、86年、制作・脚本・監督を手がけた『夢みるように眠りたい』でデビュー。主演の佐野史郎や撮影の長田勇市、音楽のめいなCO.などはこのときから現在に至る盟友である。89年『二十世紀少年読本』を監督、91年よりアジア6カ国合作の『アジアン・ビート』をプロデュース。94~96年には『私立探偵 濱マイク』3部作を発表。『探偵事務所5”』は現時点での探偵映画の集大成である。映画版DVDは3月1日リリース。ネットシネマは毎月1日と15日に配信、1期は26話を予定。続いて24話が配信される予定。現在は10話『野良犬』まで、すべて無料で視聴できる。

■編集後記

「ぼくは弟が死んで以降、27歳を契機にして変わってますね。もし映画を撮ってなかったら、軽犯罪の常習犯になってた(笑)」。下がりきった20代だった。現在、京都造形大学教授を務めるが、若者への視点がフラット。しかも“若いヤツ”では決してくくらない。「いまは寄りかかるものとか敵対するものがない。自分の位置を自分自身で設定しなきゃいけない。自分の生き方を紐解くのはぼくらのころよりもむずかしいかもしれないですね」

林 海象

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