「大事なのは進化する過程と、進化し続けているという事実」

鈴木雅之

2006.04.27 THU

ロングインタビュー


鈴木雅之
メンバー一人一人と話すのが俺の理想のリーダー像

幼なじみを中心に、ラッツ&スターの前身であるシャネルズを結成したのは75年。鈴木雅之19歳のときだ。

集まったのは、50年代にニューヨークのストリートで生まれたドゥ・ワップ・ミュージックに魅せられた面々ばかり。そこから5年近くアマチュア活動を続けた彼らは80年2月にようやくメジャーデビューを果たす。奇しくも鈴木雅之は25歳直前。デビュー曲の『ランナウェイ』は結果的に110万枚の大ヒットを記録し、シャネルズは一躍、押しも押されぬ人気グループになった。そして、この爆発的な人気の秘密として注目を浴びたのが、靴墨で顔面真っ黒の風貌だった。黒人ボーカルグループの雰囲気を醸し出し、一度聴いたら忘れられないほどの強烈なボーカルのインパクトを残したのだ。

「“人間は格好で判断する”っていうのが俺の持論なのよ。最初から“人間は心です”なんていうのはウソ。人の気を引くとき――たとえば女の子との出会いの場面で“この人の服のセンス大嫌い”って思われた瞬間に、終わりでしょ。そうじゃなくて“この人のセンスすごい、なんか私と合うかもしれない”って思わせてようやくしゃべれるワケじゃん。そこからでしょ、こんな面白い一面があるとか、こんなに博学な人なんだって思ってもらえるのは。“人間っていうのはやっぱり格好じゃなくて中身だよね”ってのはそこで初めて言うものであって、最初はね、やっぱり格好だよ(笑)」

シャネルズの音楽性がわからない人たちにはまず、体からアピールする…このもくろみはエンターテインメント性ともうまくリンクした。だが、鈴木の持論通りなら、次に大切なのは中身である。肝心のシャネルズの音楽性は…というと、なかにはこう冷静に分析する人もいた。“デビュー当時の鈴木雅之のボーカル力は荒削りな部分はあるが、音楽を楽しむことを追求するという面ではシャネルズは間違いなく秀でている”と。

「その指摘通りだと思うよ。アマチュアからプロになるときって、もうボーカルができ上がっちゃっている人とまだ発展途上の人がいるんだけど、俺はホント、後者だったから。というか、俺自身、グループのリーダーではあっても、ボーカリストだと思ってなかった。とにかく自分たちが楽しむための環境作りが第一。で、そこは極めたけど、その当時の俺はまだ音楽を極めてなかったから、へたウマなワケ。でも、それだからこそ逆に、観てる人たちに“あっ、これだったら俺たちもできるかもしれない”的な勇気を与えることができたんじゃないかな」

ちょっと話は逸れるかもしれないが、ここで興味深いのが鈴木雅之のリーダー論だ。中学校のときから“お山の大将だった”と彼は語るのだが…。

「リーダーっていろんなタイプがいる。頭ごなしに“お前らついて来い”っていうタイプとか手を上げるタイプとか。で、俺はっていうと、節目節目の場面では一人一人と個別に話すタイプだった。グループの中にはね、“自分は違うな”って思っていてもみんなが賛成だと反対できないヤツが必ずいる。あとになってから、そういうヤツに“実はあのとき違うと思ってた”って言われるのが、俺は嫌いなの。だから一人一人と会って話したあとで、全員集めて“俺、こう思うんだけど、お前らどう思う”ってそこで初めて聞くワケ。でも、その段階ではメンバー一人一人との意思確認はできている。正解かどうかはわからないけど、少なくともしこりはない。実はね、『ランナウェイ』でデビューするとき、この曲でいいかってみんなに聞いたりしたんだよ」

米米CLUBとの共演がソロ活動転身のきっかけ

そんなリーダー・鈴木雅之が再び大きな決断を下す時期がやってきた。86年。自分自身のソロデビューがそれだ。そしてラッツ&スターは、リーダーのソロデビューと同時に活動を長期休止することに。ちょうど彼が30歳のときに迎えたターニングポイントだった。

「繰り返しになるけど、ラッツ&スターは“自分たちが楽しむこと=人を喜ばせること”っていうポリシーでやってた。だから音楽の中に笑いとかペーソスな部分を入れることが自分たちのステージングだって自負してたワケ。だけどそれがエスカレートしていくと、歌を歌っていても観客がオチを期待するようになってきて。ホントは、ギャグをかましてドッカーンと笑いを取ったあとでバラードを歌って伝えるからカッコいい…っていうハズだったのが、観客が期待しているのはそういうことじゃないぞって、気づいたんだよね」

ちょうどそんなときだった。広島県でのあるステージで、まだデビュー間もない米米CLUBと共演したのは…。

「85年くらいだったと思うんだけど、そのときカールスモーキー石井がさ、ギャグかましながらやってるステージ観て、すっげえ勢いがあるなと思ってね。対して、俺たちのパフォーマンスはぬるま湯になっていた気がしたワケ。俺たちはこの勢いを忘れちゃってると同時に、もしかしたら負けたかも…とも思ってね。その瞬間に“これからは個人個人で攻めたほうが絶対に伸びていく”と悟ったんだよね。だから、桑野(信義)とかはバラエティのほうに、それもラッツ&スターの桑野じゃなくて、個人でいけと。そうやってグループの鎖を外したんだよね」

鈴木雅之がソロ活動のレコーディングに入ったのはメンバー全員の行く末を見届けたあとのこと。鈴木のソロのためにグループ活動を停止したと思われがちだが、それは逆なのだ。

「30歳というのは、たまたま。このタイミングで米米CLUBと出会わなかったら、ソロデビューはもっと遅れてたかもしれないね。運も実力のうちっていう言葉があるけど、人との出会いもそういう運命だったりするよね」

BGMとしてのラブソングを今後も歌い続けていく

「ソロになってからはボーカリストとして誇りを持っていこう」…そう思った瞬間、肩書が“リーダー”から“ボーカリスト”に代わったという。それから20年。彼はラブソングにこだわるソロ・ボーカリストとして“鈴木雅之の世界”を着実に作り上げてきた。そして、移り変わりの激しい音楽界の中で今や彼は、“ワン&オンリー”と呼ぶにふさわしい存在感を誇っている。

「俺にとってのラブソングって、お世話になった音楽なんだよ。たとえば彼女といるときに、その場の雰囲気を限りなく素敵なものにしてくれる、攻めの武器だったりした。それを奏でる側に回ったワケで、俺としてはBGMとして使ってもらえてもいいなと思って、歌い続けてるんだよね。だからね、今は俺のボーカリストという肩書に代名詞をつけたい。“キング・オブ・ウィスパー”とか“ベッドルームのソウルマスター”とか自称してるんだけど(笑)」

今年の9月で50代に突入する。だが、生き方や仕事に対するスタンスは変わらないという。いやむしろ…。

「ここまでの自分の歴史みたいなものを冷静に顧みたときに、シャネルズ/ラッツ&スターなくしてはソロ・ボーカリストの鈴木雅之はきっと語れない。だからこそ、今回のゴスペラッツっていうものが生まれたんだけど、それはただ懐かしむための道具じゃない。守り続けることも必要だけど、やっぱり何事も進化し続けないと滅びるでしょ。大事なのは進化する過程と、進化し続けているという事実。ゴスペラッツは単なる原点回帰じゃなくて、進化し続けている今の俺の姿なんだよね」

1956年9月22日、東京生まれ。幼いころより姉・聖美の影響でR&Bを聴き始める。75年に幼なじみを中心にシャネルズを結成。80年に『ランナウェイ』でメジャーデビュー。83年にはグループ名をRATS&STARに改め『め組のひと』など多くのヒット曲を飛ばす。86年、『ガラス越しに消えた夏』でソロデビュー。『もう涙はいらない』や『違う、そうじゃない』などヒット曲多数。05年にはデビュー25周年を迎え、ソロ16枚目のオリジナルアルバム『Ebony&Ivory』をリリース。ソロデビュー20周年となる今年はラッツ&スター時代の盟友・桑野信義と佐藤善雄が、ゴスペラーズから村上てつや、酒井雄二が結集した“ゴスペラッツ”を結成。デビューアルバムの『ゴスペラッツ』をリリースしたばかりだ。オフィシャルサイトは

■編集後記

デビュー2年目。当時はテレビの音楽番組が毎日のように放送されていて、音楽業界が全盛時代だった。人気絶頂のシャネルズはテレビの生番組をはしごする日々。そのためレコーディングは深夜11時~翌朝まで、というスケジュールが続いた、という。「そんな日でも、お昼にはまた別のテレビ局に行ってるワケ。今では考えられないけど、3カ月に1枚のペースでシングル作ってた時代で、とにかく殺人的な仕事量だった。でも、それをちっとも苦とは思ってなかったよね」

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