「“将来のビジョン”なんて、必要ないよ」

ジャン・レノ

2006.05.11 THU

ロングインタビュー


ジャン・レノ
登場人物のモデル?いろんなことがやりたい

『ダ・ヴィンチ・コード』は世界的ベストセラー小説の映画化。主人公の宗教象徴学者が、レオナルド・ダ・ヴィンチが自らの作品に仕込んだキリスト教の秘密を追う。しかも、ルーブル美術館館長の殺人容疑をかけられながら。ジャン・レノが演じるのは主人公を追うフランス司法警察中央局の警部、ベズ・ファーシュである。

「ブル(雄牛)というニックネームを持つベズ・ファーシュが、私からインスピレーションを得て書いた人物だと、著者のダン・ブラウンから聞かされたときは驚いたよ。もちろん身体的特徴には共通点がいくつかあったけれども、その他には彼と私との類似点はまったく見えなかったからね」

たしかに、ベズはアタマからロバートを犯人だと決めつけて追っかけるような頑迷な男だ。祖国と宗教への偏愛に満ちた、憎まれ役である。

「彼は気難しくて無愛想だが意志の強い警部なんだ。でも彼の論理には欠点があることが徐々に明らかになる。つまり確証ではなく、信念に基づいた論理だということ。信頼していた人間たちの裏切りに気づいたとき、彼は精神的に少し壊れる。それをなるべく見せようと努力した。人間らしく演じ、“タフガイ”も繊細な部分はあるんだ、ということを見せたかったんだ」

キャラクター自体はまるで違う。だが“タフ×繊細”というような相反する複雑な要素を併せ持つという点では、似通っているのかもしれない。たとえばハリウッドで地位を確立しながらも、フランスの小品に出演するところ(実際に住まいもLAと南仏にあるという)。シリアスな警察官を演じながら、脱力系のコメディでくだらないオヤジになりきるようなところ。

「まったく違ったことをやるのが好きなんだ。観客を納得させられる演技ができる限り、いろいろなジャンルに挑戦し続けるよ。それぞれ仕事のペースややり方が違っているから、精神的に参りそうになるときもあるけれどね」

愛されたいから!結婚した力士は強い

ジャン・レノは1948年、モロッコのカサブランカで生まれた。両親はスペイン系。国籍はフランスである。俳優を志したのは12歳。きっかけを尋ねたら、「わからない」と笑った。

「でも本当はわかってる(笑)。俳優になりたい人間って“もっと愛されたい”って思ってるんだよ。人前に出ていって演技とかいろんなことをやるのは、たぶん普通のことじゃないと思う。普通っていうのは、自分で土地を耕して、明日の天気を心配して、野菜を作り上げていくようなことだよね。俳優になりたい、もっと愛されたいっていうのは、人間として何かが欠けてるからでしょう…それはね、愛かな(笑)」

でも、そのことがわかるのはずっと後。当時、12歳のジャンがリアルに気づいたのは映画『波止場』でのマーロン・ブランドのカッコよさ。あらゆる表情をマネしていたという。

役者への夢も厳格な父には許されず、結局家を出るきっかけになったのは、20歳のときのフランス軍からの召集。当時はまだ徴兵制があったのだ。『グレート・ブルー』のエンゾばりにマザコンだったジャン・レノは、新兵としての18カ月間で、世界と対等に向き合える男になっていた。

もちろんそれは精神面でのお話。社会的なポジションとしては、除隊してパリにやってきた無職の22歳。3食カフェオレの男である。

「セールスの仕事をして、〈クール・ルネ・シモン〉という演劇学校に行ってたんだ。すぐやめちゃったけどね。当時のぼくは、正直、あんまり面白い俳優ではなかった。ボルドー出身の友人と部屋をシェアしてたんだけど、彼は鉄道に勤めていたから、よく留守をしていたんだ。この時期、ぼくは非常に女性にモテたんだよ(ニヤリ)。ぼく自身の収入なんてほとんどなかったけど、彼女たちがぼくを眠らせてくれ、食べさせてくれたようなものだね」

“すばらしい!”とつぶやいたひとことを、通訳の女性が丁寧にも訳してくれた“C'est magnifique!”。

「ウィ(笑)。ぼくは非常に運がよかったと思うよ。これが23歳ごろ。ここから5~6年で、徐々に状況が改善されてきたんだ」

20代後半で俳優養成学校『アトリエ・アンドレアス・ヴツィナス』に潜り込む。ここで出会ったディディエ・フラマンという男が旗揚げした劇団でヨーロッパを旅公演することになる。

「そのときは、もう結婚してたんだ。妻は働いていたので、それなりに…すごくたくさんというわけではないけれど、家庭を維持するぐらいのお金は家に入ってきていたね」

人生の節目節目で女性に助けられてきたのだ!

「ぼくは、最近スモートリ(相撲とり)に関する本を読んだんだけど、そこには結婚してるスモートリの方が独身のスモートリより、勝ち星を挙げると書いてあった。同じことだよ。人生においてもっとも大切なものは女性!(笑)」

ビジョンなんていらない今、何をやりたいか

TVドラマにすでにちょい役で顔を出していて、27歳で舞台を踏み、翌年にはその余波もあって映画デビュー。当時、いったいどんなビジョンをもって仕事をしていたのだろう。

「ビジョンは全然なかった。誰もそんなもの持ってないんじゃないかな。何も考えなくても、アッという間に成功の女神がすくい上げてくれる。それが“成功”さ。たとえばロック・ミュージシャンになりたい人がミック・ジャガーをイメージして、6万人の観客の前で歌うのが自分のビジョンだって言うかもしれない。でもそれを想像するメリットはあんまりない。要するに“好きなことをやる”のが大切なんだと思うよ。どれだけ有名になりたいとか、どういう人になっていたいかを考えるんではなく、いま自分が何が好きで何をやりたいかを真剣に考えた方がいい。その方が重要だよ」

“映画界における成功”がジャン・レノのことをサッとすくいとったのは、おそらく88年の『グレート・ブルー』。もしくはこれに至る『最後の戦い』(83)、『サブウェイ』(84)、一連の作品を監督したリュック・べッソンとの出会い。

「どうだろう? 彼はぼくと出会ったときは、ある映画のオーディションの受付だったんだ。ボロボロのバスケットシューズを履いて、単に “映画が撮りたい”って言ってるだけだった。ぼくも彼も、自分がどこに行ってしまうのか、どういうふうになるのかまったくわかっていなかったんだ。2人ともそういう状態で、映画を撮って、その仕事が止まることを恐れながら、つねにやりたいことだけをやった。それがその瞬間に持っていたぼくたちのビジョンだったのかもしれない」

結果、2人の人生も、彼らを取り巻く人々の人生も大いに変わった。けれど、それはあくまでも“結果”。

最後の質問はこうだった。“ジャン・レノのようなオヤジになれる秘訣を教えてください”。

「難しいねー(笑)。自分がどうして今のように見られるようになったのか、ぼくにはわからない。イメージをコントロールしているわけではないし…。でもたぶん大切なのは、女性をしっかり見て、しっかり話を聞くことじゃないかな。結果は最初から予定されているものじゃないから。そこにあるのは“道”だけ。自分でいかに興味を持つかで、違う結果が訪れるんだよ、きっと。とくに女性に関してはそう。あまりモテたいと思っていないときの方が、間違いなくモテるね(笑)。あ、もう時間か…じゃあ、メルシー・ボクー」

1948年7月30日生まれ。モロッコ、カサブランカ出身。22歳でパリに移り、俳優業をスタート。舞台デビューは77年。映画デビューは78年。81年、ある作品のオーディションを受け、リュック・べッソンと出会う。彼が監督した83年の『最後の戦い』をきっかけに、脚光を浴びる。『グレート・ブルー』(88)、『ニキータ』(89)などに出演。『レオン』(94)をきっかけにハリウッド作品にも進出。『RONIN』(98)など。03年にはフランス国民功労賞を授与される。最新作『ダ・ヴィンチ・コード』では、トム・ハンクス演じる大学教授ロバート・ラングドンを執拗に追うフランスの警部を存在感たっぷりに演じている。『ダ・ヴィンチ・コード』は5月20日(土)全世界同時公開。 

■編集後記

パリに出てきて3年目。女性たちの寵愛を受けた。しかし、俳優業でさっぱり芽が出なかった。まさしくジャン・レノ迷走時代。あまりに仕事がうまくいかないので、「とりあえずお金を貯めてから、それを元手に俳優の方に打って出ようと思ったんだ。それで免税店で働き始めた」。ここでの稼ぎは意外に悪くなく、プチ・ブルのような状態に。俳優に本腰を入れるために始めた仕事が遊ぶ金に変わってしまう。都会の絵の具に染まるジャンであった。

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