「僕は自分のなかに基準がある」

中田英寿

2006.06.08 THU

ロングインタビュー


中田英寿
誰が言おうと関係ない自分でどう思うか、である

「サッカーをやるときに、自分の満足のためだけに試合をやるというのはプロじゃない、と思うんです」

“日本が世界のサポーターをどれほどちゃんともてなせるのか”とか“国籍問わずみんなが一体になってサッカーを楽しむ場所がない”なんてことは、いちプレーヤーが考えるようなことではないような気がする。そう言うと、中田英寿は右のように答えたのだ。

「観にきてもらって初めてプロだと思うし、観に来てる人がどういうものが観たいかを考えて観せるのがプロだと思うし。それは、周りのことを考えられないとできないし。サッカーって、ピッチの上だけじゃなくて、全部を含めてサッカーなんで。そういうことを考えると、珍しいことじゃないですね」

中田英寿は29歳である。高校卒業後、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)から“プロ”フットボーラーの道を歩み始めたわけだが、「(何がプロフェッショナルなのかを)考えたのか考えないのかは自分ではわからないけど、たぶん初めから、その意識はありますね。サッカーは自分のエゴを出してればいいんだってものじゃない」

視野の広いプレーヤーと賞される。ただそれはサッカーに限ったことではない。つねにコートの全景が見えていて、次にとるべきアクションを確実に決められるように、どうやら生活のなかでの自分の立ち位置を把握する力もまた、並大抵ではないようだ。そして着ているジャケットをほめたら、中田は苦笑まじりに答えた。

「…というか、僕は何事に関しても自分のなかに基準がある。僕はきれいなものが好きなんです。見てきれいだとか、着てきれいだと思うものとか、こういうことをするとエレガントだとか…。誰かが言うことではなく、自分のなかにあるもの。みんながイイって言うものが僕にとってイイものではなくて、僕がイイって思うものがみんなにとってイイものでもなくて。だからあんまり人のことなんか気にすることはない。ワインなんかも一緒だと思うんです。誰かがイイって言ったワインをマズイと思うこともあるし、僕がウマイものが他の人にはマズイかもしれないしね。そんなの自分が好きなもの飲めばいいじゃないですか」

“基準”は簡単には確立されない。

「僕は人の話を信用しないってことなんでしょうね(笑)。要は、“百聞は一見にしかず”。それこそもう新聞で読んだりテレビで観たりすることで、“本当だ”って思ってることはほとんどありません。僕が自分で見て初めて“あ、これがそうなんだ”って」

オフィシャルウェブサイトを開設し、公式コメントを発するという、“ビジネスモデル”を確立したのも、彼である。

98年、W杯フランス大会ごろからTVや新聞を通さない、自身の声を発し始めた。そして大会終了後、そこで発表したのがイタリア・セリエA、ペルージャへの移籍であった。

世界と触れる体験が、自分の基準を確立

徹底した体験主義である。ペルージャ以降、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナというチームを経て、05-06シーズンはイングランド、プレミアリーグのボルトンに所属した。彼の体験は年々広がる。

しかし、こうした海外の体験以前に、すでに“自ら体験すること”の大切さは実感を伴って彼のなかにあった。

「サッカーの試合で海外に行き始めたのが14歳ぐらいからです。U-15で韓国に行ったりとか、年に1~2回ぐらいのペースでした。比較的早くから外国に触れることができたし、その分、外国に行くことがあまり特別じゃないと感じることもできたんです。それぞれの国の文化や言葉の違いに触れて、早くに興味を持ったからかもしれませんが、今でもいちばんの趣味っていうのが旅行なんですよ。いろんなところに行くのが好きで、将来は旅人やってたいなって思うぐらい(笑)。旅でいちばんいいのが、現地で直接自分の目でいろんなものを見て体験すること」

だからこその『ジュニア親善大使』でもある。彼らはドイツに旅立ち、国旗を持ってピッチを歩くことになる。日本人というアイデンティティを明らかにしながら、世界と向き合う。

だが、R25世代はもはや中学生ではない。いまから“世界というカルチャーショック”を味わうことは難しい。

「自分のことで精一杯だと、本当に周りにあるものが見えないから、実際には自分の可能性も見えてないんです。外に目を向けていろんなものを見ることで、自分の可能性も広がると思いますけどね」

特別なことを言ってるわけではないのだ。むしろ、ごく普通の発言。ただ、それを真正面から語るのが難しい。まず、自分が実践できていないといけない。もちろん中田はその判断を他人に委ねたりはしない。“努力します”“がんばります”はわざわざ言うことではなく、プロとしては前提。そこから何を成しえるかが大切なのだ。そういう意味のことを平然と言う。

「甘えないかどうかっていうと、“人生”…っていうと話は大きくなるけど、結局は自分との戦いじゃないですか。一度自分に甘えたらズーッと甘え続ける。自分をよりよくしていくため、自分の生活をよりよくするため、楽しむためにはどうすればいいかというと、いかに厳しい状況に自分を置き続けることができるかだと思うんです。そうすると少しのことでも楽しく感じる。少し厳しいことがあっても厳しく感じない。自分のなかでのそうした基準を、つねに高いところに置いておかないと、どんどん落ちていっちゃう」

普通の29歳よりもはるかに多くの厳しい経験をしてきた。だが“思い通りにいかないことや理不尽なことは絶対ある。大切なのはそれをどう受け入れて次に向かっていくか”であると、これまたサラリと言う。圧倒的に自身の価値観に自信を持っている…いや、疑問すら差し挟む余地はないのだ。

「僕が悪いと思うのは、他人に迷惑をかけること。だから、自分のなかですべて収まりのつくものに関しては、他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいと思ってるんです。あとは自分のなかでの、“何がよくて何がよくないか”っていう判断。誰かが“よくない”って言うことをやらないのがいいことじゃない。自分が好きでやってたり、自分が楽しいと思ってやってることのなかで、周りの人に悪く影響することがあるだなんて考えたこともありません。それを考える時点で自分は間違った人間じゃないかって気がする。自分が『正しい』と思ってやることで人に迷惑かかるなんておかしいでしょ?」

しかし実際には、自分の思う“正しさ”が本当に正しいのかどうか。自分のなかの基準に対する自信なんてなかなか持てないものだ。そう言うと、中田英寿はとても不思議そうな顔をした。

「それは自信が持てないっていうことじゃないと思う。他人基準にしたほうが楽だっていうだけの話ですよ。他人の基準で判断すると、自分で責任を持たなくていいから。自分の基準っていうのは自分のなかで責任感を持ってやることです。だからこそ自信を持ってなきゃダメだし、自信を持ってない人には自分基準もないだろうし」

こんなことを気負わずに、当たり前に言うからとても強く見えるのだ。

「僕には当たり前のことなんです。自分の行動には責任が伴うもので、自分が食べた分は自分が払う。ね、あたりまえじゃないですか? 何かを食べて病気になるとか痛風になるのは、自分のせいじゃないですか。誰の責任でもない。自分の行動には自分がすべて責任を持ってやるというだけですよ」

またもや不思議そうな顔をして、中田英寿は言うのであった。

1977年1月22日、山梨県生まれ。プロサッカー選手。中学時代にU-15日本代表に選出。以降、各年代の代表に選ばれる。U-17世界選手権やワールドユースに出場。アトランタ、シドニーと2度のオリンピックにも出場。ワールドカップは98年フランス、02年日韓に続き、今度のドイツで3度目。95年、Jリーグ・ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に入団。98年、イタリア・セリエA、ペルージャへ移籍。01年にはローマでスクデットを獲得している。05-06年シーズンは、フィオレンティーナよりイングランド・プレミアリーグ ボルトン・ワンダラーズに1年の期限付きでレンタル移籍。シーズンを終えて、ドイツに臨む。

■編集後記

中田英寿29歳。R25時代なんてほんの数年前、いやむしろまだ渦中。当然ながら、これからもいくつかのターニングポイントは迎えるはずだ。たとえばこのワールドカップドイツ大会。彼にとって3回目の経験であり、これがキャリアに新たな変化を及ぼすこともあるだろう。しかし中田英寿の価値観は、すでに確立されている。内部で何かが変わるとしてもそれはきっとマイナーチェンジにすぎない。彼は普通の人のR25時代を10代ですでに経験しているのだから。

中田英寿

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