「自分の“飢え”を信じている」

岸谷五朗

2006.06.15 THU

ロングインタビュー


岸谷五朗
舞台を作るということそこに必要なもの

4日後、午後2時すぎ。同じく新宿コマ劇場、応接室。岸谷五朗は「いいでしょ、あの席」と、ニヤリとした。

『HUMANITY』は、主人公のサラリーマンが、管理され束縛される現実の社会と、桃太郎として活躍する夢の世界を行き来しながら、人間らしさを取り戻す…総勢47人登場の一大エンターテインメントショーだ。岸谷五朗は赤鬼以外に、作・演出を担当する。

「僕、22年ぐらい舞台をやってるんですが、わざわざ“舞台をやろう”って意識したことはないですね。俳優である以上、必ず舞台がある…血と骨じゃないですけど、僕と共存しているもの。規模が大きくなってきたりいろんなことはありますけども、ずっと隣で一緒に生活してるみたいな。舞台は、僕と並行してあるものなんです」

しかし、ぼんやり過ごしてある日突然、作品が完成するわけではない。

「アンテナを何本張って生きてるかですね。1本しかなければ、見つからないだろうけど、5本10本になると、いろんな方向を見える。そのとき何に自分が怒ってるか、何に対して興味を持ってて、お客さんに何をぶつけたいかっていう。そこに引っかかったものがチョイスされていくと思うんですね。だからね、たとえば今の僕の頭のなかは、次回公演のことがメインなんですよ。もちろんリアルタイムでこの作品を日々よくする努力はしてますけど」

努力はギリギリまで。舞台を観ていると、面白いとかスゴイのと同じように、気持ちイイのだ。まったくゆるぎない群舞。プロの仕事の快感だ。

「エンターテインメントを、しかも50 人近い人間で作るとき、いちばん大事なことがそれじゃないかな。アンサンブルがいい芝居できなきゃ、絶対いい舞台にはならないんです。みんなオリジナリティを持ったプロだけど、それでも時間がかかる。時間をかけて稽古に取り組んでいくと、徐々にみんな家族みたいになってくるんです。そこで故障するヤツをフォローするヤツも出てくるし、人間関係もできてくる。ひとつになる力が強ければ強いほど、いいアンサンブル、いい作品ができると思ってます。大切なのは、お客さんが舞台のどこを見てもそこに優れたエンタティナーがいること」

もともと、俳優だった。自分の飢えを信じて

芝居を始めたのは、22年前。19歳だった。“一生飽きずに取り組めて、心を注げる職業はなんだろう”。大学に入学してから考えてみたという。

「“ああ、芝居だった”って思ったんです。フラフラすることは簡単だと思ったから、そうしないような職業は何だろうって。芝居なんて何にもやってないのに。生まれて初めての感覚。“そうだ、役者をやってみよう”じゃなくて“あ、俺、俳優だった。忘れてた!”(笑)。そのまま一直線でしたね」

そして三宅裕司率いるSET入団。当時注目の劇団のひとつだったが1本の作品も見ていなかった。「たまたま入れてもらえたんです」と笑う。「まずプロの世界に行かなきゃと思ってました。役者になるなんて簡単なことなんです。“なります”って手を挙げればいいだけ。何の許可証もいらないし。でも職業俳優になれるかどうかというところには、非常に大きな壁がありますよね。」

今も続く“舞台と共存している”という感覚は、この段階から変わらない。「だからその分、死ぬほどアルバイトを転々としました。絶対にやめない職業をひとつ見つけた代償ですね」

そう、あくまでも職業は舞台俳優。入団4年後、寺脇康文・山田幸伸と〈SET隊〉というユニットを結成し、ラジオドラマや三宅裕司のTV番組の前説などを手がける。これも「バイトですね。ただし真剣。本編よりも面白くしてやろうと思ってましたから」。

さらには90年からTBSラジオの夜の帯番組『東京レディオクラブ』のパーソナリティーとして人気を博す。

「リスナーに向かって、“俺は役者で、舞台をやってる人間なんだ。ラジオは真剣にやる俺のアルバイトなんだ”ってよく言ってましたよ(笑)」

93年、崔洋一監督作品『月はどっちに出ている』に出演。これをきっかけに、映画やTVにも本格的に進出した。

「“紹介してもらった”感じなんです。崔さんに映画という世界を紹介してもらって、それに僕がのっかった。TV ドラマもそう。やってみたら、これがまた面白かったっていう感覚。自分から足を踏み入れたのではないんです。演劇だけは自分から足を踏み入れたものなんで、そこの違いは大きいですね」

さて、近ごろ岸谷五朗は、映画『タイヨウのうた』に出演し、日光に当たることのできない病を持った少女(YUI)の父親役を演じた。彼女とサーフィン好きの高校生(塚本高史)との恋、そして人生を見守る役柄だ。メガフォンをとった小泉徳宏監督は25歳。

「映画はもちろん監督のものです。この作品に25歳の監督を起用した狙いは間違いなくどこかにありますよね。YUIちゃんや塚本くんみたいな若い俳優をベテランが演出して成功するケースっていっぱいあります。でも当たり前の図式かもしれないなと。若い二 人の話に、年の変わらない監督を入れると面白くなるんじゃないか…それも映画としての挑戦だと思います。役者と監督、役者同士、座組み。そこに生じる化学変化が面白い。それで撮影を重ねていくと、色が出てき始めて」

映画のなかで、岸谷五朗は病院の待合室に座っていた。セリフはない。娘の診察が終わるのを待っているのだ。

そのとき何を考えているのですか?

「たぶんそれが映画で一番大事なことかな。ただ存在すること、ただ存在する存在感を持つこと。演劇は、全部プロセニアム(=額縁)から登場するんだよね。“登場”の存在感を持ってなきゃいけない。現れたときお客さんはみんなパッと見る。そこに明かりを焚く。そんな存在感。映画はいろんなものが雑多にあるなかにポツッといる存在感。何もしていないのに、何をやってる人かが、にじみ出てくること。そのためにいろんな、やんなくてもいい努力をいっぱいするんだろうけど」

でも、今も昔も、“こんな俳優になろう”と考えたことはないという。

「ひとつ作品が終わったときに自分がどっちを向いてるかはわかんないから。ある地点を目指してても、たとえば『HUMANITY』という作品を通り過ぎたら、全然あっち向いちゃうかもしれない。だからそっちに行く。その作品を終えたら、今度は別のほうを向いている。“アレ? あそこ目指してたのに…”なんて必要ないんです。一番大事なのは目の前の作品にどれだけ真剣に取り組めるか。燃焼できるか。役者ってそういう生き物じゃなきゃいけないと思ってます。僕は燃焼したあとの自分の“飢え”を信じているんです。飢えてるほうに向かっていかないと、苦しくてやってられないんですよ」

地球ゴージャスが“劇団”でないのも、飢えに忠実に公演を打っていけるように。一作品ごとにターニングポイントが訪れているのである。

「そうですね。…でも強いて言うなら、アレかな。劇団に大反対されて、“失敗したら全員退団だ”って言われながら、若手だけの舞台を打ったんです。『ゲボ・ハハハ』っていう、僕の一番初めの演出作品なんですが。23ぐらいでした。三宅さんもTVに出始めて劇団が急成長を遂げてて。幹部が『お前らの舞台が失敗して劇団に泥塗ったらどうすんだ』っていう、保守的な感じになってて。それを押し切ってやった。あの1作目を乗り切ったこと。観に来てくれた三宅さんが『最高に面白かった』ってほめてくれたこと。あれをやってなければ、今の俺はないんじゃないかな」

午後3時20分。応接室を出ると、ロビーにはジャージ姿の俳優たち。マットを敷いてストレッチ、発声練習。場内でメインカット撮影の準備を待つあいだ、岸谷五朗も「ンンンー」と声を出し、体を伸ばし始めた。

3時間で、また幕が開くのだ――。

1964年9月27日、東京生まれ。大学在学中に劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団。93年、崔洋一監督作品『月はどっちに出ている』に出演。以降、崔組の常連として活躍すると共に、映画・TVなどにも本格的に進出。94年、寺脇康文と共に企画ユニット・地球ゴージャスを結成。舞台を中心とした表現活動を展開している。8作目の新作が『HUMANITY THE MUSICAL ~モモタロウと愉快な仲間たち~』。童話『桃太郎』をモチーフに、企業社会で失われた人間性を取り戻す旅を華々しくもバカバカしいショースタイルで描く。6月21日より大阪・フェスティバルホールにて公演。www.amuse.co.jp/chikyu/ また出演映画『タイヨウのうた』は6月17日より全国公開。XP (色素性乾皮症)という病に冒された少女と高校生の恋を、悲しいながらも瑞々しく描く。

■編集後記

19歳で劇団に入ってからあらゆるアルバイトに手を染め、いろんな職場を転々としたという。「全然バイトに関してはやる気もないし、使えねえなあって思われてたと思いますよ。いっつも店長怒らせてたから(笑)」。それはもちろん、絶対にやめない仕事を見つけていたから。“俳優”という意識は強く、それ以外のすべてを“アルバイト”と呼んだほど。87年から始まったユニットSET隊も、90年からやり始めたラジオも同じくらいに“真剣にやるアルバイト”なのであった。

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