「“人間って滑稽だ”っていうことが僕は好き」

伊集院 光

2008.10.09 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 松尾 修(STUH)=写真 photography OSAMU M…
人を地獄に突き落とす面白いルール仕掛け

都内のあるカラオケボックスに現れるのは7人の若手芸人たち。イマニヤスヒサ、サードメン高橋、浜ロン、お笑いコンビ「オテンキ」ののりとGO、川村エミコ、白鳥久美子…あえて名を記してみたが、見事に知らない(でしょ?)。彼らが真剣に1回勝負ジャンケンを1試合するまでを追う。つまり、無名芸人のジャンケン1試合が収録されたDVDである。

「負けたら即、番組への出演が1カ月休み」「あいこは再試合」「全員同じ手のあいこなら全員勝ち抜け」。

「ものごとを面白くするためのルールをいっつも考えてるんです」

さらにその場の人間が面白い反応をするような言葉や仕掛けを多く考えた。伊集院自身は作中「疑心暗鬼空間にしたい」と言っていた。

若手芸人にとって数少ないテレビの仕事を1カ月干されるのは死活問題である。普通ならばみんなで平和的に話し合って「グーを出そう」とか決めればいいはずなのに…。「密談部屋」が設けられ、入らなくてもいいのに何人かが入る。残された方は聞こえてくる笑い声ひとつに過敏に反応する。伊集院 光による「個人面談」では、意味ありげな寓話を聞かされた芸人が、「アイツが裏切り者だ!」と勝手に合点する。追い詰められ逆上してすべてを投げ出す者、同盟を結ぶ者たち、直前にその同盟を覆す者たち、3時間に及ぶ“淡々”のなかで、勝負が始まり、ある芸人が絞り出す叫び──。

「さいってぇぇぇぇぇ!(=最低)」

「もともと僕がやりたかったことはこのDVDみたいなことでした。TVの30分番組だと、派手なシーンばかりが多くなるんです。とにかくアベレージで笑いを入れていかなきゃならない。それが世間にいちばんウケる形なのはわかるし、現にたとえば『レッドカーペット』とか、僕も楽しんで観ているんだけど、出る方の僕は“落語育ち”ですから、長い構成のものが好きなんです。直接的に笑えない時間が長くあって、溜めに溜めたものがどこかで爆発する。また静かになって“来ないな~”と思っていたところに、またドンッって笑いがくるような。短い時間だと“この人はいい人”とか決めて観ちゃうんだけど、長くなると“本当にいい人なの?”とか、“こいつは自分を利口だと思っているけど、利口じゃない人”とか、まさに人間の滑稽な部分がゆっくり見えてくるんですね」

真剣であることの功罪。なぞの“天ぷらトラック”

“黒”と“白”のあり方について、伊集院光はこんなふうに答えた。

「『たぶんいちばん今求められているものはこうなんだろうな』ということを、いつもやっています。演じ分けているというよりは、その場ではそれをやるのが最善だということでしょうね。いちばん笑ってもらえること、興味をもってもらえることをやるという意味では、全部一緒だと思うんです」

テクニックとかスキルではなく、元々あった素朴なものらしい。

「恋人の前で話すこととお母さんの前で話すことと、親戚の前で話すことと学校で話すことって、みんな違いますよね。僕の場合、それの極端なものという感じですね。たとえば『Qさま!!』で“キンタマよじれるくらい緊張している”って言っても、お茶の間は笑いませんよね。むしろ引く。“俺、いったん楽屋でご飯食べてきていいですか”が、その場での正解だと思うんです。でも、深夜放送は“キンタマよじれる”で“また変なたとえ出した”って笑ってくれる」

ただ、ラジオは20歳前から始めてずっと続いている。ものすごくサラリと言ったが「ライフワーク」である。いつごろその思いを得たのか。

「本気で言ったのか、結果的にそうなったのか…。落語を辞めて話芸という繋がりでやっているラジオだったから、それ以外に習得したものも何もなかったし、もっと言えば仕事として僕にはラジオしかなかったし、ラジオ以外にやれる自信のあるものもなかったんで…っていう意味でライフワークだと思い込んだというか。自分の唯一本職としてやる仕事だと。そう思い始めた時期はわりと早いですね」

落語をやめたのは、20代半ば。立川談志が同じ世代のころに演じた『雛鍔』を聞いて、分を知ったと言う。伊集院光はよく自らを称して、誇大妄想だとか被害妄想だとか自意識過剰だとか言う。それは、言い方を変えれば自分のあり方を見つめる視点だ。やりたいこと、やるべきこと、できないことを知り、反省し、でもやっぱり“それが俺だ、しょうがない”と息をつく。

「ちょっと前までラジオを、TVとは全く違うメディアとして頑張ってやっていこうと思っていたのが、今は“僕のラジオとはこういうことである”というのがピンポイントでわかりました。自分で勝手に決めたんですけど、これはずっと言わないと思います。目指すところを種明かししたうえで聴いてもしょうがないから。今までと大きく違うことではないけど、より明確な答えを出したんです。20代でビジョンをあらゆるところまで広げて、30代でできないものを切って40代でそれを研ぎ澄ましていく、みたいな感じですかね。いまは目指すところを決めたから、日々やっていても、今日はこれが80点しかできていないとか、あそこの部分をこうするともう少しいけるんじゃねえのかとか、そういう感じになってますね」

できないことを悩むエネルギーは、できることをやることに向けた方がいいと実感したのだ。ニュースのコメンテーターをやっていたときのこと。

「世の中を妬んで、最終的に殺人を犯す人のニュースがあったとして、恵まれていない人が、恵まれた人を妬むことに関しては肯定すべきだろうと思ってたんです。『そういうときもある』と。でも人殺しだけは絶対否定しなきゃならない。ただそこでコメンテーター陣が『自分の努力が足りないのに、なんで人を妬むんだ』っていう空気になったときに『俺はわかります』って言えなかったんです。『人を妬むところまではわかる』って。今現在、人を妬んでいる視聴者に『妬んで生まれた負のエネルギーみたいなものを、みんななんとか今日のところはオナニーをして寝ることで忘れて…やり過ごしてるから大丈夫だよ』って言わなきゃならないのに、言えない自分を“何それ”って思っちゃう。もし俺が成功者を妬んでいてその番組を観ている立場だったら、『今のこの妬みは、俺は殺人犯としか共有できないのか』という話になるじゃないですか。でも違う。妬むし僻むしヒドいことを考えるけど、やらない。人間だから。やっても何も変わらないから。やらないで済ます方法はオナニーだと知っているのに、それを伝えられないくせに出るなと思ったんです。で、一週間ぐらいくよくよして。コメンテーターみたいなところまで足を伸ばすことで、くよくよしているくらいなら、ラジオやって、“ばんぐみ”をやって、あとはその余力のなかで俺のためになるって思うものにちゃんと出た方がいいって思います…あと、最後に、天ぷらトラックについて考えたんですけど、荷台のところが全部衣で包まれているという。これねえ、“何が入ってるんだろう?”ってみんな思いますよねえ」

1967年11月7日、東京都荒川区生まれ。高校2年生のとき三遊亭楽太郎に弟子入り。19歳のとき、伊集院光の名でニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』に出演。ギャグオペラ歌手としてニューウェーブなお笑いの一端を担う。88年10月より『伊集院光のオールナイトニッポン』に出演し、91~95年『伊集院光のOh!デカナイト』で人気を得る。95年10月からはTBSラジオで『深夜の馬鹿力』をスタート。07年12月より始まった『伊集院光のばんぐみ』がDVD化。VOL.1に続き、11月19日にはVOL.2を発売。こちらには『映画を作ろう!~1カメ・ノーカット映画製作』が伊集院光責任編集で収録されるほか、『特撮映画を作ろう~イジュラ~』なども。『夕刊ツーカー』の連載をまとめた『のはなし』(宝島社)の第2弾刊行も待たれる。

■編集後記

「15歳のときに部屋の壁に半ば冗談で『25歳の誕生日に、基本死にます』って書いたんです。『自分が納得いかない大人になっていた場合は死ぬこと。そのときの都合に合わせて納得のラインを変えないこと』って。10年間ぐらいそれを見て暮らしてたら自己洗脳みたいになって(笑)。だんだん不安定になってきたその誕生日に、僕が一方的に好きだった女の子から、ゴハンに誘われて、食ってる間に日付が変わったんですよ。そのとたんにスッと憑き物が落ちるように、“逃げ切った”という感じがしました」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
松尾 修(STUH)=写真
photography OSAMU MATSUO

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