「作家であり続けるためには」

大沢在昌

2008.10.30 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
主人公ではないから…いわば“鮫”の合わせ鏡

「日常のなかで、普通の人が成り得るヒーローが佐江だと思うんですよ。自分のやり方をまずきちっと構築すること。間違っていたり人に迷惑をかけない限りは、自分の立ち位置を変えない。ときには悪役や職場の“困ったちゃん”にされるかもしれないけど、信ずるものがあって、それが社会にとって間違っていないという信念を貫くこと。

現実の職場においても、価値観がぶつかり合うことはあります。どっちが正しくて正しくないかは言えないかもしれない。そこでいちばんダメなのはブレてしまう人。フレキシブルなのはいいことだけど、それは若い人が新たな価値観に目覚める場合のこと。キャリアを積んできたベテランの価値観が揺らいでしまったら、周りの人間、ひいては会社全体が困ってしまう」

佐江は普通の会社に置き換えると、こんなオジサンなのかもしれない。

「何かトラブルが起きて、学歴があって頭もいいけど挫折したことのない上司や、キャリアの未熟な若い人が処理できずに悩んでいるわけですよ。すると、遠くで見ていた窓際の――“もう20年もここにいるらしいよ”“何してんだろ”とか言われてるような――オッサンが、“どれどれ”って立ち上がって“前にもあったねえ”みたいなことを言いながらポンポ~ンと片を付けて、また窓際に戻って週刊誌を読んでいるみたいな。この瞬間、オッサンは間違いなくヒーローになってるでしょ。でもオッサンの中では自分がヒーローだという意識はない」

『狩人』シリーズでは、佐江は毎回共通するサブキャラクターで、主人公は物語ごとに変わってゆく。『新宿鮫』の合わせ鏡のような作品だ、と言う。

「『新宿鮫』シリーズの1・2作目である程度支持してもらえて“3作目はどんな話にしようか”と思ったときに、“わかりやすい話にしなくても、たぶんついて来てくれるだろう”と思ったんです。作品が売れるまでは、読者に説明をちゃんとしないとついて来てくれないんじゃないかという不安感がある。たとえばきちんと靖国通りから始めないと“いったい何が起ころうとしてるんだ”ってあたふたされたと思うんだけど、『新宿鮫』の3作目のときには、裏路地からぽんと話を始めて状況描写を積み上げていっても“これは新宿鮫だから大丈夫だろう”って思ってついて来てくれるだろうと。そんなシリーズが9作あって、たくさんの方が支持してくださった。すると今度は、そこでは書けないようなこと、方向性は異なるけれど新宿を舞台にして書きたいことがいっぱい出てくる。それを実現したのが『狩人』シリーズです」

『新宿鮫』の第1作を書いたのは、23歳でデビューしてから、11年もあとの話。「読者がついて来てくれるだろう」という手形のようなものを手に入れるまでは、悪戦苦闘の日々だった。

闘ったから続いた。そしてなおも闘う

デビューまでは早かった。だが。

「大きな考え違いをしていました(笑)。小説家というものは、みんな売れてて儲かってると思っていたわけですよ。でも、小説家は“なること”より“あり続けること”の方がはるかに難しい。僕もそこそこ注文はきたから、食べられはするけど、それが続く自信がなかった。いちばん大きかったのは、僕と同時期にデビューした人たちが次々とスターになっていったこと。北方謙三さんや志水辰夫さん、逢坂 剛さんたちと、歳は離れてるけど同期みたいな感覚でグループ作って酒飲んだりしていたんだけども、僕だけいつまで経っても鳴かず飛ばず。誉められもせず、賞ももらえずということが続いていたわけです。『グズグズするな! オマエも来られるぞ』って言ってくれるけど、どうすりゃいいかわからない」

ただ友達だから励ましたのではない。

「僕は28冊売れない本を出して、10年間注文が途切れなかった。仲間たちは声をかけ続けてくれた。理由を考えてみると“闘ってるから”でしょうね。答えが出ないだけで、闘ってるんだというところを認めてくれたと思うんですね。売れてない、賞の候補にもならない。だけど、がんばってんじゃんと。たとえば“俺はいいものしか書かねえんだ”って言って1年も2年も腕組みしてたら、闘ってるとは認められないでしょう。注文があって、それを流してこなしても、闘ってることにはならない。トンネルを掘り続けてるようなものなんです。どこかで硬い岩にぶつかる。いくらノミを振っても割れない。そこで腕組みしていたら終わりなわけで。“じゃあこっちの土はどうなの、あっちはどうなの”って、あっちこっち一生懸命もだえながら悪戦苦闘している。そういう姿を“闘ってる”と呼ぶんだって僕は思うんですよね」

“僕”という一人称で20代の探偵が街を行くシリーズを書き、探偵事務所のひとり息子が父親とタッグを組むシリーズを書き、おしゃれな要人警護会社の社長が活躍するシリーズを書いた。10年間、28冊でいろんな方法を試した。

「料理でいうと、同じ素材でも中華風、イタリアン、和風と試してみて、トレーニングは万全、自分の方法論というのもできていたと思うんです」

そして32歳のとき、すべての仕事をやめ、『氷の森』という作品に没頭する。

「集大成のつもりでした。自分のなかでの積み上げて来たセオリーのベストワン。“これが今自分に書ける最良のものだ”と世に問うた。で、まあ、箸にも棒にもかからないわけですよ(笑)」

大沢在昌、33歳にして「グレた」。ただしものすごくポジティブな方向に。

「今度はめんどくさいことを考えるのはやめようと。自分が書いて楽しいものだけ書けばいいや。読者を唸らせようとか、自分の考えをわかってもらおうとか、そんなことは全部ナシ。開き直ったというかグレたというかね…」

刑事が主人公でロックシンガーの彼女がいて、悪いヤツがそのコンサート会場に来たら面白いじゃないか! そこで対決して…構想はむやみに広がった。

「書き上げたときには“よく書けた、面白かった”と思った。『氷の森』は理屈で書いたけど、これは理屈もなしに書いた。そんなものが売れるわけねえやっていう頭があるわけですよ。ヒットするなんて夢にも思ってなかった」

90年、34歳のときに生み出した『新宿鮫』は日本推理作家協会賞と、第12回吉川英治文学新人賞を受賞し、その後、9編のシリーズへと成長した。

もちろんそれで終わりではない。「読者がついて来る」手形は永遠に有効ではなく、悪戦苦闘の日々は続くのだ。

「『黒の狩人』だって、書いてるときは“これ面白いのかなあ”って思いますよ。でも自分を諦めないというか、自分の世界を信じていて“俺が楽しくて俺が燃えて書いているんだから大丈夫”だと考えるしかない。小説家というのは一作一作が全てで、過去の作品がどれだけレコードを打ち立てようが、評価されようが、過去は過去。今書いているものがこれから本になったときにどういう評判になるのかは未知数だから。“本になった。評判がよかった。ああよかった”…でも今書いているものはわからない。エンドレスにトンネルを掘り続けるんですよ。硬い岩を突き破ろうと掘ったり、そのための方法を必死になって考える。それを続けるのが、前へ進むということだと思うんだよね」

1956年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学法学部中退後、23歳のときに『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞を受賞してデビュー。続く10年間に佐久間公シリーズ、アルバイト探偵シリーズ、いやいやクリスシリーズなど短編を中心に28冊を上梓するも、“永久初版作家”と呼ばれる。89年に『氷の森』を発表。翌年書き上げた『新宿鮫』で第44回日本推理作家協会賞、第12回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、シリーズは9作を数える。4作目の『無間人形 新宿鮫4』で、94年直木賞を受賞。新宿署の刑事・佐江を共通キャラクターとする『狩人』シリーズは96年の『北の狩人』からスタート。02年『砂の狩人』を経て3作目。現在、日本推理作家協会理事長でもある。

■編集後記

小説家としての不安に苛まれつつ、遊びに遊んだ。「ひとつ言えるのは、20代の人間がポケットの中に持っているものなんて、たかが知れているってこと。頭で一所懸命考えただけで書いたものが、何十年も社会の荒波を渡って生きてきた人に“面白い!”って言わせられるはずないんです」。「だから実地体験」というわけではなく「結局遊びたいから」なのだけれど、「後悔することもいっぱいあるし、よかったと思うこともある。結局は生きていること全てが小説の取材だと思うんですよね」。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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