「その仕事やりましょう、それもやりましょう」

上田晋也

2008.12.04 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 阿部…
ゆるゆるもきっちりも。仕事はいまや闇鍋状態

毎回3つのテーマを設定。たとえばTSUTAYAのときには、全店舗のレンタルDVDの総数やら、歴代もっとも借りられた作品やらがわかったし、店頭のPOPを作る人の仕事に密着。デニーズのときには、24時間営業やらコーヒーのおかわりやら分煙システムが“オハツ”だったことを教えてくれた。“オハツ”というのは…アレだ、“はじめて”という意味の番組内用語である。

みんなでゆるーくVTRを眺めているのは「ほとんど内容を知らないまま収録に入りますから。むしろ事前に知ってる方がイヤですね。知ってるのに知らないリアクションをとるのがイヤなんです。当たり前なんですけど」。

そして、遊びに遊んだVTRの構成。取材してきた一般人の発言の一部を効果音付きでコミック調に誇張したり、レポーターのゆうたろうの顔にモザイクをかけ、「声の出演/ゆうたろう」というクレジットを入れたり。

くりぃむしちゅーが企画から関わり、独自の世界観を生み出した『くりぃむナントカ』の空気感を継承している。

「同じスタッフですから、情報番組とはいえ、情報だけをきっちりと伝えるようなものは、作ろうと思ってもたぶんできないんですよ。なんだったら“今回は真面目に作りました”つっても、絶対どこか破たんしてるみたいなメンバーなんで(笑)。ふざけてたほうが楽しいじゃん、みたいな。とくに『格闘技のオハツ』とか『ダンクシュートのオハツ』(そういう“なんかすごいこと”を40歳以上のおっさんにやらせて検証するのだ)とか…情報番組として考えたら、あんなのまったくいらない(笑)。明日、誰かに話せたり知識になるわけでもないですし」

過去の番組に振り回されることなく、新番組として、より面白い方向を目指す。それぞれの番組のスタイルに則ってやるだけ…にしても上田晋也、極端である。普通のバラエティやトーク番組のMCなどは驚くに足りないが、いまBSでは竹中平蔵とがっつり経済論をやりとりする番組を仕切る。かと思えば気の置けない後輩芸人たちとのノリ一発でその日の内容が決まる『上田ちゃんネル』という、ゆるゆる番組も。

「竹中さんとサブプライムローンや日本の道州制とかの話をして“おつかれさまでした~”って行く次の現場が『上田ちゃんネル』(笑)。さっきまで国家のあり方の話をしていたのに、いきなりエアセックスとかフリチンでどうしたみたいな話題ですからね。もう俺のバランスが壊れるわ(笑)。お話をいただいて“その仕事やりましょう、それもやりましょう”ってやってたら、闇鍋状態になっちゃいました」

そもそも計算の上で、いろんなジャンルを取り入れているのではないのだ。気づいたら闇鍋なのだ、が、これこそがブレイクスルーの秘密。

18年前、デビューのころは将来への青写真をきっちり描いていたという。

自分だけで自分の道を決められるわけではない

有田哲平とは熊本の高校のラグビー部で知り合い、プロレスとお笑いの話で意気投合したという。共に一浪後、大学進学で上京。上田が、芸人になるべくある事務所への履歴書を書いたまさにその夜、合コンでこてんぱんにされた有田からの電話を受けた。それをきっかけに、コント山口君と竹田君の付き人となり、“海砂利水魚”を結成するのが21歳のとき。

「最初は、裏付けのない自信と夢しかないんですよ。それで周りの全部を否定する。“つまんねえな、あいつら。クスリともこねえな”って。最初は仕事もそんなにないし、目標がないとやってられないんですよ。だから青写真を描いてた。目指したところに行くために、いまはこれをする。そして何をするって。でもうまくいかないんですね。おまけに最初の自信は減って夢も小さくなって、その分不安が広がってくる。つまんねえって言ってた人たちのいいところがどんどん見えてくるんです」

25歳のときには『ボキャブラ天国』に出演。“邪悪なお兄さん”というキャッチフレーズでシュールな悪役キャラを演じていた。ポツリと面白いことを言い、ちょっとしたウケをとって、あとはニヒルに笑っている。だが、有田は以前、このインタビューで言った。「ホントはポンポン言いたいけど、浮かばないので、黙ってたらそんなふうになった」と。

「技術も自信もないから、他の芸人と絡むのがこわいんですよ。“面白いこと言えなかったらつまんねえヤツって思われるぞ”っていう、変なプライドがあって。そこで“つまんないと思われてもいいじゃん”って思えるところから、新しいものが見つかるのに」

ピリピリしていて、他の芸人を笑うことはなかなかなかった。ボキャブラ終了後、TV出演の頻度が少し減った。

「それで、たまーにゲストで呼ばれると楽しくてねー。面白いことを言ってやる、って力むんじゃなくて“このパーティを楽しもうぜ”っていうのが一番なのかなあって思い始めて」

先にブレイクスルーが訪れたのは相方・有田。単独で喜劇の舞台に出演したときのこと。稽古では内輪ウケを狙って適当に遊び、本番でマジメに演じる有田に、演出の萩本欽一が「そのおふざけを本番でも」と命じたのだ。

「僕もその公演観たんです。有田は単に無責任なトーンでしゃべってるだけ。面白いフレーズをいうわけでも、前フリをしてギャップを見せてドンと落とすみたいな方程式どおりの笑いの取り方をするわけでもなくて。僕とやってきた有田と違うから、僕にとっては何も面白くないんです。でも、お客さんはウケてるわけです。すごく新鮮でした、 “こういうのもアリなんだ”って。思いつかなきゃ、楽しそうに適当にしゃべってるだけで笑ってくれるのか!」 相方が変わっていくさまをつぶさに見たから、少し考えることができた。

「“こういうのが俺の得意な分野だ”って、自信を持ってるところって誰しもあると思うんです。でも、実はあまり伝わってない気がするんですよ。大事なのは、先輩やスタッフが横から見ていて“オマエ、こういうのやってみ”って言うようなこと。言われた方はやったことないし、自信もないから、あんまりやりたくないんですけど、一応がんばってやってみます。そうすると意外に評価を得るんです。何が向いているのか、本人よりも周りの見る目の方が長けてるんでしょうね。で、そっちで評価が高まると、そもそも自分が得意だと思っていたところも注目してもらえるようになる。得意分野という殻に閉じこもらずに、人に請われてやってみることで、開けていくんだなあと」

同じことが上田に訪れたのは“うんちく王”のとき。6年ほど前の話だ。深夜番組『虎の門』のいとうせいこう企画として行われた、芸能界の“モノシリ”たちが、己の知識をぶつけ合う壮絶な闘い。第1回に上田は呼ばれた。

「そもそも僕にうんちくなんてないんです。そのときはなんとかごまかせたんですよ。で、終わってからマネージャーに言いました。“断れ!”って。しんどいし、無理だから。そしたら次もまた入ってる(笑)。“断れって言ったじゃねえか!”っていっても、また入ってて。あとから聞いたら、せいこうさんが“上田くんを入れておけば、何かが起こるから”って僕を呼んでくれてたそうなんです。“他の人たちよりは劣るけど、呼び続けると近づこうと勉強してくるから”って。その話は、あとになって知るんですけどね。これで制作者側が僕の使い方をひとつ見つけてくれたんですよね。クイズの回答者で呼ばれて“有田さん、ボケをお願いします。上田さんはうんちくを”」

有田の変貌を見て、自身も体験して、「いまは、もう青写真は描けない」と言う。もちろん、思った通りにならないということもあるけれど、思わぬ方に行ってしまうことがあると知ったから。

「青写真があるとすれば、ずっとTVに出続けたいってことですかね。僕、年齢は十分おっさんですけど、若手だと思ってるんです。つくる人に“こういうのやってみない?”って言われて、苦手でも、僕に可能性を感じてくれている人がいるならやってみようと。で、“すみませーん、ダメでした”っていうときも“しょうがねえや”って許してくれるでしょうし。あと、観てくれる人のハードルも低いし(笑)」

同じように請われて(というか本人が酔って口走ったせいらしいが)、例の『上田ちゃんネル』の“24時間以上、CMなし生放送”というスペシャルも実現。すでに放送されたはずだ、というのも取材日は、実は放送の9日前…。

「行かないとか、途中抜けて家へ帰るっていう選択肢もアリだなと思ってるんですけど、さあ、俺はどうしたんだろう。ちゃんとやったのかな(笑)」

1970年熊本県生まれ。高校時代に有田哲平と出会い、21歳のとき、コント山口君と竹田君の付き人に。そして海砂利水魚を結成。数々のライブや『ボキャブラ天国』などでの活躍の後、00年、『新・ウンナンの気分は上々。』においてコンビ名をくりぃむしちゅーに改名させられる。03年『虎の門』の『うんちく王決定戦』で優勝、うんちく王としてのキャラを確立する。単独では『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』(BS朝日)や『上田ちゃんネル』(テレ朝チャンネル)、『誰も知らない泣ける歌』『おしゃれイズム』(ともに日本テレビ)などに出演。コンビとしても『シルシルミシル』(テレビ朝日)ほか『しゃべくり007』『世界一受けたい授業』(ともに日本テレビ)『ペケポン』(フジテレビ)などに出演中。なお、『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)の1月3日新春スペシャルが決定。詳細は今もって不明。

■編集後記

「コンビって面白いもので、同じ歩幅で歩いてはいけないんですね。どっちかがまず評価されてグイグイと先に進んでいく。で、もうひとりは追いかけつつも、引っ張られてちょっとずつ上がっていく。置いてかれてる方も悪い気はしないんですよ。“いまはオマエが行ってくれ、いいぞ”って思いながら、焦るというよりは“よーし俺もがんばんなきゃ”って気になるんです。自分たちもそうだし、周りのコンビをみててもその感じはわかってくる。始めて4~5年目のころでしたね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
阿部剛志=スタイリング
styling TAKESHI ABE

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト