「歌でいうと“サビ”ですよね」

小堺一機

2008.12.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
あらゆることではなく、全部ひとつのこと

リチャード・ドレイファスは身長160cm台半ばのユダヤ人で、アメリカの俳優のなかでもビジュアルで売るタイプではない。彼が『未知との遭遇』と同じ77年に主演した映画『グッバイ・ガール』がミュージカルになり、日本版が制作されたのは96年。

初演のキャストを観た小堺一機はマネージャーにこぼしたという。「主役の俳優さんがハンサムすぎるよね。もっとドレイファスみたく風采の上がらないヤツがやらないと」。

翌年、再演の舞台には小堺がいた。別に営業活動を展開したわけではない。このとき41歳で、初めてのミュージカルだった。これ以降、『きみはいい人、チャーリー・ブラウン』、『イントゥ・ザ・ウッズ』、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』、『THE TAP GUY』(これのみ日本オリジナルの作品)に出演。

「みんな観て“やりたい”って思っていた作品ばっかりでした」

毎年6月ごろに、ブロードウェーに赴くらしい。ミュージカルや舞台を観るための旅。もう20年以上になるという。冒頭の一言は、去年の夏『ドロウジー・シャペロン』を観たときの感想。

「ミュージカルだからって意識することはないんです。実はいろんなことをやってるつもりもなくて、TVもミュージカルもラジオも全部おんなじ(笑)。今はわりと、みんな自分でジャンルを決めちゃうでしょ。お笑いだ、俳優だ、歌手だって。僕の若いころは全部ひっくるめて1個の箱に入ってた気がします。関東と関西の差別化もなくて。藤山寛美さんを観て笑ったし、大村 昆ちゃんも大好きでした。映画も学校の帰りに“行けばやってるヤツ”を観てただけだったけど、面白かった。いまは整理しすぎじゃないかな。整理のつもりで、知らないうちに壁を作って仕切ってしまっているんでしょうね」

TVの向こう側の世界は、憧れであると同時に、ぐちゃぐちゃに一体化して、いつも結構身近にあった。

小学校低学年を浅草の中心で過ごし、映画館のもぎりのおねえさんと仲良くなった。ロケに来たザ・ピーナッツを観た。目白に転校したときはつまらなかったけれど、南極越冬隊に参加する父上に取材されたのが誇らしかった。小5のときウイーン少年合唱団の映画『青きドナウ』に感動し、東京放送児童合唱団に入り、中1のときには、合唱団で1年ほどNHKに出演していた。

「昔のNHKホールだったんですが、現場はおっかなかったですよ。榎本健一先生がいらっしゃってました。スタッフは誰か必ず怒鳴ってるし、“うたのおねえさんでーす”って言ってる人がメイク室でおっかない顔をしてるし。キレイなセットの裏はベニヤだったし(笑)。おっかないなあって思ってたらうまい具合にクビになっちゃった。で、その後、合唱団で一緒にやってた山尾百合子さんが僕に黙って『ぎんざNOW!』にハガキ書いちゃうんです」

77年、大学3年生のとき。『素人コメディアン道場』のコーナーに出場、第17代チャンピオンに輝く。ちなみにこのコーナーの初代チャンピオンが後の盟友・関根 勤である。

「普通に大学を卒業して、入れる会社に入って“宴会部長”にでもなろうと思ってました。当時僕らは“シラケ世代”と呼ばれていたんです。高い目標を目指す意志もビジョンもなかったですね。ただTVに出ちゃったことで、かろうじて指1本だけ芸能界に引っかかったような状況になっていて。芸能界って、望んだからっていられる世界じゃないですよね。それで『ぎんざNOW!』のあと、『3年やらせてください』って親に言ったんですよ」

急にリアリティを持った聞き続けてきた言葉

「R25の世代って、歌でいうと“サビ”ですよね」と、小堺一機は言う。

「学生のときよりはお金はある。仕事もまあまあ自分の責任でできる。周りの女の人はキレイな盛りだし、文化もその年代に合わせて作られてる。一番盛り上がる時期でしょ…」

21歳から芸能活動を始め、萩本欽一に出会い、大学卒業後は勝アカデミーで勝 新太郎に師事した。いろんなことを言われ続けてきたという。

「勝さんは『卑しい芝居をするな』って言うんですよ。大将は『コメディアンになりたいならギャグをやっちゃダメ』って言いました。自分だって『なんでそーなるの!』とかやってたじゃんって思ったけど(笑)。堺(正章)さんも『いかがなもんでしょうか、っていう気持ちがないとね』って」

それは最初、単に言葉でしかない。言われた後輩は「わかりました」と応じて、とりあえずその場が終わる。

関根 勤とふたりで毎月ライブを行い、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でクロ子とグレ子として人気を得た。小堺一機は28歳のとき、お昼の帯番組“いただきます”を担当することになる。放送中の“ごきげんよう”の前身で、各界の“おばさま”を招くトークバラエティ。売りのひとつは、彼女らの無軌道な暴走ぶりだった。

「考えて一所懸命面白いこと言おうとしてたんです。そしたら萩本さんと堺さんから同時期に“あんなに面白いおばさんが出てるのになんで一人でしゃべってんだ”って、関根さん経由で言われて。次の日からおばさんの言うことを聞き始めて。僕は変なことばっかり言ってるおばさんに困ってたんですけど、“困っちゃってますよ~”を素直にお客さんに伝えると、ウケるようになりました。大将の『ギャグを言うな』っていう言葉の意味はこれだったのか! ってそのときわかったし、これをきっかけにそれまでの先輩のいろんな言葉の意味が急に通じたんです」

ともあれ、イイ先輩に出会うこと。

「先輩も先生もコワイ方がいいですよ。“こんちくしょう、この人の知らないことをやらかしてやるぞ!”って思えるから。たとえば高平(哲郎・“ごきげんよう”スーパーバイザー。サイコロトークの生みの親)先生が現場に本とか映画とかを教えてくれるんです。『これ知ってる?』って。『知りません』って答えると『こんなのも知らないの?』。言われた本を読んで気になったところを、別の本を読んで調べるわけですよ。1週間たって高平先生に『読んだか?』って聞かれると『でも、こういう本もありますよね』って答えられる。『じゃあこれは知ってるか?』ってどんどん投げてくださるんですよね。で、知らなくて悔しいからクリアする。繰り返すうちに基礎体力がつくんですよ」

そして誰に強制されることなく、自ら行動を起こすようになる。いまや恒例のブロードウェーツアーだって、きっとそんなふうに始まったに違いない。

繰り返す。R25時代は“サビ”だ。

「一番楽しい時期だけど、一番勉強しなきゃいけないんですよね。そりゃ気が散ります。でもサビを通ってみると、わかる。実感を持って先輩の言ってたことが理解できちゃうんですね。ホント、人生って面白くできてますよね」

1956年1月3日千葉県生まれ、東京育ち。大学3年生のとき『ぎんざNOW!』の『素人コメディアン道場』で優勝したのをきっかけに芸能界入り。大学卒業後、勝アカデミーを経て浅井企画へ。『ぎんざNOW!』や下北沢『スーパーマーケット』での関根 勤とのマンスリーライブなどの下積みを経て『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の「クロ子とグレ子」で人気を得る。現在、『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ)などで活躍中。自身が演出する舞台『小堺クンのおすましでSHOW』は08年8月の公演で23回目を迎えた。最長番組であるラジオ『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)では、TVでのジェントルな佇まいからは想像し得ない“中2”ぶりを、関根 勤と共に発揮。ミュージカル『ドロウジー・シャペロン』は09年1月5日(月)~29日(木)日生劇場にて。問:ホリプロチケットセンター TEL:03-3490-4949 ホリプロオンラインチケット

■編集後記

「『欽どこ』のとき萩本さんのところで『違う違う違う違う』って言われ続けて、いつ終わるかわからないリハーサルを経験し、次の日に“昨日やったのなし”って言われて。ディスコで『ハギモト、死ね~っ』て(笑)…大音響にまぎれるように叫んでました。30年やってますけど、いまだにあんな仕事はないですね。でも気づいたんです、要は自分が覚えればいいだけの話だって。世のなかにはそういう仕事もあって、それは意外と楽だったりするんですよね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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