「ボクの人生は河童の川流れ」

ウド鈴木

2009.01.22 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
追い込まれて繰り出す新フレーズ。哲学的思考

言われたままではなく、ぶしつけな質問をいかにオブラートにくるみ、どのタイミングで切り出すか。

「性欲の処理」について尋ねるよう命じられたウドちゃんは、あわてふためく。いまどき「性欲」程度の単語は女子中学生でもサラッと使うだろうに、ウド的モラルは非常に厳格なのである。で、困惑しながらも半ば反射的に導き出したのが「沸き上がるマグマ」というオリジナルな性欲フレーズ。

この過程が面白いのだ。

「でも、ゲストの方が耳を傾けてくださるからこそです。命令を自分なりに咀嚼してボクが出した質問を、どこまで答えてくれるかは、ゲストの方次第です。カンペもないし自分で判断するしかない状況ですからね。何かあったら刺し違えるような、緊張感のあるトークになっていると思います」

『すずき』という番組(これもテレビ神奈川→DVDである)で扮した『検索人間ウドジン』にも、そんな生真面目さは表れている。コンピュータ人間として子どもたちと電話で話をし、質問に答えるのである。やりとりを繰り返して、導き出した答えは、こんな感じ。

・ 乳首は愛おしく思わないと退化する。

・ 夢はすれ違いざまの片思い。

・ メンチカツに出会うとぞくぞくする。

なんだかわからないでしょ? ちなみに一番上のは「なぜ乳首はあるのですか」という問いに対する答えだ。

「正直、子どももボクの答えが正しいかどうかわからなくなっちゃうでしょうね。結局誰がその答えを正しいと言い切るのか。そんなものはまったくありません。成長の過程で、周囲が『これは正しい』『これは違う』ということを聞いて、常識と呼ばれるものが本人のなかで形作られるんだなって実感しました。美術と同じですよね。『この絵がいい』と言われればいいように思えるし、『ダメだ』と言われたらダメに見えてくるような、周囲の人の影響力や本人のセンスによって変わってしまう。正しい答えは結局出ないんだなと」

珍妙な(ピンクの)コンピュータ人間の着ぐるみに身を包み、ウド鈴木はこんな哲学的思考を巡らせていたのだ。

では普段から、自身の仕事の意味をこんなふうに定義するタイプなのか…。

「ボクね、自分自身の人生が河童の川流れみたいなものなんです。人のおかげで今がある。自分で決めたのは、山形から東京に出て芸人になろうということと、浅井企画に行こうということだけ。ウド鈴木という名前も、サインも先輩が決めてくれたし。僕自身は何ひとつ決断したり行動してきていないと思うんですよ…」

人見知りで内気で、スキンヘッドでジージャン

本名、鈴木任紀。山形県生まれの39歳である。農家の長男で「いずれは継ぐ」というムードに反発もあり、「とにかく東京に出たい」「お笑いは楽しそう」という気持ちが漠然とあったという。

だが“実力”は伴っていなかった。

人見知りで内気で、日常の遊びのなかで自己アピールができなかった。絵や書道を一所懸命やって、評価されることでなんとか目立とうとがんばった。マンガ家の夢を抱いて、小学校4年のお楽しみ会で紙芝居を発表。ダダすべりした。次の演者であった友達は、女装して、八代亜紀の『雨の慕情』を歌い、 「雨雨ふれふれ、もっとふれ」というサビにあわせて飴を投げ、大ウケ。

「紙芝居とのギャップに打ちひしがれました。自分が出なきゃダメなんだと」

そして出演。文化祭のお芝居で、長ゼリフのお坊さんを演じた。イヤでイヤでしょうがなかったが、やり遂げた。

「ピターッと水を打ったような静けさのなか、体育館のステージで15分ぐらい。先生も家族もすごく誉めてくれて。初めて人前に出た実感がありました」

ターニングポイントは中学入学の朝。鈴木任紀自らが呼び寄せたのだ。

「剃り込みを入れたんですよ、僕はおとなしい男の子だったんですけどね。小1から小6までは一緒に遊ぶのに、中学生になったとたんに遊ばなくなる。大きなタイヤの自転車に乗り、変速ギアの楽しさを知り、学ランを来て半ズボンをはかなくなって…中学生って大人になることだから、ここで変われるんだ、変わりたいんだ、って」

その日のうちに学校のトップ3にトイレに呼び出され、因縁をつけられた。

オマエは、どこの誰だ。

「『じ、自分は、しゅじゅきひできと、申しまして!』って答えたら、緊張のあまり手がビーン! 先輩に『オマエはペンギンか!』と笑われたんですよ。『自分はペンギンではありましぇん!(ビーン)』『それがペンギンなんだよ!』って、場が和んだんです」

それをきっかけに学校の有力者たちの舎弟のようになり、ダンゴっ鼻から“ダンゴ”と名付けられる。一方でモテたい欲が発生。とった作戦は「女の子の視界でバカ騒ぎして目立つ」。このとき、ウドちゃんはある種のキャラクターと、仮想的な観客を獲得したのだ。

「そこから変わったんですよね。とにかく目立つしかないと。学園祭で仲間とコントをやったりプロレスをやったり。うちの学校は出し物が自由でしたから。それから1週間は女の子がものすごく注目してくれて(笑)」

校内では見知らぬ後輩から「ダンゴ先輩こんにちは」なんて、ちょっとしたスターになっていたのだ。

そして高校卒業後に、就職で上京。社会人2年目の7月に辞表を書き、9月30日付けで退職。自宅の近くで発見した事務所から始めることに決めた。

「浅井企画です。ボクは10月1日にジージャンを買いました。当時はアウトローな格好だったんですが“芸能界に入るならやっぱりデニム地じゃないと!”って。そして“第二の人生の始まりだから!”って、次の日にスキンヘッドに。それで事務所のドアを叩きました。『はじめまして。私、山形県立庄内農業高校昭和63年度卒業、鈴木任紀です。コメディアンになりたいです! よろしくお願いします!』って一礼して頭を上げたら、ちょうどデスクにいた人がテイクアウトの牛丼を食べてたんですよ。それで箸を止めて“電話してから来てください!”って言って、また牛丼を食べ出したんですよね(笑)。会社を辞めてスキンヘッドにして、ジージャン買って、挨拶しているのに、牛丼…話も聞いてくれないのか。厳しい世界だなと!(笑)」

その2日後、鈴木任紀の芸能界入りは決まった。たまたま事務所にいた先輩の夢麻呂が、主宰の劇団に置いてくれることになった。さらにツッコミを自認していたウドちゃんの目を開いた。

「『オマエは物事をわかっているようでわかっていないようなぬぼっとしたやつなんだ』と。よくよく考えてみると、いつも笑いが起きるのはボクが何かをするからじゃなくて、先輩がイジってくれるからだったんです。で、ある日その先輩に言われました。『オマエにはお笑いの才能がない』。すごくショックで落ち込んでたら、別の尊敬する先輩がボクにこんなことを言うんです。『オマエには才能がない』って(笑)。でも2人とも言ってくれました。『ただ、オマエは一所懸命汗をかいてがんばっている姿がいい』『一所懸命やる真摯な気持ちは大事にしろ』って」

作家の山中伊知郎のすすめで天野ひろゆきと“キャイ~ン”を結成するのは、翌年。ウドちゃんによると、その少し前、天野くんはウドちゃんピンのネタにえらくウケていたのだという。

「それでもコンビを組むことを三日三晩寝ないで考えたんです。前に組んでいたコンビを解散したときにすごい寂しくて、あの寂しさを味わいたくなかったから。どうしよう。ひとりか、いや、コンビだ! と思って家で正座して天野くんに電話したんですよ。『ウド鈴木です。私と、もしよろしかったら、コンビを組んでいただけませんでしょうか!』って言ったら『はいはい、わかりました、はーいはいはーい』って…急いで電話を切るような感じで。待ち合わせをして駅で会ったら、『いや~、いやいやいや』って喉をスリスリさわっているんですね。『どうしたの? 風邪?』って聞くと、違うと。『どうしたの天野くん?』『喉が渇いたんだよ』なんて言って、僕に飲みものを買ってこいと。買いましたけど(笑)、あんなに僕のネタを誉めてたのはなんだったのかと。後々聞いたら、それはネタの内容じゃなくて一所懸命やっている様子が滑稽だったと(笑)」

だがまさしく先輩の言った「一所懸命な姿」が天野くんにヒットしたのだ。

「ね…才能がなくったって続けることはできるんですよね。僕には僕のやり方がある、自分自身ではどうにもできないことが、夢麻呂さんだったり、天野くんだったり、周りの方のおかげで成し得ることができるんですよ!」

1970年、山形県生まれ。高校卒業後、サラリーマンを経て浅井企画に所属。21歳のとき、天野ひろゆきとキャイ~ンを結成。そして天野くんを溺愛。『天声慎吾』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)などで開花。その破壊的なボケを丁寧にしていぶし銀のツッコミが拾ってゆく。『リンカーン』(TBSテレビ系)、『もしもツアーズ』(フジテレビ系)など多くのバラエティーを中心に活動するが、実は非常に渋いコンビでもある。『ウドで訊く!』DVDは落合福嗣、プリンセス天功、大木凡人、天野ひろゆきらとのトークを収録。浅井企画のタレントが総出演のバラエティー『すずき』DVDは絶賛発売中。

■編集後記

「お笑いができて、博打ができて、料理がすごくて、倹約家で貯金してて、遊ぶときは遊んで、歌はうまくて。天野くん、マルチな才能があって。ずーっと遊んでてずっと一緒だったんですけど、あるときに新宿西口のタクシー乗り場のロータリーで漫才の練習をしてるとき、『ウドちゃん…あんまり会わないようにしよう』って言われて。『どういうことだい!』って胸ぐらをつかんだら、『それぞれの世界を持って、お互いに刺激を与え合おう』って。コンビ組んで2~3年目でしたけど、てっきりふられたと思ったんです」

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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