秋葉原文化考

第3回 秋葉原はなぜオタクの街になったの?

2009.01.29 THU

秋葉原文化考

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自分もラジオの製作などで
電子部品を買うために
アキバに通いだしてから、
マイコン、パソコン、情報家電などで
アキバに通い続けてきた。

しかしさすがに最近はやりの
趣味(アニメ、ゲーム、フィギュア)にはついていけず
アキバは遠くなりつつある。

単なる新しいホビーの街になるにつれ
世代交代も進んで、
ある一定の年齢層しか受け入れられない
街になりつつあるのかもしれない。
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投稿者:「ひろ」さん(東京都/45歳/男性)

と、昔から秋葉原を訪れていた方は、
オタクの街秋葉原に面食らっているご様子。

たしかに、駅前や中央通りの大きなアニメポスターや、
フィギュアショップなんかを見ると、
知らない人は入りづらい雰囲気がありますもんね。
昔から秋葉原にいたセンパイ方にとっては、
違和感を覚えずにはいられないのかもしれません。

でも、一体どうして秋葉原=オタクの街に なっちゃったんでしょ?
今回は、秋葉原の歴史を調べてみます!
賑わいを見せる秋葉原駅前。駅前にあるビル「ラジオ会館」には、1990年代末から2000年代初頭にかけて、家電・オーディオ店が閉店し、オタク系ショップが進出してきた

“秋葉原=オタクの街”と イメージが定着したのはなぜ?



オタクの聖地・秋葉原。メインストリートである中央通りを歩けば、その筋のお店がずらりと立ち並んでいます。でも、昔の秋葉原を知っている方々からは「秋葉原は昔はこんな街じゃなかった」という声もちらほら。いつから秋葉原はオタクの聖地になったのでしょう? 『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』の著者・森川嘉一郎さんにお聞きしました。

「秋葉原は1980年代までは家電の街でした。ピーク時には、あの1平方kmに満たない領域で、日本全国の家電需要の1割を担っていたほどです。電気街というとラジオ少年が集まるマニアの街というイメージもありますが、当時は家庭用電気製品を買いに訪れる、家族連れの街でした。しかしその後、バブルの崩壊や、郊外型大型家電店の台頭とともに、そうした家族連れがぐっと減り、秋葉原の電器店に危機が訪れるのです」

そこで1990年ごろ、秋葉原の電器店は、他店では扱いの少なかったPCに注力していったそう。当時のPCは、windowsもない、マウスもない、とにかくハードルの高い製品でした。しかし、これで秋葉原の電器店は独自性を手に入れ息を吹き返し、秋葉原はPCの街に生まれ変わります。

「当時からPCを愛好していたパソコンマニアの人たちには、マンガ・アニメ・ゲーム・フィギュアといった、オタク系の趣味を併せ持つ傾向がありました。だから、90年代前半には、まだ秋葉原にそのようなオタク系専門店がほとんどなかったにもかかわらず、需要だけがふくれあがるということが起こったのです」(同)

秋葉原=オタクの街となる大きな転機が訪れのが1997年ごろだといいます。

「そのころ、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が、映画化とともに大ブームになりました。当時はフィギュアや漫画同人誌を扱うようなお店は渋谷や池袋など、若者が集まる繁華街に点在していたのですが、このエヴァブームに活力を得て、そうした専門店のいくつかが秋葉原に出店してみたのです。すると、秋葉原では彼らの商品がこれまでにない勢いで売れることがわかった。その様子を見て、固唾を呑んで見守っていた他のオタク系の店も、雪崩を打ったように秋葉原へ進出し始めたのです」(同)

こうしてオタク系ショップが秋葉原に集結。オタクの街・秋葉原の誕生です。さらに大きな転機は2005年の『電車男』ブーム。この、オタク青年と美女の恋模様を描いたドラマで秋葉原=オタクの街というイメージが決定づけられました。

バブルの崩壊などで家電の街からPCの街へ。さらに、エヴァブームに乗って秋葉原にやってきたオタク系ショップが特需を発見しオタクの街を形成。メディアがそのイメージを決定づけたという流れなんですね。秋葉原という街は、昔から変化の激しい街だったんんですねぇ。
秋葉原電気街のど真ん中にある料亭「赤津加」。隣にはメディアショップなどがある。順番的には「電気街のど真ん中にある」のではなく、「料亭の周りが電気街化した」んです

秋葉原の生き証人!? 料亭「赤津加」で昔話を聞いてきた



電気街・秋葉原。しかし、秋葉原が電気街になる前から、現在でも営業している老舗がいくつかあります。一体、電気街になる前の秋葉原って、どんな街だったんでしょうう? 実際に行って、話を聞いてきました。

メディアショップとネオンに囲まれた、電気街の真っただ中にそのお店はあります。歴史を感じさせる大きな日本酒の看板、瓦屋根、しっくいの壁。玄関には藍染めののれんが掛けられ、サイバーパンクな電気街の街並みにはそぐわない、純日本風の外観を見せています。この、とても秋葉原のど真ん中とは思えないような、静かな雰囲気をかもし出しているのが、昭和26年から営業をしているという料亭の「赤津加」です。

中は純和風の居酒屋で、秋葉原っぽさを感じられるのは、50インチほどの大型テレビくらい。その隣には、同じくらい大きな熊手が飾られています。メニューも湯豆腐やもつ煮、まぐろ山かけなど、味のある居酒屋メニュー。本当にここは秋葉原なのかと、どこか違う街に迷い込んでしまったような気分になります。そんな赤津加を50年以上にわたって切り盛りしてきた女将さんに、かつての秋葉原についてお話を伺いました。

「昔、このあたりには大きな青果市場があって、駅の近くやあたりは住宅街だったんです。市場の仲買さんたちがよくきてくれて、このお店もずいぶん賑やかでした。昔は芸者もいたんですよ」(赤津加2代目女将・赤塚順子さん)

85歳になる赤塚さん、いまも元気にお店に立ち続けています。昔の思い出などはありますか?

「お店に飾ってある、この表札みたいなものは、仲買さんの屋号なんです。昔は本当に静かで、穏やかな街で、お風呂屋さんがあったりいい街でしたよ。今は昔の面影は、全くないですね。寂しいですね」

秋葉原の変貌ぶりを間近で見てきた方だけに、感傷もひとしおのご様子です。
秋葉原UDXの目の前に建つ「千代田海藻」の店構え。昆布などの小売販売もしていますよ。オススメの商品を聞くと「韓国産のものを混ぜてない、純国産ヒジキは、ちょっと高いけどおいしいよ」とのこと
さらに、戦前からずっと営業を続けているという、海藻問屋「千代田海藻」さんにもお話を伺いました。木造平屋建てのこのお店、UDXの超近代的な建物の目の前にあり、そのコントラストというか、見た目の差には、驚かされます。

「秋葉原はすごく変わるのが激しい街だと思う。けれど、中央通り側の街は自然に変わった。UDX側の街は、意図的に変えた。これから秋葉原がどうなるかは、誰にもわからないでしょうね」(「千代田海藻」店主・五十嵐一雄さん)

青果市場があり、住宅街があり、銭湯の煙突が延びる、かつての秋葉原。いまの秋葉原からは、想像もできませんね。それでも、その場所に、様々な歴史が内包されているのだと思うと、ロマンを感じずにはいられません。

皆さまも秋葉原を訪れる際には、かつての秋葉原の名残を探して歩くのも楽しいかもしれませんよ! 秋葉原=オタクの聖地となるまでの道のりには、
バブル崩壊や大型家電店の台頭にともなう
家電の街からPCの街への変化、
そこに集まるマニア層の客に目をつけたオタクショップの進出、
さらにメディアによるオタクの街という
街の変化にともなう理由がありました。

このように変化の激しい街で、
長く営業を続けている老舗の方には、
言いようのない寂しさというか、
やはり昔を懐かしく思う気持ちがあるようです。

秋葉原はこれからどんな街になっていくのか?
未来の秋葉原の姿を想像するだけで、
なんだか楽しくなってしまいますね!

これからもこの街から目を離さず、
どんどん調査していきますよ!

アキバカルチャーや秋葉原の街に、
気になる場所、不思議なこと、オススメの情報、
秋葉原のここが好き! あれって一体どうなってるの? 
などなどありましたら、
どんどんお便りくださいね!

ワタクシ堅田が取材・調査して、
皆様のフシギ・ギモンを解決いたしますよ!

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