「浅はかだから…」

品川ヒロシ

2009.03.12 THU

ロングインタビュー


小林ミノル=文 text MINORU KOBAYASHI 森山雅智(vacans.inc)=写真 photography MASATO…
やりたいことをやるのにつねに躊躇はなかった

10代後半の品川は、その後もローリングストーンな生活を送り続ける。高校中退後は、これまた憧れていた水商売の世界に飛び込むべく新宿へ。しばらくすると、「広島なら400万~500万円で自分の店を持てるらしい」という話に乗り、軽い気持ちで東京をあとに。

「もちろん店を経営できるなんてこともなく、1年で東京に戻ってきました。それが19歳の頃ですね。21歳のときには、スキューバダイビングのインストラクターになりたくて、ライセンスを取ったりもしました。そんときそんときで、やりたいことが180度違うんですよ」

とにかく思い立ったら即行動、品川は、典型的な“見る前に飛べ”の人なのだ。このフットワークの軽さとためらいのなさが、お笑いのみならず、小説、映画、俳優など他ジャンルへも積極的に取り組む“マルチ芸人”としての原動力なのではないだろうか。

「今も昔も変わらないのは、決断にあたってあまり迷いがないってことですね。興味があることなら、すぐに『やってみます』って言っちゃうところ」

しかし、ここまでのストーリーに、“笑いに対する興味”はまだ、出てきていないのだが…。

「実は東京に戻ってきてから1年間ぐらい引きこもってたんですよ。そのころ、家でダウンタウンさんの番組は、欠かさず録画して見てましたね。でも、単純にどうしたらお笑い芸人になれるのかわからなかったんです。当時東京には、吉本興業の事務所も養成学校もなかったから、自分の中で現実的じゃなかったんでしょうね」

そして、23歳のときに転機が訪れる。つきあっていた彼女(現在の奥さん)が、吉本興業の養成学校であるNSCの東京校開校を伝える雑誌広告を見せてくれたのだ。それを読んだ品川は、早速応募して面接に合格し、第一期生となる。ただし、養成学校は、品川が思い描いていたものとはずいぶん、かけ離れていたものだったらしい。

「TVでは才能ある人たちの完成した芸を見てるわけじゃないですか。NSCもそういう人ばかりだと思ったら、全然そんなことなくて、すごくつまらなかった。そりゃそうですよね。デビューもしてない人間の集まりなんですから。でも、同時に、これなら絶対一番になれると思ってましたね」

そして、ここで相方の庄司智春とも出会い、学校卒業とともに“品川庄司”として芸人デビューを飾る。しかし、思い描くキャリアはなかなか実現しなかった。卒業してまもなく、吉本の若手向けの深夜番組も、NSC時代から出演していた銀座7丁目劇場も終わり、活躍する場所がどんどんなくなっていったことも逆風となった。

「そのあたりから自分たちでなんとかしなきゃいけないと気づいたんです。よりシビアに考えなきゃいけないと。とくに、劇場の閉館直前に、身近にいたガレッジセールさんが深夜のレギュラー番組を決めたって聞いたときは、“先に行かれた!”って焦りましたね」

それから2人は、猛烈な営業をかける。一度だけ出たことがある劇場に電話して毎週出演させてもらったり、先輩芸人の番組の前説を毎回ノーギャラで担当したり、単独ライブの規模拡大を図ったり。やがて、こうした努力は報われ、01年になると、ラジオの冠番組が始まり、TVのレギュラー番組も次々と舞い込んでくる。“品庄”の知名度は、ぐんぐん上昇していった。

「でも、何かでズバッて僕らは売れたわけではないですから。自分のなかで普通にTVに出てるって思えるようになったのは、ここ2~3年ぐらいですよ。いまも、TVの冠番組はいつになったら持てるんだろうと思っていますから」

とはいうものの、デビューから13年。現在のキャリアはとても順調だ。

「周囲のスタッフや芸人仲間に恵まれたからじゃないですか。とくに自分が言ったことが尊敬している先輩にウケると、自分はすごいんだと思えて自信になりました。自分一人で面白いと信じ続ける自信はなかったなあ。誉められないと伸びないタイプですね」

自分自身を見つめて、弱点を転換する

品川自身は悩みやすい性格で、それがずっとコンプレックスだと言う。

「浅はかだから、いろいろ飛び込んでみるものの、行った先々で悩むんですよ。痛い思いもするし後悔もする。お笑いの世界に入って本気になれるものに出会えたけど、もしここで売れてなかったら、やっぱりまた失敗したって悩んでると思うんですよ」

しかし、そういった葛藤をいなしつつ、なんとかやってきた。

「オレは悩んでるんじゃなくて、考えてんだって思うようにしてます。それと、思い通りにならないことでグズグズするより、現実化した出来事を楽しめるかどうかですね。いまだに、“次こそ冠番組を”って思うけれど、現実にならないこともある。でも今回の映画みたいに現実になることもある。そこを受け入れられるかどうか」

不確実で混沌としたこの世の中、誰もが多かれ少なかれ、品川のように、理想と現実のギャップに思い悩んでいるはずだ。

「不況で就職も難しいだろうし、会社に入っていても決して安泰じゃない。でもそういう時代のほうが面白い。RPGも簡単すぎるとつまらないでしょ。だから、この状況を打破するために自分なりの作戦を立てる。そこに情熱を傾けるのがまず大事なんじゃないかな。僕自身、この世界に入った動機は売れたいという単純で浅はかなものだったけど、好きなお笑いで食ってくためにどうしたらいいか一生懸命考えたからここまで来られた。来年どうなるかわからない状況下だからこそ、作戦の立てがいがあるんですよ」

品川は、「浅はか」という言葉で、周囲の環境や自身のコントロールの利かなさ、もどかしさを表現しようとする。しかし、このシャイでぶっきらぼうな物言いの裏には、目の前の現実と生身の人間である自分を肯定的に捉えようという前向きさや、ダメでも次につなげていこうというしぶとさが隠されている。これこそが、品川ヒロシという人間の本質なのかもしれない。

1972年、東京都生まれ。本名、品川祐。東京吉本総合芸能学院(東京NSC)第一期生。同期の庄司智春とともに、95年にお笑いコンビ「品川庄司」を結成し、スピーディな正当派漫才とストーリー性の高いコントで人気を博す。文才も示し、芸人としての日常を綴る「品川ブログ」や06年に品川ヒロシ名義で出版した初の書き下ろし小説『ドロップ』が評判を呼ぶ。『ドロップ』は、07年から「月刊少年チャンピオン」で鈴木 大の作画により、コミック化され人気連載に。03年にオムニバス映画『監督感染~Director Infection~』中の「TWO SHOT」で、監督・脚本を手がけているが、さらに今年、『ドロップ』を原作にした同名映画で長編初メガホンをとっている。

■編集後記

ちょうどNSCを卒業し、新人お笑いコンビ「品川庄司」としてデビューしたばかりのころ。しかし、状況は決して芳しくなかった。吉本の若手芸人が出演していた深夜番組は打ち切られ、主戦場だった銀座7丁目劇場の閉館も決まった。そんななか、品川は、相方の庄司とともに、他の劇場へ積極的に売込みをしたり、先輩芸人の冠番組の前説をノーギャラで担当するなど、自らステップアップするための方策を巡らせ、悪戦苦闘していた。

小林ミノル=文
text MINORU KOBAYASHI
森山雅智(vacans.inc)=写真
photography MASATOMO MORIYAMA
スチーム=編集
editorial steam

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