「いま僕には、26歳のときと同じ閃きがある」

鹿賀丈史

2009.03.19 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 坂能…
芝居はまさに“生業”。生きていくための術

金沢で生まれ育った鹿賀丈史青年は声楽家を志し、東京で浪人する。が、“音大に受かっても大半の就職先は音楽の先生”という現実に打ちのめされる。「あちこちでちょこちょこ歌ううち」3年が過ぎ、ときは1972年。友だちの誘いで劇団四季を受験。友だちは落ち、彼だけが合格するという展開に。翌年にはミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター』の主役に抜擢された。以降、『ウエスト・サイド・ストーリー』や『カッコーの巣をこえて』などに主演。当時、日本最高のエンターティナーの一人だった越路吹雪の舞台にも出演するようになっていた。

「『やれ!』って言われてポーンと舞台の真ん中に立たされて、それを続けていくと、いつしか舞台の上に自然に立っていられるようになっていたんですね。最初はセリフや歌を一生懸命やろうとするのですが、何年かすると『あ、存在することなんだ』と気がつき、だんだん過剰な演技をしなくなり…劇団では舞台をいっぱいやらせていただいて、非常に勉強になりました」

最初は半ば強制。だが喜びを感じた。

「26歳で『カッコーの巣をこえて』のマクマーフィーという主人公を演じたときです。荒くれ者で非常にいい男なんです。刑務所に行くのを逃れるために、病気のふりをして精神病院に送られ、そこでわが道を通していく…その役をやっているときに『芝居っておもしろい!』と思ったんです。公演が終って、ふと自分の芝居を振り返ったときに自分の変化に気づく。自分の考え方、感じ方、“人前に立つとは?”…いろんなことを考えながらやっていくうちに、芝居をすることが、すごくおもしろくなったんです。そこで初めて“俺はずっと芝居をやっていくのかもしれない”と思いました。それが今日まで続いている。もしそうじゃなかったら、僕はどこかで死んでたでしょう」

冗談ではない。

「僕は結構“死にたがる子”でしてね。いまだって若い子が自殺して、周囲は原因を追及するけど、ぼんやりと“死にたいな~”と思っている子はいっぱいいて。ポンッときっかけを与えられたら、はずみで死んじゃうケースもいっぱいいるんですよ。僕もたぶんそのひとりだったと思うんです。中学から高校2年生ぐらいまでがひどくて、東京にひとりで出てきてから劇団で芝居を始めて、“おもしろいかもしれない、続けていくかもしれないと思った”それは、実は“芝居を”というだけじゃなくて、“生きることを”だったんじゃないかなあって思うんです」

で、続けていこうと考えた途端、「劇団を辞めたくなったんですね」。

ターニングポイント連発。つねに。いまでも

「自分が俳優であるということを、もっといろんな世界で試してみたいという気持ちがいちばん大きかったです」

29歳で退団、30歳で初の映画。松田優作主演の『野獣死すべし』だった。

「同年代(優作がひとつ年上)のトップを走っている人間と組んでみて、“映画のカメラの前に存在する”というのはこういうことかと。お芝居をしていると、無言だけど彼からメッセージががんがんくるんです。僕のことを理解してくれようとしている。劇団では気心が知れているから、そんな工程はありません。これが一緒に映画を作るということかと。最初に松田優作という人と一緒にやれたのは大きな宝でした」

その後、これまで関わっていなかった映画やTVに積極的に出るようになる。30代前半の鹿賀丈史は「毎週のように刑事ドラマで鉄砲を撃ってました(笑)」。

だが、それが何かにつながるとは思ってなかった。ただ知りたかっただけ。

「普通はだいたい刑事ドラマを何本かやると、だいたいブラウン管からはいなくなります。僕は特別にいい芝居をしたから、いまここにいるわけじゃなくて、鉄砲を持って“パンパン!”ってやりながら、ずっと何かを考えていたんでしょうね。劇団のときには年間200ステージぐらいを続けてました。べつに舞台が嫌になったわけではなくて、演じる場に関して、僕は自分の知らないところが多すぎたと感じたので」

退団後、初めて舞台に復帰するのは35歳のときの『トーチソング・トリロジー』。そして36歳に出会うのがミュージカル『レ・ミゼラブル』。

「これは舞台に戻ってこいと、両方の作品が言っているように思えたんですね」

映画やTVで存分な経験を得て取り組んだ“レ・ミゼ”には、その後14年にわたって関わっていくことになる。くわえて、映画やTVの方も順調。いわば“安定していた時代”だった。

「でも、26歳のときに『カッコーの巣をこえて』で出会ったお芝居のおもしろさとか、30歳のときに『野獣死すべし』で出会った映画のおもしろさとか、36歳で『レ・ミゼラブル』で出会ったさらなる舞台のすごさみたいな、新しいものが全然出てこなかった時代で…」

40歳のとき、例の“死にたがりや”がぶり返したのである。

「大河ドラマ(『翔ぶが如く』)で大久保利通をやる前ですね。いまにして思えば鬱だったのかもしれないですね。自分から何も発想しないし、行動力もなくなってきて、“このままダメになっちゃうのかな”って思いながら。原因は僕にもわからなかった…」

『料理の鉄人』におけるMCを、“美食アカデミー主宰”というケレンに満ちたキャラクターで演じたのは43歳、同じころ子ども番組『ポンキッキーズ』でファンキーな「Ja - nay」(名曲!)を歌っていて…。

「俳優・鹿賀丈史がそんなことをする必要はまったくないんです(笑)。バラエティーであれなんであれ、俳優として存在しているのであれば、誰もやってないようなこともできるだろうと」

沈んでいたからこそ聞けた新世界ともいえる。

その後、01年から足かけ7年演じたのがミュージカル『ジキル&ハイド』。

「昔なら演じるうえで“もっとあるんじゃないか、もっと!”って探していたことがあったはずなのに、そういう作業をちょっと怠けていたのかもしれない。そんな僕にとって、これはバケモノのような作品でした。肉体的にも精神的にもきつかったです。作品が完結していないというか…ただ、(作曲家の)ワイルドホーン氏の音楽がすごくいいものだから成立する。このときはスタッフ会議みたいなところから参加させてもらって、こういう歌詞を入れてほしいって伝えたり、制作から自分の意見をどんどん入れてもらうようにしたんです。それまで、そんなことしたことなかったんですけどね。おかげさまで“日本でやっている『ジキル&ハイド』がおもしろいらしい”という評判をいただけて、ワイルドホーン氏が観に来て、今回の『シラノ』をやってみないか、という話になりました」

26歳のころ劇団で映画『カッコーの巣の上で』を観たという。ジャック・ニコルソン演じる主人公を指し、演出家は「できるか?」と鹿賀に問うた。

「『ああいう要素は自分のなかにあると思います』と僕は答えました。年格好も見た目もだいぶ違っていたけど、主人公のことがよくわかったから。『オマエでやる』って言われて、『おもしろいものになるぞ!』って閃いたんです。いま僕は58歳で、『シラノ』に関してあのときと同じような閃きがある」

すごい話だ。経験とか成熟とかは大事じゃない、と楽しげに言う。

「俳優は歳をとると、味が出てきてよくなるとか言われますけど、僕は全然そうは思いませんね。むしろできなくなることのほうが多い。それで、過去の経験という引き出しの中からできることを引っ張り出してきて並べるわけですよ。これまでやってきたいろんなことに則ってやるんじゃなくて、僕は新鮮にやりたいんです。いままで僕のやってきた芝居を知る人なら『あれ?』って思うほど違うかもしれない。僕はまだこれからいろんな芝居をすると思いますけど、『今度はこんなことしてる?』『あれ、また違う!』『80になってそんなことするか!?』って…そんなふうでいたいと思ってるんです」

『シラノ』の歌稽古中、58年間出せなかった音階の声が出せるようになったらしい。鹿賀丈史はとても嬉しそうだ。

1950年、石川県金沢市生まれ。22歳のとき、劇団四季に入団。翌年ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』の主演に抜擢。『ウエストサイド・ストーリー』『カッコーの巣をこえて』など数々の作品に主演。29歳での退団以降は、ドラマや映画に進出。『野獣死すべし』の翌年には『悪霊島』(81年)で“金田一耕助俳優”に仲間入り。色気たっぷりの『麻雀放浪記』(84年)のドサ健など印象に残る役どころも多い。大河ドラマ『翔ぶが如く』(90年)の大久保利通は、いまも当たり役の声高し。時代劇からアクション、ヒーローから、宇宙人、悪役まで様々な役をひょいと演じる。近年のおもな舞台に『レ・ミゼラブル』(87~00年)、『ジキル&ハイド』(01~07年)『ラ・カージュ・オ・フォール』(08年~)、『かもめ』(08年)。ミュージカル『シラノ』は5月5日~28日、日生劇場にて。チケット発売中。

■編集後記

まさに芝居と人生に積極的に関わっていこうと決意した時代。劇団では数々の主演舞台を踏んでいたけれど、実際に舞台以外の場で“鹿賀丈史”の名はあまり知られていなかったと言う。「またイチいちから鹿賀丈史がどういうものかを知ってもらわなくちゃならなかった」。そして『Gメン75』などいくつかの刑事ドラマに出演。舞台のオファーはあったはずだが「覚えてません(笑)。劇団を辞めてすぐべつの舞台に出るのは失礼だと思ったし、映像をやっていきたかったんです」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
坂能 翠(M DOLRPHIN)=スタイリング
styling MIDORI SAKANOU
真知子(M DOLRPHIN)=ヘア&メイク
hair & make-up MACHIKO

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