「自分で座標軸をつくる」

別所哲也

2009.03.26 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 小山幸彦(STUH)=写真 photography SACHIH…
バブルにあえて背を向け“習うより慣れろ”の世界へ

朝のJ - WAVEから聞こえてくる別所哲也は、基本、テンション高めだ。シャウトし、流暢に英語の曲名を紹介する。はたまた定額給付金の話を専門家からシュアーに聞き出し、ゲストのヘアメイクアップアーティストには“弱点”だと思っているタレ目のことを相談、流行だと言われ、大いに喜ぶ。

その声はいろんな表情を持って電波に乗る。とても好評で、2時間枠の番組が4月からは3時間に拡大、新番組に。

2年半前に朝の枠を担当する以前は、熱心なリスナーだった。

「いまもリスナーと同じような目線で、番組を上から発信するというよりは、同じ時間を共有して共感し合えることを大事にしたいなと思ってます」

自身、上京してきたときはずいぶんラジオに助けられたという。18歳、大学進学がきっかけ。東京のダイナミズムやスピード感や過剰な情報に呑み込まれそうになったが、ラジオが孤独感を払拭してくれた。そしてもちろん、新生活で出会った人々も。

「当時、僕は旅行作家になりたかった(笑)。世界中を飛び回って旅先の情報や大自然のすばらしさを書いてファックスすると、自然に口座にお金が振り込まれる立場の人です(笑)。あるいは商社マン。世界中飛び回って橋や大きなプラントを作って、現地の人に喜ばれる仕事。とにかく海外に出て放浪したかったんですね(笑)。そういう気持ちもあったので、中学生ぐらいのころから英語は大好きで…」

大学では、英語会に入部。ディベート、ディスカッション、スピーチ、ドラマの4セクションのうち、英語劇を制作するドラマセクションを選んだ。

「僕はずっとバレーボールをやっていて、体育会系の人間でした。それで図書館で議論するよりは、体を動かして、生身の感情を伴う英語の方が、自分の血肉になると思ったんです。演劇経験なんて高3の学園祭ぐらい(笑)。でもやり始めると…なんというか、アタマをガツンとやられたような衝撃で、“これは面白い!”と(笑)」

“時代”も俳優になるのを後押しした。1986年、別所哲也は大学3年生になり、いまとはまるで逆の社会の現実に直面する。ちょうど、バブル景気が訪れる年の初めのことである。

「先輩を見ててよくわかったんですが、“この人に力があるかどうかを吟味しよう”というのじゃなくて“この大学のこの学部のヤツを何人”っていう採用の仕方だったんですよ。全然個人の顔がない状況で。リクルーターが来て『オマエ決まったから』と言われ、何の疑問も持たないまま企業の名刺を持って生きる…そこに不可思議さを感じていたんです。一方で芝居の魅力にはどんどんはまっていました。英語劇でいろんな社会現象や歴史的な世界観を表現するうちに“人間の原点って感情だよな”って思うようになっていました。どうも僕は人間くさいことがしたくなっていたんですね」

そして4年の夏に、当時、ブロードウェーで最長ロングラン記録を続けていたミュージカル『ファンタスティックス』の日本版オーディションに合格する。演技経験は高3の学園祭と英語劇。で、いきなりプロの現場に入ったのだ。

「いまでは持論に近いことになっているんですが、“習うより慣れろ”。英語では“book smart”と“street smart”っていう言い方があるんです。本で学ぶこともすごく大切だけど、通りから…生活のなかから学ぶ。走りながら考えるっていうんですかね。シミュレーションして、“ここまでできたから、実体験”っていっても、どこまでやればいいのか線引きはすごくむずかしい。現場ではすごく迷惑をかけたとは思いますが…。ポーンとミュージカルの現場を与えられたことで、目標とするゴールを目指して体をつくり声をつくり、演じることに慣れていかなきゃならなかった。それがすごくよかったですね」

そして、そのまま大学を卒業。翌年、映画デビュー。 NHKエンタープライズが出資し、アメリカのスタッフと監督を使って、アメリカで撮影する『クライシス2050』のオーディションに合格するのだ。そしてアメリカへ行くことになる、またもやポーンと。

アメリカで2度目、3度目。人生を変えた出会い

「結局、それが初めての海外でした。いきなりワーキングビザを持って」

ここでも、また“ガツン”。

「アメリカは“誉める文化”だとよく言われます。すごくいいように聞こえるけど、これって最大のプレッシャーの与え方ですよね。つまり、“お前を評価する。条件を全部呑む…そのかわりこのチャンスを逃したら、次はない”と。すごくスマイリーに言われる(笑)。まず最大値で評価する。“人と人とは違う”という地点からスタートするのが一番大きいですね。“違うからこそ評価できるんだ”ということ」

そして、自分でやりゃいいじゃん、という姿勢。

「映画の現場で“こういう映像を撮りたいね”って話をしていて、機材がない場合、アメリカ人は“そういう機材を開発しよう”って考えるんです 。決められたバジェットのなかでなんとかするのではなく“不可能はない”というところからスタートする。発想に天井もボトムもなくて、座標軸そのものを自分でつくっちゃおうという感覚。相当カルチャーショックを受けました」

結局ロサンゼルスには1年半滞在。新たな視野と意欲とともに帰国すれば、数々の連ドラや映画のオファーが待っていた。そうして20代は終わっていく。「すごく充実していました。でも、ある日雑誌のインタビューで、軽~い感じで聞かれたんです。『最近は何に興味があるの?』って。口をついて出るのは撮影しているドラマの話か、そこで出会ったエピソードだけ。自分のなかの興味や好奇心というものが、俳優として動いている仕事のなかだけで自己完結していることに気づいたんです。忙しいけど楽しくて、自分のありかたを点検する状況がなかったんですね」

31歳になっていた。

「フレッシュな新人の時代は終わり、かといって“これだ”という黒光りするような体得したようなものもない。普通に就職した同級生と話していても、みんな同じ思いでした。先輩や上司の愚痴は言うけど、後輩には“こんなもんだよ”って場慣れした自分で接する。俳優の自分も、カメラ前での立ち居振る舞いは覚えたけど、そこで何かを作り出すとはどういう意味なのか…」

3カ月の休暇を取り、前に“ガツン”をもらったロサンゼルスへ旅立った。

「そこで出会ったのがショートフィルムでした。最初は学生の実験映画だろうとバカにしてました。いざ観たらコペルニクス的大転換! “映画は短くてもいいし、実験的な映像でもエンターテインメントはできるんだ!”と。たった5分で、泣いたり笑ったり考えさせられたりするんですよ! その日10本観て、上映会に参加していたフィルムメーカーと話をして“映画の原点だ!”ってわかったんです。画家でいうとデッサン画、スタイル探しの第一歩。長編映画だとチーム編成が大きくなって、いろいろな想いが集約されたダイナミズムがあるけど、ショートフィルムに描かれた世界観は作った人の姿そのものです」

まるで昨日のことかのように熱く語る。なにしろいまでも夢中。出会いの2年後には日本で映画祭を立ち上げ、昨年にはなんと横浜に専門の劇場までオープンさせた。

海外を飛び回る仕事に就きたい、という10代の夢想は、見事に別所哲也の本質だったのだろう。

31歳の3カ月の休暇は、初のアメリカ行きで得た“自分で座標軸からつくる”というコンセプトを再認識させ、(いまも続く)モチベーションを手に入れる旅となったのだ。

「ショートフィルムもラジオも、俳優としての僕のなかに境目なく存在しているものだと思っています。何かに興味を持って飛び込み、それを表現することこそ俳優としてのDNAなんじゃないかな。僕は自分の面白いと思ったことを、みんなに知ってもらいたい。そのときみんなはどんな気持ちになるんだろう、って。僕が好きだと言ったコーヒーを好きだって言ってくれる人はいるんだろうか。キレイだと思った朝日を同じポジションから観て、この人は同じように感じてくれるだろうか。ラジオでしゃべったことに“そうだよね”“そうじゃない”って言う人がどのくらいいるんだろうかって。演じることへの興味はまったく薄れないので、一生役者であることは変えるつもりはないですけどね(笑)」

1965年静岡県生まれ。慶應義塾大学在学中の87年、ミュージカル『ファンタスティックス』で俳優デビュー。90年、日米合作のSF映画『クライシス2050』で映画デビュー。撮影に際し、アメリカ・ロサンゼルスに1年半滞在、大いに薫陶を得る。03年より『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン、04年より『ミス・サイゴン』のエンジニア役を務める。ドラマや舞台、映画のみならず、語学やグローバルな知識を生かしたキャスターやパーソナリティーとしても活躍。99年からスタートさせた『ショートショート フィルムフェスティバル』の主宰者としても知られ、いまではショートフィルム専門館『ブリリア ショートショートシアター』のオーナーにも。“ロン毛の外科医”北見終一を演じるドラマ『ゴッドハンド輝』は4月11日スタート(TBS毎週土曜19:56~)。また、J-WAVEで担当する朝番組が4月1日より新番組『J-WAVE TOKYO MORNING RADIO』に。

■編集後記

「若いときにある俳優さんから言われたのが『忙しいってことに溺れるなよ』という言葉です。昔は『最近忙しくてさ~』って言うことがカッコいいような、人気者のような気がしていたし、とくに日本では“忙しい=いい仕事をしている”と錯覚しがちなんですが、そうじゃないんだと。1秒1分1時間の密度を上げ、打率を上げることが、重ねてきたことの証になるんじゃないかな。それは力のヌキ具合も含めてです(笑)。マラソンはずっと全速力じゃ走れませんからね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
小山幸彦(STUH)=写真
photography SACHIHIKO KOYAMA

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